霧島家日誌

もう何が何だかわからないよろず日誌だ。

私の小説感その2『私の目指す小説』再整理

2009年11月06日 15時57分35秒 | 雑学
ごきげんよう諸君。いかがお過ごしかな。物凄い勢いで本を読まなければならなくなり、物凄い勢いで死んでおる霧島である。院試対策もやらないとだし…めんどくさー。ちなみに最近順調に更新されておるのは、学校に行ってるからである。授業中は暇だからな。基本的に授業中記事を書いておるから、出席率と更新速度は比例する訳だな。


さて、今回は、前回の話をもう一度整理して再検討することにしよう。この辺はきちんとしておかないと、私自身の姿勢にも影響してくる訳だからな。



まず第一に、私はやはり純文学が嫌いである。理由は読んでてつまらんからである。私が『罪と罰』とか『ファウスト』とか『三国志』とかよく読んでるのは面白いからだ。しかし本来、まぁ三国志はともかく、罪と罰とかファウストは純文学に属する小説である。まぁ私のいう純文学ってのは芥川とか太宰とか直木賞とか芥川賞とかその辺だから、国内純文学とかいったところかな。

では何故私は国内純文学が嫌いなのか。これは私も長年不思議に思っておった。本来、私は古典が大好きである。古事記とか日本書紀は小学生の頃特に読んでおったし、孔子とか最古儒学、呉子、墨子といった大陸古典も中学生の頃にはそれはもう嘗め回すように読んでた。と言うか読みすぎで、漢文の授業中やることがなくて困った。

西洋文学に興味が出たのは高校の頃からである。特にロシア文学に傾倒したが、まぁ、なんだ、欧州の小説というより欧州の伝承が好きだ。ファウストが好きなのもそのせいだろう。あれ、ファウスト教授みたいなのの伝承が昔からあって、それを再構成して書いたらしいからな。神話とかは子供の頃から読んでおった。大学に入ってからは思想史に傾倒してご無沙汰だがな。


斯様に、私の場合、国内の小説だけピンポイントで嫌いなのである。この原因は何であろうか。

それはやはり、私の価値観であろう。

私自身、小説という表現形態の限界に悩んでおるが、やはり脳内で妄想できるというのは小説の強みである。唯一に近い強みと考えておる。以前、ゲームにおけるコミュニティの必要性について話をしたな。この記事だ。この記事に、ACはどんなにクソゲーでも愛されるという話を載せておる。どんなに酷くても患者が愛してくれる。

んで、ACシリーズの次回作を期待している私もまた患者な訳だが、あのシリーズにはシナリオに一つ大きな特徴がある。第一に、キャラの顔は絶対に出さないこと。公開されるのは台詞のみ。そして第二に、ストーリーは手抜き。前者は初代からの伝統だが、後者はSLあたりから急速に台頭してきた要素である。

ここで問題なのは、この二つを克服したらACは売れなくなるということである。下手するとメーカー倒産すらありうるのである。まぁ顔絵を敢えて出さないというのは、それぞれの登場人物をプレイヤーの想像(妄想)に任せるという狙いがあるだろうしそれはそれでアリな手法であろうが、ストーリー手抜きはマズいだろ。

しかし、ストーリー手抜きじゃないとACは売れないのである。

これは、ACプレイヤーの多くが患者だからである。ACwikiの創作コーナーを見るとよく判る。イラストガレージでは、ゲームに出てくるキャラの絵が精力的に投稿されており、誰かが投稿した絵を見たらそれに感化されて誰かが違う絵を投稿しそしてそれに感化されて~…と続くのである。

まぁ見てみてくれ。ちなみに今確認したところ、十一月三日だけで画像が四つ投稿されておるな。ちなみに女の子がやたら出てくるが、全て妄想の結晶体である。ACのキャラは全員顔なしだからな。基本的に台詞から考える訳だが、重量機使い=おっぱい!おっぱい!とかもう色々とカオスだ。

これが、患者の数が少なければ話は違ってくる。ただクソゲーと認定され、ただ消えていくだけである。しかしながら、ACは非常に大規模でありかつ深いファン(患者)によって構成されるプレイヤーの共同体(コミュニティ)が存在するのである。極端な話、患者の求めるACの新作は、ゲームではないのだ。患者の新しい妄想のタネなのである。

