
私は広島出身というわけではないが、誕生日が8月6日ということもあり(誕生日の朝に毎年甲子園でサイレンが鳴って黙祷がささげられる)、子どもの頃から人より原爆や戦争について考えることが多かったように思う。
私が初めて平和記念資料館(原爆資料館)を訪れたのは、たしか中学1年の時だっただろうか。
焼けただれて皮膚がはがれ落ちた人、黒こげの炭になった死体、ガラスの破片が無数に突き刺さった少女、死体に埋め尽くされた河原、そして積まれた死体の山。
こういった写真が強烈に脳裏に焼き付けられた。
しばらくの間は、目をつぶるとその写真の光景がはっきりと思い浮かぶほどだった。
「こんな惨いことを、人間が人間に対して行ったのか!」「こんなことは絶対に繰り返してはいけない」と子ども心に強く思ったものだった。

ところが、10年程前、従兄弟の結婚式で広島を訪れ、再び原爆資料館を訪れたとき、非常にショックを受けた。
資料館の雰囲気も展示の中身も、ガラリと変わっていたのだ。
続きを読む前にクリックで応援おねがい!
↓ ↓ ↓

久しぶりに訪れた「原爆資料館」。
まず驚いたのは、海外からの観光客の多さだった。
ツアー客も含まれているとは思うが、3割から4割くらいが外国人だった。もちろん顔を見ただけでは、アメリカ人かドイツ人かロシア人かは分からないが…。
外国人たちは、わいわいがやがやぞろぞろと順に資料を見ていく。各資料の横に、英語と中国語の翻訳モニターがついていて、ボタン一つで切り替わるようになっていた。
「この場は完全に観光地化されている」と思った。
もう一つ、決定的な、にわかには信じがたい変化があった。
私が前回訪れたときに見たはずの、いまなお脳裏にこびりついている数々の犠牲者の方々の写真が、きれいさっぱりなくなっていたのだ。
私は、「これはぜったいおかしい。そんなはずはない」と思い、一度見終わった資料館を再度くまなく見てまわった。
しかし何度見ても、「原爆の光や熱で人の形が焼き付けられた壁」とか「被害者の少年がかかえていた黒こげになったお弁当」「被害者が着ていた服の切れ端」などの、間接的に被害を伝える「モノ」だけで、被害者の方々の姿はまるっきり無くなっていた。
展示のメインは、リトルボーイや当時の広島市街の模型に変わっていた。
>「爆心地における衝撃波の圧力は1平方メートル当たり35トン、突風の速度は1秒当たり440メートル」
>「爆発1秒後に最大直径約280メートルの高温・高圧の火球が発生しました。火球は強烈な熱線を約3秒間放射し、約10秒間輝き続けました。爆風の先端を進む衝撃波(しょうげきは)は、30秒後に爆心地から約11キロメートルの距離まで達しておとろえました」
>「急性障害は被爆後4カ月間に現れた病気で、熱傷や外傷による症状のほかに、初期放射線による特徴的症状として、爆心地から1.5キロメートル以内の被爆者に脱毛、出血、白血球減少が顕著(けんちょ)に現れました」
(平和記念資料館HPhttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/より引用)といったような、原爆の物理的な威力の説明と、淡々とした被害報告の展示ばかり。
実際の「平和記資料念館」の基本展示も、上のHPのとおりで、目を覆いたくなるような写真は一切なく、唯一、白血病のためにやせ細った人の写真が最後の最後に小さく展示されてあるだけだった。
原爆の威力の科学的データは明らかにアメリカの提供によるものだろう。
私は、このような資料館の中身の転換の背景に、自分たちの残虐行為を隠蔽しようとするアメリカ側の圧力を確信している。
あのような欺瞞だらけの展示であれば、あろうことか彼らアメリカ人は、罪の意識どころか、「パパ、原爆ってすごい威力だったんだね〜」「アメリカが造ったんだよ。アメリカの科学力ってすごいよね」とでもニコニコと会話を交わしながら、観光バスに乗り込んで次の観光地の宮島かどっかに向かうのだろう。
広島に落とされた原爆は、14万人の命を一瞬にして奪い、その後、じわじわと後遺症で約23万人の命を奪ってきた。
そして、長崎の原爆の死者は、即死状態で7.4万人。もがき苦しみながら死者の列に加わったのが、現在までに5万人以上。
アメリカは、50万人もの非戦闘員をこの兵器で殺害したのである。
しかもただ殺しただけではない。実験台として観察し、データを採っていたのである。
↓
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4ad76e0e215f4a6802892b637eb40cd4
