Imaginarry Affairr

Tears sheded like a cherry

芒種-4.2「水たまり」(by絵美)

2010年06月18日 19時12分11秒 | Novel「桜さく、このうららかな堤」
 「ふあー。濡れちゃったね」
 やっと電車に乗り込んで、あたしは気の抜けた声を出す。
 傘を忘れた帰り道、ようやく一息ついた。

 「寒くない?」
 「大丈夫。ありがとう」
 左腕についた雫をぱんぱんと払いながら答える。

 水無月くんはそんなあたしを見つめながら、何やら意味深な表情を浮かべて、それを隠すように窓の外を眺めだした。
 けれどそれも束の間、今度は我慢できなくなったようにくすくすと笑い始める。

 「な…なに?」
 あたしはにわかにドキドキしだす。
 何かおかしいかな。

 「……変なの」
 短い言葉が胸にぐさっと突き刺さる。
 しっ…失礼な!

 「水無月くんだって濡れてるじゃない」
 あたしは猛然と異論を唱える。

 でも水無月くんは笑うのをやめない。
 ――違う違う、と言う。
 「そういう意味じゃないんだけど。でも、笑ってごめん」

 それきり何も言ってくれないので、訳がわからない。

 「髪だけでも拭けば?」
 そう言って水無月くんは、鞄からハンドタオルを出す。
 乾いた布を見るだけであたしは嬉しくなる。

 あ、もう、どうでもいいや。
 ふわふわのタオルで濡れた髪を挟むと、一気に脱力してしまう。

 窓の外では、田んぼの稲が気持ち良さそうに雨を浴びている。
 ゆかいな景色だ。
 ずっと雨のまま、このままどこまでも行けたら。
 センチメンタルに思ってみたりして――。

 そんな夢はもちろん叶う訳もなくて、電車は駅に着いて、また、家までの雨道を歩き始める。
 
 ざじゃ――っ、と自動車がはねる水をよけるために、二人で道路脇に固まる。
 それはペンギンのようだとあたしは思う。
 いつかテレビの自然番組で見たのだけど、ペンギンの雛は外敵から身を守るために、みんなで一箇所に固まるのだ。

 「気をつけて」
 「うん。何とか大丈夫」
 
 さっきのセリフを、もう何度も頭の中で繰り返している。
 『ぼくは男だから』ってやつだ。
 よかった。水無月くんの前で、あたしはちゃんと"女の子"だったらしい。

 雨なのに、依然として足どりは軽い。

 「本当は絵の具を買うつもりだった」と水無月くんが打ち明けたのは、コンビニの角も過ぎた最後の一本道でのことだった。
 その画材屋さんは、学校から駅までの間を少し遠回りする所にあって、古いけど趣があって、品揃えも豊富で、いつ行っても楽しいんだとか。
 それを聞いて、あたしは気づく。
 