であるからこそ、完成されたストーリーは求められない。例えば、世界設定は矛盾しているほうがいい。勿論矛盾だらけで破綻してたら駄目なんだが、ある程度は矛盾している必要がある。何故かというとつじつまがちゃんと合ってたら妄想する要素がないからだ。普通なら「コレ矛盾してるだろ」「おかしいだろ」となるところだが、患者にしてみるとこれは解き明かすべき謎になる。だから適度に矛盾していた方がいいのだ。

同様に、ストーリーもできるだけぼやけさせる必要がある。これが、意図的に謎を作ったりプレイヤーの想像に任せると判断して脚本書いたりするならいいのだが、基本的に丸投げであり手抜きである。だがそういった手抜きこそACに必要とされる要素なのだ。


斯様に、妄想できるかできないかというのは、その作品群にとって非常に重大な点になるのである。特に小説というのは文章のみのモノラルであり、ほぼあらゆる要素を脳内補完しないといけない。そういう意味においては、小説というのは妄想ネタの宝庫なのだ。

しかし、妄想ネタがあるからといって妄想するとは限らん。妄想ネタを誰かに提供して妄想させるには、そのネタが面白いことが必要なのである。言い方を変えれば、『妄想しようという気にさせる何か』が求められるのだ。

ここが肝要である。妄想しようという気にさせる何か。

それは、ACの場合、まず第一に3Dメカアクションの先駆であるという点に求められる。初代ACは無印プレイステーションものであり、当時は3Dゲームというのは非常に珍しく、また求められていた。特にバーチャファイターとファイナルファンタジーは重大な影響を与えた。お陰で、スト2とKOF以外の2D格ゲーが淘汰されたのである。

バーチャ以前は他にも月華の剣士、サムライスピリッツ、豪傑血一族、飢狼伝説、龍虎の拳、などなど色々あったんだが、全部なくなった。ゲーセンに並んでいたこれらの2Dゲームがまとめてなくなり、代わりにバーチャ、鉄拳あたりが並ぶようになったのだ。レパートリー減衰も甚だしい。これぐらい、3Dゲームというのは当時衝撃的なものだったのである。

その中で、3Dロボットアクションの先駆として登場したのがACだったのである。それまでドット絵だったロボットが3Dで360度どこからでも見られるようになったのだ。しかも、パーツを組み合わせて自分だけのメカを作り上げる楽しみは、これ以前ではフロントミッションぐらいなものである。

更に、当時としてはストーリーも新鮮であった。と言うか、キャラが喋るってところが新鮮だった。かのFF7ですら声なしで、キャラがしゃべるという事自体が革新的要素だったのである。プレイステーション発売まで既にファミコン発売から九年経っていた訳だが、それでもキャラが喋るゲームは殆どなかったのである。

そこに、(今から見るとショボいが)Stylishなパーツを組み合わせてメカを作り上げ、雪の降る古城や企業の実験施設に出撃し、喋る敵と戦うのである。いうまでもなく、これはヒット作となった。この後、プロジェクトファンタズマ、マスターオブアリーナ、そしてPS2シリーズへと続いていくのである。では、ストーリーの手抜きはこの頃問題とならなかったのか?

ならなかった。それが答えである。当時はゲーム機の描画能力も3D関連技術も未熟であり、またCD-ROMだったため、容量も650MBに拘束されていた。当時のゲーム機の限界として、表現能力の限界がまだまだ低かったのだ。故に、手抜きというよりは表現能力の背伸びをせずプレイヤーの想像に任せた形となった。と言うか、無理にストーリー作るぐらいならパーツ増やそうという方針である。身の丈にあったゲームづくりだ。実際、シナリオが怪しくなるのはネタサスかSLあたりからで、それ以前はまぁそこまで酷くなかったってのもあるが。

斯様に、ACシリーズは3Dメカアクション界を引っ張ってきた。そこには当然、愛着が生まれる。愛が生まれたと言い換えてもいい。そしてPS2になって大手タイトルが続々とフルボイス化、キャラ絵の徹底といった形をとっていった中、プレイヤーの想像に任せるという方針を採り続けた。まぁここまではいい。

問題は、何ゆえ天下のクソゲーネクサスクソゲー of the year受賞のNBが発売された後もACシリーズは持ちこたえ、明らかな失敗作4を経てもその人気が衰えなかったのか。これはひとえに、その欠点、未完成部分をあくまで「謎」とポジティブに捉え、患者への道を突っ走ったプレイヤー層のお陰である。