なのに彼らは、原爆の投下が「何百万人もの人を救った」などとふざけたことを本気で信じている。それ自体、頭がイカレているとしか思えないが、展示内容が己が行った残虐行為を見えなくさせるようなものだったら、彼らは真実に気付くこともなく、50万人が苦しみもがき死んでいったことに対してハナクソほどの関心もよせないだろう。
原爆資料館のあまりの変貌振りに驚いた私は、後日、資料館に直接電話をかけて確認してみた。
電話に出られた資料館の担当の方(お電話の声や話し方からみて30代の男性?)も広島のご出身らしく、「子供の頃は入るのも怖かったけれど、今は展示全体が明るくなっている」という、私と似たような感想をお持ちだった。
実際、「昔展示してあった、焼けただれた少年の顔の写真などが展示から外されている」とおっしゃっており、「刺激の強い写真などが展示から外されてきた傾向はあるかもしれない」と明言はしないながらも(立場上しかたないのか?)認めておられた。
資料館は、数年おきに展示更新をしているらしい。
東館と西館に分けた平成6年の6月の更新の時に、大幅に展示が入れ換えられたそうだ。
「展示は、いったい誰がどうやって決めているのか?」
私の質問に、彼は、「学識経験者が集まって決められる」と答えた。
そこに不透明な圧力があったのか、それとも自主規制なのかは、電話でしつこく聞いたけれど分からずじまいだった。
このニュースを見てほしい。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200705310023.html
>原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。
スティーブン・リーパー理事長っていったい何者なんだ?どこの国の人間だ?
参照:東アジア黙示録
http://dogma.at.webry.info/200706/article_1.html
>原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声
おのれらの犯したジェノサイドを、よくもまあそう都合よく解釈できるものである。
ファルージャで大量にイラクの民間人を虐殺したことも、そうやって彼らは正当化してきた。
この発言は、久間氏の「しょうがない」よりよっぽど問題発言ではないのか?なぜマスコミはもっと大きく報道しないのだろうか?
とにかく、現状の原爆資料館が、このようなわけのわからない価値観を持つ人物によって運営され、展示内容を都合よく変えられ、単に外国人観光客がわいわい言いながら楽しむ場所にされているという事は確かなようである。
人類最大の残虐行為、最大の愚行が、多くの人々の死や苦しみが、単なる「観光のネタ」かよ…
そんな事が許されていいとはどうしても思えないのである。
※被爆した後、内科医になられた寄田享氏のHP
「核のない平和な21世紀を!被爆体験を通じて」
http://ww2.enjoy.ne.jp/~yorita/index.html
より、画像は転載させていただいています。
※追記:平和記念資料館では、平成13年より始まった企画展でわずかながら被害者の方の写真も展示はしているようです(平成15年)。
※一方的書き方になってしまいましたが、被害者の方の写真を展示から外すのには、被害者の方々やご遺族の方々に配慮して、あるいはあまりの悲惨な写真への自主規制、という理由もあるとは思います。しかし、それらの理由は、自らが行った残虐行為を認めたくないアメリカの詭弁(彼らはそういう詭弁をしょっちゅう使って人を騙す)で、このアメリカの残虐行為はありのまま世界に伝える事の方が重要なのではないかと考えます。
私が初めて平和記念資料館(原爆資料館)を訪れたのは、たしか中学1年の時だっただろうか。
焼けただれて皮膚がはがれ落ちた人、黒こげの炭になった死体、ガラスの破片が無数に突き刺さった少女、死体に埋め尽くされた河原、そして積まれた死体の山。
こういった写真が強烈に脳裏に焼き付けられた。
しばらくの間は、目をつぶるとその写真の光景がはっきりと思い浮かぶほどだった。
「こんな惨いことを、人間が人間に対して行ったのか!」「こんなことは絶対に繰り返してはいけない」と子ども心に強く思ったものだった。
ところが、10年程前、従兄弟の結婚式で広島を訪れ、再び原爆資料館を訪れたとき、非常にショックを受けた。
資料館の雰囲気も展示の中身も、ガラリと変わっていたのだ。
続きを読む前にクリックで応援おねがい!
