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七曜工房みかん島

18年間の大三島暮らしに区切りをつけ、
滋賀大津湖西で、新たに木のクラフトと笛の工房
七曜工房を楽しみます

産須奈大祭も終わり・・・台風も去り、ほっ!

2006年10月19日 | 大三島での生活
産須奈大祭(うぶすなたいさい)も無事終わり、
家に居ても、いつもどこかで祭囃子の太鼓や笛の音が聞こえてくる幻聴も消えた。
太鼓持ちの役目の人の頭の中で、鳴り響く太鼓の音も消えただろうか?
簡単に見える太鼓持ちも、重くて、耳の傍で太鼓の音が1日中鳴り続けるので、
結構辛い役目だそうだ。

産須奈大祭は、
旧暦の8月21~22日に行われる大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の秋の氏子祭りで、今年は10月14~15日に行われた。
2日目の御輿渡御(みこしとぎょ)には、大三島各地の山車や獅子や奴っ子の供奉が一同に集い、演舞を奉納して豪華絢爛な祭りとなる。
大山積(おおやまづみ)の神は、もともとは山の神であり、それでいて海の神、武神、農神であるというオールマイティの位の高い神様なので、
島中の位の低い氏神神社の氏子が集まり、祭典を営むらしい。

大山祇神社の御輿の宮出し
大山積(おおやまづみ)の神が乗り移られ、渡御(とぎょ)される。


わが瀬戸は、大山祇神社の発祥の地であったということから、
産須奈大祭の行列の先導をとり、それが大いに誇りであるらしい。
産須奈大祭で奉納される、獅子舞はによってそれぞれ特色がある。
そして、山車も奴っ子も道化衆も、装束も化粧も様々である。
「わがこそ、一番!」と、練習と準備を重ねて、獅子を舞い祭囃子を鳴らす。
白塗りの顔で、道化役を演じている知人を見つけ、吃驚して笑ってしまうこともある。
わがの見世物は、若衆の投げ奴であり、軽快に毛槍を投げ渡しあうのが、見せ場である。

先頭を行く我が瀬戸の投げ奴っ子


二人獅子


神事の後、町に繰り出す”布団だんじり”


この日も、瀬戸の祭供奉総勢80人程は、神事の後、
大三島町のお迎えを待っていてくれる家々で奉納舞をして回り、
瀬戸のお旅所に戻ったのは夜遅くになった。
こうして各家庭から戴く「お初穂」が、祭運営の貴重な財源となるそうである。
お旅所で、提灯を持って待つの人たちを前に、
囃子を高らかに鳴らし、獅子を舞い、今年の秋祭りの総てが無事終了した。

私は、去年も今年も、お供の人たちが休憩や食事する場所場所で待機して、
お弁当を用意したり、カップラーメンを作ったりする、賄いの役目であったので、
残念ながら、産須奈大祭は、ほとんど見ることができなかった。

力飯 大山祇神社の男の氏子さんたちが握った大きなおにぎり。
ご利益があるという。提灯を持ちで迎えてくれる人にも、持って帰り配る。


しかし大先輩達の賄いの手際良さに見とれたり、
昔の祭りの様子や、いい伝えを聞き、いろいろなことに驚いたり、感心したり。

そして、引越し当時、産須奈大祭を見に行き、
訳も解らず、どこかののお供に付いて歩き、
「なぜ、各戸で獅子を舞うのか」「どこに行くのか」
「他の沢山の御輿や獅子はどこに行ったのか」
と大変不思議に思っていた謎が、いくらか解けた。
まだまだ、”祭”は奥が深そうである。

来年で夫の神社総代の役目が終わったら、
ゆっくりじっくり産須奈大祭を見るのが、大いに楽しみになった。
今度は、ちょっとした地元の氏子気分で見れそうである。

祭に浮かれている間に、心配した台風18号も、日本のはるか東に去っていった。
なにしろ家の回りに下水工事の大きな溝を掘っていたので、
もし台風が来たら基礎に水が廻ったり、浸水がひどくならないかと、
随分やきもきした。
焦った為か、夫は、途中二度ばかり、水道管をスコップで割り、手間取ったようだ。

トイレ、台所、洗面所など総ての排水実験をしたら、ちゃんと水は流れてくれた。

トイレと洗面所の配管を見る夫


「水流すし、流れていったら合図して」「あっ、水が来た。流れてきた」
排水OK! 配水管設置、成功! 溝を埋め戻す。

やっと、家の周りの大きな溝も埋められて、一安心である。


コメント (4)
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