 「今日買いに行けなかったのって、あたしのせい?」

 突然、申し訳ない気持ちに襲われる。
 そんな予定があったなら、変更してまで傘に入れてくれる必要なんてなかったのに。

 水無月くんは頭を掻いて、困った顔をする。
 しばらく悩んでから次の言葉が出てくる。

 「それは違うよ」
 否定の言葉だった。

 「原因は橋本さんだけど、橋本さんの"せい"じゃない」

 んっと……、あたしはバカだからすぐにはわからないよ。
 頭の中でゆっくり噛みくだいて、それが嬉しい返答だったと気付く。

 「本当?」
 「本当だよ」

 救われたような気持ちになって、同時に、あることを閃いた。
 そしてその閃きは、落ち着いて吟味されることもなく、とっさに口を衝いた。

 「じゃあ今度一緒に買いに行こう。あたしも付き合うよ。
  ちょうどほかに買いたい物もあるし。一人で行くより楽しいでしょ?」

 優しさに甘える気持ちがあったかもしれない。
 チャンスだと思ったかもしれない。

 だけど、めちゃくちゃな誘い文句に水無月くんも困惑している。
 しばらく流れた沈黙に、あたしは逃げ出したい気持ちになった。

 「それは『今日のお詫びに』って意味なの?」
 「……それもあるよ」

 あたしは何を期待していたのだろう。

 「だったらいいよ。一緒に行こう」

 あたしは水無月くんから承諾の返事が聞けることを期待していただろうか。

 『そんな。いいよ。一人で行ける』
 いつもの水無月くんならそう言うだろうと思っていたあたしは、思いがけない返事に、喜ぶより先に萎縮してしまった。

 風がどんどん冷たくて、汗をかいた手の平をそっと開くと、涼しさを感じる。

 確かなのは、この"好き"という感情だ。
 風変わりなところも、そっけないところも、無駄に紳士なところも、優しいところも、全部好き。

 あたしはそこに何を足せるだろう。
 足せるのは、あたしなのだろうか。
 難しいことを考えても答えは出ない。

 家について、傘から軒下へ飛び移る。
 「送ってくれてありがとう」
 「うん。また明日」

 ぺこんと頭を下げてから、グレーの傘はむこうを向いた。

 一時間にも満たない間に色んなことがあって、今、どうしていいかわからない。

 庭にできた大きな水たまりを、雨がにぎやかに叩く。
 ぐちゃぐちゃで何も映さない水面は、今のあたしの心に似ている。

 「やっばあ……」

 人生で初めてのデートが決まったのは、雨の日、学校からの帰り道でのことだった。


 
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芒種-4.1「アジサイ」(by絵美)

2010年06月18日 18時27分55秒 | Novel「桜さく、このうららかな堤」
 一歩ごとにピシャンピシャンと水滴が跳ねる。
 ようやく冷静になってきた。
 
 まず、ここまでの話をしよう。
 時間は少し遡って午後6時すぎ。
 学校の下駄箱の軒下から話は始まる。

 ――自分のバカさ加減と降り止まない雨を呪う。
 通りすぎていく傘たちを恨めしく見つめながら、ねずみ色の空を振り仰ぐ。

 話すとややこしいけど、とにかくあたしは雨を前にして帰る手段をなくしていた。
 傘もなければ、入れてくれる知り合いももういない。
 雨も止みそうにない。

 脇をすりぬけるグレーの傘。
 向こうに二つ、ピンクとグリーンの傘。
 ぼんやりと網膜ににじんで広がる。
 
 ……仕方ない。お母さんに電話しよ。
 ため息をついて、短縮1番をコールする。
 とるるるる……と耳の中で音が鳴り始める。
 
 何となく目で追っていたグレーの傘が、立ち止まるのを見た。
 半身でこちらを向いている。
 傘のフチがするすると上がり、胸を、あごを、鼻筋を明らかにする。
 グレーの傘は――、水無月くんだった。

 あたしは呼吸困難になりながら、携帯のコールをとっさに切った。
 我ながらちゃっかりしている。
 
 「傘ないの?」
 「忘れちゃった」
 「……ふうん」
 
 一見無関心っぽく水無月くんは言うけど、ずいずいと軒先まで寄ってくる。
 そして短く、使って、と言う。
 
 「濡れてる濡れてる。それじゃ水無月くんが濡れるから」

 驚いたことに、水無月くんは自分がさしている傘を躊躇なくあたしに差し出した。
 「いいって。水無月くんが濡れるくらいならあたしが濡れて帰るから」
 とりあえず説得して、ひとまず軒下に入ってもらう。

 でも。と言う。
 「濡れてもかまわない。ぼくは男だから」

 その言葉にドキッとする。
 それはあたしを女として見てくれているってこと、なの?

 「待って。落ち着いて。一緒に傘に入ればいいでしょ?それともあたしと一緒じゃ嫌?」
 スパークしかかった頭で、なんとかそれだけ言葉を紡ぎ出した。

 そうして今に至る。

 水たまりをよけながら窮屈な二人が歩道を歩く。
 あたしの左肩と水無月くんの右肩とをぴったりくっつけても、あたしの右肩と水無月くんの左肩はしっかり雨に濡れてしまう。
 
 「災難だね」
 あたしなんかと相傘で。
 「これくらい大したことないよ」
 水無月くんは、あたしの言葉を雨の強さに対するものだと取ったみたいだ。
 
 ちょっと狭くて歩きづらい歩道。
 気になる喫茶店や楽器屋さん。
 すれ違う傘、傘、傘。

 町はちゃんと進んでいる。
 時間の流れにも遅れずに。
 あたしはそれを目で追いながら、これが確かに現実なのだと実感する。
 
 赤信号で止まる。
 おじさんの赤いシルエットが、なま暗い世界にらんらんと映えている。
 道行く車は、みんなせっせとワイパーを動かしている。
 おじさんのシルエットが青になって、あたしたちはまた歩きだす。
 