↓ ↓ ↓

久しぶりに訪れた「原爆資料館」。
まず驚いたのは、海外からの観光客の多さだった。
ツアー客も含まれているとは思うが、3割から4割くらいが外国人だった。もちろん顔を見ただけでは、アメリカ人かドイツ人かロシア人かは分からないが…。
外国人たちは、わいわいがやがやぞろぞろと順に資料を見ていく。各資料の横に、英語と中国語の翻訳モニターがついていて、ボタン一つで切り替わるようになっていた。
「この場は完全に観光地化されている」と思った。
もう一つ、決定的な、にわかには信じがたい変化があった。
私が前回訪れたときに見たはずの、いまなお脳裏にこびりついている数々の犠牲者の方々の写真が、きれいさっぱりなくなっていたのだ。
私は、「これはぜったいおかしい。そんなはずはない」と思い、一度見終わった資料館を再度くまなく見てまわった。
しかし何度見ても、「原爆の光や熱で人の形が焼き付けられた壁」とか「被害者の少年がかかえていた黒こげになったお弁当」「被害者が着ていた服の切れ端」などの、間接的に被害を伝える「モノ」だけで、被害者の方々の姿はまるっきり無くなっていた。
展示のメインは、リトルボーイや当時の広島市街の模型に変わっていた。
>「爆心地における衝撃波の圧力は1平方メートル当たり35トン、突風の速度は1秒当たり440メートル」
>「爆発1秒後に最大直径約280メートルの高温・高圧の火球が発生しました。火球は強烈な熱線を約3秒間放射し、約10秒間輝き続けました。爆風の先端を進む衝撃波(しょうげきは)は、30秒後に爆心地から約11キロメートルの距離まで達しておとろえました」
>「急性障害は被爆後4カ月間に現れた病気で、熱傷や外傷による症状のほかに、初期放射線による特徴的症状として、爆心地から1.5キロメートル以内の被爆者に脱毛、出血、白血球減少が顕著(けんちょ)に現れました」
(平和記念資料館HPhttp://www.pcf.city.hiroshima.jp/より引用)といったような、原爆の物理的な威力の説明と、淡々とした被害報告の展示ばかり。
実際の「平和記資料念館」の基本展示も、上のHPのとおりで、目を覆いたくなるような写真は一切なく、唯一、白血病のためにやせ細った人の写真が最後の最後に小さく展示されてあるだけだった。
原爆の威力の科学的データは明らかにアメリカの提供によるものだろう。
私は、このような資料館の中身の転換の背景に、自分たちの残虐行為を隠蔽しようとするアメリカ側の圧力を確信している。
あのような欺瞞だらけの展示であれば、あろうことか彼らアメリカ人は、罪の意識どころか、「パパ、原爆ってすごい威力だったんだね〜」「アメリカが造ったんだよ。アメリカの科学力ってすごいよね」とでもニコニコと会話を交わしながら、観光バスに乗り込んで次の観光地の宮島かどっかに向かうのだろう。
広島に落とされた原爆は、14万人の命を一瞬にして奪い、その後、じわじわと後遺症で約23万人の命を奪ってきた。
そして、長崎の原爆の死者は、即死状態で7.4万人。もがき苦しみながら死者の列に加わったのが、現在までに5万人以上。
アメリカは、50万人もの非戦闘員をこの兵器で殺害したのである。
しかもただ殺しただけではない。実験台として観察し、データを採っていたのである。
↓
http://blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e/4ad76e0e215f4a6802892b637eb40cd4
なのに彼らは、原爆の投下が「何百万人もの人を救った」などとふざけたことを本気で信じている。それ自体、頭がイカレているとしか思えないが、展示内容が己が行った残虐行為を見えなくさせるようなものだったら、彼らは真実に気付くこともなく、50万人が苦しみもがき死んでいったことに対してハナクソほどの関心もよせないだろう。
原爆資料館のあまりの変貌振りに驚いた私は、後日、資料館に直接電話をかけて確認してみた。
電話に出られた資料館の担当の方(お電話の声や話し方からみて30代の男性?)も広島のご出身らしく、「子供の頃は入るのも怖かったけれど、今は展示全体が明るくなっている」という、私と似たような感想をお持ちだった。
実際、「昔展示してあった、焼けただれた少年の顔の写真などが展示から外されている」とおっしゃっており、「刺激の強い写真などが展示から外されてきた傾向はあるかもしれない」と明言はしないながらも(立場上しかたないのか?)認めておられた。
資料館は、数年おきに展示更新をしているらしい。
東館と西館に分けた平成6年の6月の更新の時に、大幅に展示が入れ換えられたそうだ。
「展示は、いったい誰がどうやって決めているのか?」
私の質問に、彼は、「学識経験者が集まって決められる」と答えた。
そこに不透明な圧力があったのか、それとも自主規制なのかは、電話でしつこく聞いたけれど分からずじまいだった。
このニュースを見てほしい。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200705310023.html
>原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。
スティーブン・リーパー理事長っていったい何者なんだ?どこの国の人間だ?
