今日はこんな感じ

ロックでありたい。ロックが何かなんて、全然わっかんないけどね。(笑)

2013-07-13 23:31:29 | 介護
先日、7月7日に、「認知症ケア管理指導士」という資格の試験を受けてきました。
母の現在の状態について、大げさにいえば、現在の医学では説明できないんだなということが、いろいろな書物や情報を読むにつけ、わかってまいりました。

母の見当識障害や記憶障害が、「脳梗塞→心臓の手術→脳出血」という経過を経てでていること、さらに、脳梗塞と診断される前の母が、統合失調症を患っていたと考えられることから、診断が難しいようです。

病名として、候補にあげられるとすれば、
・脳血管性認知症
・レビー小体性認知症
・高次脳機能障害

「認知症」であるのか、「高次脳機能障害」であるのか。
どちらにしても、正しく診断できるお医者さんは少ないようで。というより、病気としては新しい分野に入るようで、難しいみたいですね。母の行っている病院でも、病名の診断は避けているようで。
とりあえず、精神科の薬をもらって飲んでいる現在です。

で、在宅で母を看るにあたって、やっぱり知識がないと不安で、ネットでまずはいろいろ調べたら、最初に書いた「認知症ケア管理指導士」ってのが出てきて。資格を取りたいっていうよりも、家族に認知症の人がいる場合、いい勉強になるという評判を見て、テキストを買って読みました。

その他にも、家でできるリハビリ・マッサージの本とか、認知症を調べていくうちによく出てきた「コウノメソッド」の提唱者の本とかも読みました。
そして、『壊れた脳 生存する知』という本も読みました。この本を読まなければ、私は、母は種類はどうであれ、「認知症」になったのかなと思っていたと思います。でも、この本を読んで、母の脳は、脳梗塞と脳出血を経て、いろいろな機能を失ってしまったかもしれないけど、今、それを回復させようとがんばっているのではないか?との思いを抱くようになりました。

でも、「高次脳機能障害」と「認知症」の違いというのも、明確に線引きできるものではないようで。
何かに当てはまればどっちかに該当っていうような簡単な症状でもないらしく。現に、『壊れた脳 生存する知』の中で、認知症と高次脳機能障害との違いについては、「自分が誰であるかをわかっている」あどうか、ということが書いてあるだけで。
母は、自分が何をやってきた人間かをよく覚えているし、家族はもちろん、友人や親戚のことも覚えています。でも、ここ数年の記憶はすっぽり抜け落ちてしまっているようなんです。
これって、「自分が誰であるかをわかっている」状態なんでしょうか。どうなのかな。

って、答えは出ないんですが。
母は、最近は食欲がすごいです。すぐお腹すいた―って言って、たくさん食べます。
退院した頃は、あばら骨が浮き出ててすっごく痩せてしまっていて、心配していたのですが、退院してから本当によく食べます。
これも、高次脳機能障害だとすれば、「脳が機能回復のために栄養を欲しがっている」という説明にあてはまるのですが。ただ、母は精神病の薬も飲んでいるので、その副作用かもしれないんですよね。

なんか難しい。
まぁでも。こういう病気って、直面しなかったら深く知ることはなかったから。
知らないままじゃなくてよかった、よかったんだと、思ったりしています。

コメント

2013-07-12 23:30:00 | 介護
コメントくださった方、申し訳ないです。
承認制にしているのですが、全然管理画面を開いてなかったので、コメントをくださってたことに気づいていませんでした。さっき、気づいたので、コメントを公表するとともに、お返事もコメントをくださった日記のところに入れておきました。

カタルシス

2013-05-22 01:40:40 | 介護
ブログを書こうと思ったのは久しぶり。
書きたい、というか、吐き出したい話はたくさんある。

でもきっと、もっと大変な事態はきっとこれからやってくると思うんだよね。
今は、その未来の不安におびえる時期ではないのかな。その不安に直面したとしても、気持ちを落ち着かせていられるようなそういう精神づくりの時期なのかなぁなんて思ったり。