 「ちょっと寄り道してもいい?」
 水無月くんの注文に、もちろんあたしはOKを出す。
 「どこかのお店?」
 「いや、公園なんだけど」
 雨なのに、公園。

 「ごめん。見たいものがあるから」
 
 もちろんOKなんだけど。
 慎重に敷石を踏みながら公園に入る。
 
 水無月くんの言った、見たいもの。
 それはひとかたまりのアジサイの群生だった。
 緑をバックにピンクやらフジ色やらが鮮やかな、まだら模様の群生。

 「多分、今日あたりが花の盛りなんだ」
 
 その言葉のとおり、たくさんの花が色を競うようにわんさと咲いている。

 「詳しいんだね。毎日見に来てるの?」
 「雨の日は、毎日」
 
 雨の日限定なんだ。どうしてだろう。
 
 「アジサイ、今度絵に描こうと思う」

 いつだったか、水無月くんは透明水彩で静物を描くのだと言っていた。
 
 「どんな絵を描くか知りたいって言うから、ついでに見てもらおうと思って」

 どんな絵を描くかと言われて"描き方"ではなく"描くもの"を教える。
 それってなんかふしぎだ。
 
 でも――そんな異常な主張にも納得してしまうくらい、その光景はやたらと目に沁みる。
 鮮やかでどこまでも深い花。

 「『わが身世にふる』なんて、橋本さんは考えないかもしれないけど。
  雨に濡れるアジサイって煽情的だと思わない?」

 "センジョウテキ"という言葉が、この何物かわからない感慨を説明する唯一の言葉のように思われた。



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芒種-3「月夜」(by絵美)

2010年06月15日 00時12分53秒 | Novel「桜さく、このうららかな堤」
 ぶぁあ――――、というドライヤーの容赦ない音に髪が踊る。
 恥ずかしい話だけど、髪にドライヤーをあてる習慣が身についたのは高校に入ってからだ。
 それまではこの音がどうも気に食わなかった。
 皮膚が乾いて、削ぎ落とされそうな気がする。
 
 がちゃん。
 スイッチを切る。
 生乾きだけど、いいや。
 
 0時12分。
 また日付が変わってしまった。
 あたしは要領が悪い。

 多分、同じくらいの成績の子と比べても、同じ宿題を片付けるのに1.5倍くらいの時間がかかる。
 「絵美はじっくりタイプだもの」
 お母さんにもよく言われる。
 中学生の頃からそうやって来たし、もう慣れている。

 明日(というか今日)の時間割を合わせると、ようやく一日が終わる。
 枕もとの電気スタンドは残したまま天井の明かりを消したとき、カーテンのすき間から洩れる光に気付いた。
 月夜だ!

 夢中になってベッドの窓から屋根に降り立った。
 夜涼みをする屋根の上はあたしのとっておきの場所だ。

 「冷たっ」
 雨の雫がまだ残っていたけど、昼間の悪天はどこへやら、夜空は一転、広く遠くまで澄み渡っている。

 まっさらなお月さまがたった一人、中空にぽかんと浮かんでいる。
 満月に近い形で、回りに光の笠をかぶっている。
 醒めるような青い月夜。

 月は、どんなに孤独でも寂しくないような気がする。
 aloneだけど、lonelyではない。
 それは月の素敵な美点だと思う。
 
 ジ――――ッ、と草虫が鳴いている。
 体の細胞一つ一つが喜んでいるようなすっきりした夜だ。
 「岩にしみいるセミの声」なんてよく言ったもので、今、身体に草虫の声が染み込んでくるのを感じる。
 
 目を閉じて、水風呂のような"静寂"に浸ることにする。
 いろんな雑念が抜けて、心の中に"一番大事なもの"だけが残る。
 よかった。ちゃんとある。
 その色や形や正体はわからないけど、確かにある。