ACシリーズはどんなクソゲーが出ても患者が減らない理由というのは、まぁこの辺である。


つまるところ、作品の出来不出来よりそれを取り巻く環境が重要ということである。これは恐らく、純文学にも通ずるものがあるだろう。ここからは推測だが、恐らく、明治文豪連中の著作は、ただ読むだけではその良さの1ピコグラムも判らない。どういう時代背景があって、書いた奴はどういう人間で、どういう状態で書かれて、発刊後どんな評価を受けて、といったところまで総合的にみないと、その良さはわからないのだろう。

が。

作品そのものが面白くなけりゃ話にならん。

私はそう思っている。だから国内純文学が嫌いなのである。勿論、どんなものが面白いかは個人差がある。だから無限かつ絶対的にはいわんが、しかし、私の常識からしてみればつまらん。つまり、妄想しようという気にさせる何かがないのだ。であれば、態々そんなものの為に時間を割く理由もないという事である。妄想してしまった人による共同体(コミュニティ)として純文学界(?)みたいなものがあるが、興味は起きんな。

妄想させたかったらその前に楽しませろってのが私の基本姿勢だ。ファウストとか好きなのは勿論その背後にあるドイツの賢者の伝承とかが好きだからというのもあるが、やはり本編が面白いからだ。まぁこの辺は、ちょっと込み入った話ではあるが。

つうのも、芥川とかは0から物語を作ったのだ。全部自分の頭の中で考えた。まぁ太宰の走れメロスなんかはモロパクリな訳だが、まぁ基本的に頭の中で考えてる。一方ファウストはファウスト博士っていう伝承が百年二百年と脈々と受け継がれてきて、それをゲーテっていう人間が受け取って書いたのだ。だから、芥川の羅生門とかのが面白かったら逆にそれはどうかって話にもなったりする。無論、明治文豪シリーズも頭の中に各種漢文古文の知識を頭に入れてるから完全に不利という訳ではないんだが…



まぁ長くなったし、今日はこの程度にしておこう…叙述とかについては後日。

以下コメ返信(次回話す予定除)



>応援してくれた人全員
ありがとうございます(´;ω;`) 割と素で感動しました
しかしどうやって渡せばいいかな…mixiでコミュニティ作るかメールで送るか……

>たとえ
まじすか(´・ω●`) 本のタイトル?


7 コメント

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Unknown (ごてぃ)
2009-11-06 17:07:28
フーコーのはおそらく『歴史学・系譜学・考古学』で出ているかと。
ただ訳がクソ難しくて、いっそ一からフランス語勉強して原文で読んだ方がマシという声もありますが。

環境が作品を生み出し育てるというのはまさにそうだと思います。AC以外でもそういう例はネット上にゴマンとありますし。純文学だって、国が環境を保護してくれるからいまだに生き続けてられるのであって。
まぁどれも楽しめるのが一番得だと思いますけどね。
最近のライトな小説を「コミック的なリアリズム」とこき下ろすのが仕事な某都知事なんか、損してるよなぁと。
うちの研究室の人たち全員彼のこと気嫌いしてますけど。


>スト2とKOF以外の2D格ゲーが淘汰された

先生ー、最近新作出したばっかのアークは勘定に入りますかー?
しかし今ゲーセン覗いてみると、昔の2D格ゲーが結構残ってるんですけどね。ライユーとかもいまだに健在です。
Unknown (霧島)
2009-11-06 18:00:24
>乙訳
mjsk……(´・ω・`)
まぁ、ジョナサン・クレーリーのも訳本あるみたいですし、こっち見てみようかな…『知覚の宙づり』と『観察者の系譜』ですよね?

>環境が~
それに加えて、2ch、youtube、ニコニコと、どんどん誰でも作品を生み出し公開できる状態が整ってきてるんですよね。ニコマスはレベルの高い作品もすごく多いし…これからは、むしろ同人(と言うとアレかもだけどニコマスとかACwikiとか)=無料とプロの作品=有料の並立をどう調整するかとか、その辺が問題になるかなと思ってます。

しかし電通どうにかせんとアニメ産業死ぬぞ。麻生のアニメミュージアムは褒められたものじゃないとしてもそういう政策を打っていくのは壊滅状態の日本動画産業に必要だろう…ただでさえ時代劇とアニメぐらいしかワールドワイドで通用するものなかったのに……

どれも楽しめるのが一番いいというのは私も全面的に同意します。


>都知事

わが神奈川県ではいやしくも知事たるものがゲーム等の表現を規制するなどという気違いじみた政策をとったことをここに深くお詫びすると同時に、我々神奈川県住民は都知事をどうこう言う権利がないことを表明するものでありますorz


