南華密教ブログ (なんげみっきょうぶろぐ)

南華密教を根幹に据え、風水をはじめとする中国五術、中国思想全般について、掛川掌瑛が語ります。

”存在と関係” つまり ”空と疎外” 

2016年09月18日 | Weblog

とても面白い記事をみつけました。

2016.9.8 マルクスとエンゲルスー微妙な差異の哲学 - 山崎行太郎の政治=哲学=文学ブログ『毒蛇山荘日記2』より

たとえば、柄谷行人は、広松渉との対談「共同主観性をめぐって」で、こういっている。

《たとえば「意識が存在を規定するのではなく、存在が意識を規定する」ということばがありますね。昔は、これはマルクス主義的認識論として考えられていたんでしょうが、ぼくはそんなふうに考えたことはありません。二十二、三歳のころ、マルクスのこのことばがまったく腑に落ちるという感じで了解できたのです。マルクスのいう「存在」が何であるか。小林秀雄なら「宿命」というだろう、吉本隆明なら「関係」というだろう。また構造主義者なら「構造」というだろう。それは何でもいいのです。いずれにせよ、それはマルクス主義的認識論なんてものじゃない。「意識」あるいは「意味」にふりまわされてきた人間だけが、もつ認識なのですから。》 

(引用おわり)

 

マルクスの「存在」と吉本隆明の「関係」は同義であり、ヘーゲルの「疎外」もまた同義であることが理解できるかと思います。

「空」と「疎外」が等しいことは、"十二縁起ー空と疎外-「悟り」へ" で、述べたとおりであり、詳しくはこちらをご覧下さい。


ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 南華密教講座ビデオ | トップ | 『子平修密無学訣大全』 ・ ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事