 閉じた目を開く。
 月は、どこから出てきたのかひつじ雲に隠されてしまって、縁取りだけが輝いている。

 「雲ノイヅコニ月宿ルラン」ってね。
 昔、百人一首をしたとき覚えた下の句だ。
 月とかモミジとか天橋立とか、イメージしやすいものが詠み込まれた札はよく覚えられた。
 水無月くんは百人一首も詳しいから、今度上の句を教えてもらおう。

 水無月くんへのおぼろげな気持ちが「好き」という形を持ってから、ひと月くらいが経った。
 さっぱりして気持ちいい。
 あたしはこれでいいと思う。
 
 ペタペタと瓦を歩く。
 足の裏をタオルで拭いて、ベッドに上がる。
 
 電気スタンドを消すと部屋はもう月夜の延長だ。
 「おやすみ」
 誰にともなくあたしは言う。
 今日はあっという間に眠れそうだ。



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芒種-2「曇天」(by絵美)

2010年06月13日 15時26分08秒 | Novel「桜さく、このうららかな堤」
 いらっしゃいませ。何名様ですか。お席へ案内いたします。
 ウェイトレスさんのよく通る声が響く。
 それぞれが思い思いの格好で時間を過ごす空間。
 そういうのって、けっこう好きだ。

 午後3時すぎ。
 レストラン兼喫茶店みたいなお店のテラスで、おやつ代わりにアイスクリームを食べている。

 今日は吹奏楽部の三人がそろって出かける初めての日だ。
 
 遊びと言っても、そんなにはしゃぐわけでもない。
 買い物と言っても、そんなにお金があるわけでもない。
 のんびりと、ゆったりと、一緒に時間を過ごしている、そんな休日。
 
 食べているのは皐月ちゃんがストロベリーアイス、潤ちゃんは何を思ったのか醤油アイス。
 あたしはバニラにしたら潤ちゃんにバカにされた。
 「もっと何か面白くする気は無いの?」と。
 
 そんな潤ちゃんは「うわあ、これ、うわあ」とか言いながら、うすら茶色いソフトクリームに苦心している。
 あたしは意に介さずに聞き流す。
 
 ずっと口数が少ないのは皐月ちゃんだ。
 今日というか、ここ数日、一本芯が抜けたようなもの足りなさを感じる。
 
 「皐月ちゃん、それおいしい?」
 「あ、一口食べる?」
 「え、いいの?」
 「もちろん」
 
 平常を装っているけど、やっぱり元気がない。
 気にはなっているけど、あたしはいつも通り接している。
 
 「あ、これおいしい」
 「でしょ?」
 お。ようやく今日の初笑顔、ゲットだよ。
 
 「これもやるよ」
 「ノーサンキュー」
 潤ちゃんの誘いはありがたく断る。
 
 生ぬるい風が吹く。
 雲は重くのしかかってくる。
 梅雨時の空がそうそう頻繁に晴れるはずもない。
 しっとりと雨か、そうでなくともじっとりとした曇り空だ。
 
 さっき。三人で美脚とショートパンツについて話していた。
 その前は、鶏肉と豚肉とコラーゲンと消費期限について。
 
 とりとめはないけど、そういう雑多な話の一つ一つが、ぼんやりとあたしとあたしの周りの些細な出来事をくっきりと描写しているような気がする。
 曇天の空には個性がなくて、その分、人の個性――あたしの個性――が浮き彫りにされるのかもしれない。
 
 『皐月ちゃんは色恋沙汰とかないの』
 
 ちょっと前に、そんな話をした。
 このところ相談を持ちかけてばかりなので、たまには相談に乗りたいと思った。
 それ以上に、男子の間ですでに"トップクラス"と噂されている皐月ちゃんが、どんな恋愛観をもっているのか興味があった。
 
 『うーん。色気のある話はないなぁ。ごめんね』
 『や。謝ることじゃないんだけどね』
 
 予想通りと言うか、皐月ちゃんにはまったく浮いた話がなくて、年頃の女の子の癖に何を考えて生きているんだろうと思うことがある。
 本当に男の人に興味がないのかな。
 
 『告白されたことはあるんだよね?』
 『うん。あるよ』
 『何人くらい?』
 『うーん。両手の指くらいかな?』
 『多っ!多いよ』
 
 ひえー。おどろいた。
 ちなみにあたしは両手の指をグーにするくらいだ。
 それで普通だと思う。普通だよね?
 