参照:東アジア黙示録
http://dogma.at.webry.info/200706/article_1.html
>原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声
おのれらの犯したジェノサイドを、よくもまあそう都合よく解釈できるものである。
ファルージャで大量にイラクの民間人を虐殺したことも、そうやって彼らは正当化してきた。
この発言は、久間氏の「しょうがない」よりよっぽど問題発言ではないのか?なぜマスコミはもっと大きく報道しないのだろうか?
とにかく、現状の原爆資料館が、このようなわけのわからない価値観を持つ人物によって運営され、展示内容を都合よく変えられ、単に外国人観光客がわいわい言いながら楽しむ場所にされているという事は確かなようである。
人類最大の残虐行為、最大の愚行が、多くの人々の死や苦しみが、単なる「観光のネタ」かよ…
そんな事が許されていいとはどうしても思えないのである。
※被爆した後、内科医になられた寄田享氏のHP
「核のない平和な21世紀を!被爆体験を通じて」
http://ww2.enjoy.ne.jp/~yorita/index.html
より、画像は転載させていただいています。
※追記:平和記念資料館では、平成13年より始まった企画展でわずかながら被害者の方の写真も展示はしているようです(平成15年)。
※一方的書き方になってしまいましたが、被害者の方の写真を展示から外すのには、被害者の方々やご遺族の方々に配慮して、あるいはあまりの悲惨な写真への自主規制、という理由もあるとは思います。しかし、それらの理由は、自らが行った残虐行為を認めたくないアメリカの詭弁(彼らはそういう詭弁をしょっちゅう使って人を騙す)で、このアメリカの残虐行為はありのまま世界に伝える事の方が重要なのではないかと考えます。













特に、外国の方がどんなことを書いていったのか、知りたいです。
本当に「パパ、原爆ってすごい威力だったんだね〜」「アメリカが造ったんだよ。アメリカの科学力ってすごいよね」というような感想があったのでしょうか。
最後のインタビューアーが素人だった所為で、番組の趣旨と違った結果になりました。たぶんインタビュアーが感情的になりすぎた所為だと私は思いました。
少なくともこの時点では、私の見たときと同じ展示じゃないかと思うのですが。どうなんでしょうかね。
記帳は見た事がないですね。見てみたいです。
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/c25.html
>私はアメリカ合衆国について決して謝罪しない。事実がどうであるかはどうでもよい(ジョージ・ブッシュ)
>※米国戦艦がイランの旅客機を打ち落とし、290名の命を奪ったときに、副大統領として発言したもの。Newsweek, August 15, 1988.
大統領がこういうことを平気で言う国家ですからね…。謝罪は期待できないかもしれません。
原爆投下については、このサイトに結構エゲつない情報が掲載されています。ぜひご一読を!
↓
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/atomic_bomb.html
ドイツがホロコーストの展示をしているように日本も南京大虐殺の展示もするべきだと思います。
上記のコメントを読み、感じました。
日本人が日本側に立った歴史観を否定しても
所詮、アメリカの白人にジャップと差別されるのに
どうしてアメリカ人の肩を持つのでしょうか?
お前は本当に日本人か?
日本人として恥ずかしい。
南京大虐殺なら原爆大量殺戮だろう。
どうして投下なのだ?
漬物石を落としたのじゃないのだ。
こんな矛盾を平気で教科書に載せること自体、
アメリカの検閲を受けたアメリカにとって都合の良い日本の歴史教科書で学んでも真実は見えてこない。
沖縄で米兵が罪も無い日本人をひき殺しても日本政府が賠償金を払う。それをおかしいと指摘もできないマスコミ。
日本はアメリカの植民地であると認識すべきである。
真の独立を目指そうではないか。