って、相変わらず何のこっちゃ?って感じの書き方をしてるけど。
えーっと。とりあえず、母の在宅介護が始まったのです。認知症なのか、統合失調症なのか、ちょっとよくわからない状態なのですが。。。ちょっとね、12月に脳梗塞で入院となったところから、今の介護が必要な状態になるまで、いろいろあったのだけど。一番は、やっぱり主治医が嫌な奴だったなあって。笑

リハビリをすれば、自主歩行ができるくらいにまできていたのに、リハビリ施設のない精神病院に転院させようとしたり。でもさ、ネットで見ると、精神病院に入院したばかりにコウシュクが進んで本来は歩けるはずだった人も寝たきりになってしまうとか、そういう情報があふれていたし。

見当識障害は顕著で、今日の日付や今の時間、自分がどこにいるかとか、そういうのわからなくなっちゃってるけど、幸い、家族の顔や名前はしっかり覚えてくれているし。だから、介護保険等をうまく使いながら、まずは在宅介護にしようってことに。

とはいえ、主介護者は、私ではなく、同居の兄。
私も実家の近くに今年3月に引越しはしてきたけど、仕事をすぐに辞めるわけにもいかないので、週2回の休み以外は兄に任せることに。
兄はずっと無職で、実家に寄生してるいわゆる「ニート」だったけど、母が入院してからずっと、風邪でダウンした2日間以外は、毎日病院に顔を出して洗濯物を届けたりしてくれてる。
「在宅介護」となると、兄の負担は一気に増えるけど、「いいよ」って言ってくれた。私が今、仕事を続けているのも、兄が母を見てくれているからこそだから。今は感謝の気持ちがある。ちょっと前までは、ずっと無職でどーすんだよ!って、わが兄ながら、蔑んでいたりもしたんだけどね。

でもきっと、母の状態は、これから、一進一退を繰り返しながらも、悪くなっていくのでしょう。
今よりもっと悪くなった時、その時は、私は母に一番近いところにいようって決めていて。


去年、母が救急車で病院に運ばれた日、その日は母の通院の日だったから、朝早くから実家に向かっていたんだけど。家に着いたら、母の様子がおかしくて。兄に聞いたら、昨夜から少し様子がおかしくて、起き上がれなくなったって話で。話しかけても受け答えが呂律が回らない感じで違和感ありありだったから、救急車を呼ぶよう言ったんだけど。その時、母が、「○○ちゃん、ご飯食べたの?」って聞いてきたんだよね。自分がめっちゃ大変な時なのに、何、40過ぎた娘の食事の心配してるんだよ?って。なんか泣けてきて。母のそばにいたいなって、その時、素直に思ったんだよね。


&実家の近くに20年以上ぶりに引っ越してきたら、母との思い出の場所がたくさんあって。
それは、自分が小学生から高校生までの思い出がつまってるんだけど。めっちゃわがままばっかり言って、困らせるようなことをしていたこととかたくさん思い出させられて。
もう、母と、こういう思い出の場所に立つことは難しいかもしれないんだけど。できるかぎり、やっぱり一緒にいたいなって思う。

いい歳をして、結婚もしないで、孫の顔を見せることもできなかった親不孝娘にできる、残された親孝行のシーンでもあるんだよね。最近は、母に会うたび、「お母さん、好きだよー!」って言ってる。そうすると母も、「お母さんも好きだよー!」って言ってくれる。笑
トイレとか介助しないと難しくなってるし、言葉で説明しても、それを正確に理解してくれることも少なくなってるから、ちょっとイライラして、「もう!」って怒っちゃう時があるんだけど。あんまり、怒らない人になりたい。死んじゃったお父さんもよく、「お母さんに、やさしくな」って、言ってたし。

やさしくしたい。
最期まで、きちんとやさしくしたい。
お父さんに、あんまりやさしくできなかった後悔も含んでの今の気持ち。

とりあえず、自分の気持ちの整理のために、ブログは書けるときは書くことにしようと思います。