 『付き合ってもいいって思う人は一人もいなかったの』
 『みんな良い人だよ。でも、付き合うっていうのは違うかなと思った』
 『じゃあ、好きなタイプとかある?』
 『タイプかぁ。難しいなあ』
 
 息を吐くように弱い声を漏らす。
 "難しい"という言葉に情念がこもっていた。
 
 『……ごめん。わかんないや』
 
 しばらく悩んでそう言う顔は、いつもと比べてミリ単位で表情が堅い。
 『あんまり困らせないで』というメッセージを受け取る。
 そっか。ダメなのか、この話。
 
 話を始めて早々だけど、もう切り上げることにした。
 『いやいや。全然いいよ。あたしも変なこと訊いてごめんね』
 
 恋愛に奥手ということではないのだろうけど、あまり考えたくないこともあるのだろう。
 ……潔癖?それは違うか。まぁ、人それぞれだと思う。
 
 『いつか良い人に出会えると思うよ』
 
 『ほんと。人生を丸ごと賭けられるほど好きなものが外にあったらいいのにね』
 
 そんなことがあった。
 
 全部わかっていたつもりだったけど、最後の言葉だけ意味がわからない。
 あたしがバカなだけならいいんだけど、もしかしたら何か踏んでしまったのかもしれない。
 
 ありがとうございました。
 いらっしゃいませ。何名様ですか。お席へ案内いたします。
 
 にぎやかな沈黙。
 その雰囲気を好きなのは、たぶん、"全部揃っている"のが好きなのと同じだ。
 色鉛筆でもクレヨンでも、一色も欠けていない状態が好き。
 そういうものだと思う。
 
 『お前、嫌いなものってないの?』
 潤ちゃんに言われたことがある。
 
 あまり考えた事もないけど、取り立てて何かを嫌いになることは無いと思う。
 いやだと思うことも、自分の考え方次第では嫌いにならなくて済むことが多い。
 できることならそういうふうに思いたい。
 
 『特に博愛ってわけでもないけどね』
 
 溶けかかって残り少ないバニラを、スプーンですくって舐める。
 甘い。甘い。
 
 「このあとどっか行くとこある?」
 やる気があるような無いような声で、潤ちゃんが言う。
 
 もともと、行くあてのない女子高生の休日だ。
 すごく目的があるわけでもない。
 あたしは口をつぐむ。
 
 ちょっと間が空くと、皐月ちゃんがおずおずと言う。
 
 「じゃあ私、文房具屋さん行きたい」
 「文房具?駅ビルが一番便利かな。まあまあでかいし」
 「あ、じゃなくて、――堂じゃないとダメなの」
 
 ――堂っていうのはそこそこ大きい老舗の文房具店で、品揃えだと市内でも群を抜いてる、というのがあたしの私見だ。
 
 「目当てのものでもあるの?」
 「ロディア…ていうメモ帳なんだけど、切らしちゃったから」
 「えっ?皐月、ロディア派?」
 「うん。そうだけど」
 「同士!」
 
 そこでがっちりと握手を交わす二人。
 何が起こっているの?
 "ロディア"って言った?
 なんでメモ帳?
 
 「オレンジ?黒?」
 「黒。かっこいいから」
 「あー。うちオレンジだ」
 「オレンジも綺麗だよ」
 
 なんか、二人で盛り上がってる。
 メモ帳に"ナニ派"とかあるんだ。
 あたしは考えたこともない。
 
 でも、よかった。
 皐月ちゃん、ちょっと元気になったみたい。
 さすが潤ちゃんといったところかな。
 
 やっぱりみんなが楽しそうにしている方がいいって思うから。
 
 
  
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芒種-1「サツキバレ」(by絵美)

2010年06月10日 07時49分28秒 | Novel「桜さく、このうららかな堤」
 晴れた!