>ゲーセン
正確に言うと、3Dゲームがガチで一世を風靡した時期『は』淘汰されてました。実際、あの時期は本当に何もなかったんですよ。スト2ですら3D化してましたし、SNKの看板サムスピすら3D化してましたからね。

バーチャ旋風が収まったあたりに生きてたって言うと、スト2、カプコンvsシリーズ、KOFぐらいなもんで。それに、アギトが放送されてた平成十三年(西暦2001)にはカプコンが新作製作打ち切り、SNKが倒産してますので、2D格ゲー市場そのものが死亡してorz

それからしばらくしてようやく出てくるのがギルティ、メルブラ、北斗とかで…まぁ今でも市場として行き詰ってるのも確かで、古いゲームが見直されてゲーセンの主力になったりもしてます。中野TRFなんか北斗はともかくもうひとつの主力が餓狼MOWですからね。月華とか入ってたりするし。

そういえば秋葉駅前のでっかいゲーセン、エイリアンvsプレデター普通に置いてましたね。またやろうかな~…マッドプレデターまでノーミスはいけるんですがアレのハメかたがなかなか。
追記 (霧島)
2009-11-06 18:05:22
追記

読んでくれる人、マイミクかメアドお願いします(´・ω・`) 私はそのまんま霧島薫でmixi入ってます。

あとししおーそさん、どの辺が難しかったか教えていただけると…
Unknown (ごてぃ)
2009-11-06 19:15:23
ジョナサン・クレーリーのはそれです。
順番的には『観察者の系譜』が先なので。


せめて、ほとんどがフリーランスというアニメーターについて、人として最低限の労働条件を保障する法律考えるくらいはしてやってもいいんじゃないかと思いますよ。規則作るだけだったらほとんど金かからないわけだし。
そういうのはむしろ民主の十八番のような気がします。

ちなみに格ゲーは昇竜拳が出せないので、生まれてこの方ずっと見る専です……。
見るだけだったらそこそこ知ってると思うんですけど。
そういえば最近はKOFも弾幕張る時代になったそうで。
Unknown (黒楓 in 地獄の国より)
2009-11-09 23:11:27
>格闘ゲーム
ギルティギアXが出るまでは本当に2Dアーケードは盛り上がらなかったです…。;;

その後ギルティギアXX青リロなんかが出て持ち直した!と思いきや続編でコケちゃって
「なんでこんなことにぃ!」

ちなみにアークの新作はSTG投げハメゲームになってしまいました。アークは本当に人をボールにするのが好きですね。

「今は弾幕が微笑む時代なんだ!」

>アニメ業界
少しだけ調べた事がありますが、アニメーターの生活の悲惨さは筆舌に尽くしがたいものがありました。拘束時間長いのに、お給料だけだと食べられないってオカシイですよね。
エロマンガ家も連載持ってても同人出さないと食べていけないんですよねぇ…。
テレビの業界も印刷業界も苦しい状況が続いていますから、仕方ない気もしますが。
そういえばTBSが赤字出したとかニュースで見ました。時代も変わるものですね。

>メールアドレス
霧島さんの作品、楽しみにしています。お話の舞台についての知識がほぼ0の状態なので、中世近世のドイツ史を洗いながら丁寧に読んでいこうと思います。


>フーコーについて
「狂気の歴史」「死の権力」くらいしかわかりません。どうみても私が場違いです。本当にありがとうございました。
Unknown (ししおうそ)
2009-11-09 23:11:51
よし、最初に言っておくが立派に文章を書けずに非常にわかりづらい語りになるかもしれない。

<たとえ
なんていうかその対象について深く掘りさげていく傾向が見られると思っている。
もっと簡単に出来るところはそうした方がいいんじゃないかなと個人的に。
冗談を交えながら、とかよく見るしじゃなければ他の書き方でも良いしまあでもこんなことを言ってしまうのは自分が世界史、日本史にあまり興味がないために敬遠している事実があるから感じているのかも。
現に他の人は問題なくそれぞれの文章を読んで感想に出しているし

まあこんなところか(GA風に)

アドレスを直に出すとスパムが割と嫌だから困るけど他に方法が見つからん!というわけでここに書こう
mixiはやっていません。
Unknown (霧島)
2009-11-09 23:15:41
ちょっちょっちょっおまいら

トップ記事にメールアドレス晒してるんだからメールしてくれれば良かったのに…(´・ω・`) ししおーそさんの言うとおりスパムの可能性もあるからコメント編集したぞよ