カナダの大学を5月に卒業して仕事を探しはじめた娘がぶちあたった(私にとって隣家との壁くらい低い)壁を絶対絶命的なもの、と言ったときによしっ時期がきた、と内心ほくそ笑んだ。
そういう時はね、旅に出なさい。卒業祝いと23歳の誕生日のプレゼントに世界一周チケット買う…
私ら世代の10代は、今みたいにコンピュータの前で世界で同時に起こっていることなど知る術もなく、ラジオの短波放送やアメリカの古着や輸入「レコード」屋、海外留学帰りのボンボンの話やミニシアター系で上映される映画、島国ニッポンの外で起こっていることを知ろうと苦心した。
いや、それよりも祖父母、両親(特に父)がなんだか海外にやたら旅行していて、物心ついた頃から身近にあった洋行帰りのスーツケースからボワッと出てくるお菓子の甘い香り、コーヒー豆の芳香、ドイツ製の恐ろしく精巧な鉄道模型、8ミリビデオに映し出される外国に完璧に洗脳されて育ったことに影響するのかも。極めつけは、今や80歳近い母はソウルだのモータウンミュージックの信仰者という環境。
ともかく18歳でパスポートを取得して以来、旅する人生が始まった。そしてその中で育ってきた。
旅は平穏な日々だけではなかった。今、娘がブチあたったような…今にして思うと小さな自分にとって絶対絶命の壁。
そしてある日、小さな生命を授かった。
預金通帳睨み、履歴書を書き直し、四の五の言ってる場合じゃない、と。明日からミルクとオムツ代とそして将来医者になりたいとこの小さな生命が言い出した時に行って来いと札束渡せる母にならねば、と走りはじめた23年前。旅は続いた。
娘が進学でカナダへ発った後、小休止気分で東京でぼんやり暮らしていると娘から「お母さん、これからは自分自身の人生を楽しみなさいよ」背中をドーンと押された。そしてインドへ。
何故、人にうそをついてはいけないか、食べ物を好き嫌いで残してはいけないのか、人の言う事を鵜呑みにしてはいけないか、自分の身の丈…受けるに価する"deserve"ということ。本当に必要なこと、そのために捨てなければいけないこと、もの。どんなことがあっても守るべきこと、もの、ひと。
そんな人生で本当に大切なことを旅は教えてくれた。
カナダから西廻りで世界クルッと一周旅行中の娘が今夜デリーに到着する。
人生に大切なことを教えてくれたのは旅ではなく、本当は、あの日黙って背中を押してくれた親だったということに私は気づいているのだけど…