 青い空に白い雲。
 久しぶりに晴れたよ。
 梅雨の合間のサツキバレってやつだ。
 やっぱこうじゃなきゃ。
 今日はもう、朝からエンジン全開だよ。

 「行ってきます!」
 まだ乾ききっていないアスファルトに靴を鳴らす。
 歩を進めながら、ちらっと腕時計を見る。
 「ちょっとやばいかも」
 あたしは小走りを始めた。
 
 学校はちょうど更衣期間だ。
 空模様を見て、今日から夏服にすることにした。
 中学校はセーラー服だったけど、高校は半袖のブラウスに白いベストにワインレッドのネクタイという出で立ちだ。
 スカートも冬服のチェック柄がなくなって無地になった。
 シンプルでさっぱりしている。
 
 「ねーちゃんが着てもなあ」と言う祐樹。
 今度つねってやろう。
 あたしは似合ってると思っている。
 
 カンカンカンと駅の階段を駆け降りる。
 「あ〜、待って!」
 閉まりかかったドアが開き直す。助かった。
 このあたりがザ・ローカル線ってところだろう。

 「ギリギリセ〜フ」
 息も絶え絶えだ。

 「ギリギリって言うよりロスタイムだよね、今の」
 「ロスタイムもギリギリのうちでしょ」
 「ま、そうだけど」

 「おはよう、水無月くん」
 ちゃんと挨拶をし直す。
 「おはよう」
 いつもの仏頂面を見て、あたしは安心する。

 念のために断っておくと、あたしと水無月くんは"一緒に"登校しているのではない。
 あたしが水無月くんに"合わせて"登校しているだけだ。

 そのために電車を一本早くした。
 朝の10分は昼間の1時間の価値があるって言うけど、その10分はあたしにとって何にも代えられない時間だ。

 「夏服にしたんだ」
 「えへへ。わかる?」

 『髪切ったんだ』『わかる?』とは違う、少し頭の悪いやり取り。
 水無月くんはちょっと呆れ顔だ。
 「わかるよね。いくらなんでも」
 あたしは自分で自分をたしなめた。
 
 「髪もね、今日はちょっと凝ったんだ」
 いつもより多めのピンで耳を出してみた。イメージは……。
 「夏っぽい感じがするね」
 そう、まさにそれ!
 こういう所に気付いてくれる男子はポイントが高い。
 祐樹にも見習わせたい限りだよ。

 「水無月くんはまだ半袖にしないの?」
 「そろそろする」
 更衣期間はあと二日だ。

 がたんごとんと電車は揺れる。
 バランスを崩しそうになると水無月くんはさりげに支えてくれようとするし、まだ四度目の登校だけどいつも車両の隅っこに立たせてくれる。
 意外とフェミニストなんだ。

 郊外を走る路線の線路端はだいたい水田で、5月に植わった稲の苗はすくすくと育ち、だけどそれは田んぼの水面を覆い隠すほどじゃなくて、その鏡のような水面には澄み切ったサツキバレがくっきりと映っている。
 あたしは窓の外を流れるその景色を見ていた。

 「いい天気だね」
 「よく晴れてる」
 ほとんど"時候のあいさつ"みたいなやりとりにも、あたしは満足する。

 車内は冷房がついて涼しいけど、駅に停まってドアが開くとカアッとした暑さが染み込んでくる。
 陽気な気分だ。
 こうやって夏になっていくんだろう。

 「水無月くんってどんな絵を描くの?」
 思いついたことを訊いてみる。

 夏の風景は、絵画的だとあたしは思う。
 荒々しい色彩感や風のざわつきは、写真というより絵に近い。
 重なり合う絵の具のダイナミックな感じ。

 「普通に静物とか風景とかだけど」
 「油絵の具とか使うの?」
 「使わない。もっぱら透明水彩と色鉛筆かな」
 「油絵の具と透明水彩って違うんだ」
 絵の具にどんな分類があるかなんて、考えたこともなかった。

 「違うというか……むしろ真逆」
 「そうなんだ」
 出た。あたしの無知。

 「抽象的な難しい絵は描くの?」
 「ぼくは写実的な絵しか描けない」

 「水無月くんがどんな絵を描くのか、見てみたいな」
 「機会があればね」
 
 あたしはその"機会"があることを知っている。
 なければ作る覚悟さえある。
 まだまだ"先は長い"つもりだからね。あたしは。
 心の中でビシッと人差し指を突き付ける。

 好きな人のそば。
 見事なサツキバレに同調して、気分のいい一日が始まる。



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