おととい書いた、将棋世界3月号の話の続き。
竜王戦に関するたくさんの記事の中で、僕が一番共感し、かつ、感銘を受けたのは、
梅田望夫さんの「機会の窓を活かした若き竜王」というコラムです。
内容のダイジェスト
です。
上の世代のトップ棋士たち
谷川・羽生・佐藤・森内・深浦
良質な日本人が将棋という日本文化の伝統をしっかり受け継いだ素晴らしさ。
日本的美質。
渡辺
上の世代の棋士とは一味違う「世界の同世代の俊才たちの一人」というコスモポリタンな雰囲気。
本当にこの形容はぴったりだと思います。
同じ天才でも、質が違う。
「立て直せる時間」
第一局、己の将棋観を根底から覆された上でのパリので大惨敗。
その時の渡辺の言葉。
「シリーズ後半でこれをやられていたら、もう終わりだった。第一局でよかったと思わなければいけません。立て直せる時間があるかもしれない。」
第一局でのこの負け方の余波でここから一つか二つは負けるだろう。でも間に「立て直せる時間」があるから三つは続けて負けないかもしれない、と。
この話、とってもいいです。
いかにも渡辺竜王らしい言葉です。
このことは、年末の「七番勝負が残したもの」という記事でも触れました。
--------------------------------------
先ほどのパリの一局目での渡辺の話。
『シリーズ中盤でこれをやられていたらお終いだった。
まだ、立て直せる時間がある。』と。
振り返ってみると、
渡辺の立て直しの時間。
=1局目から4局目=一ヶ月と1週間
4局目で勝ち切れず悪い流れを作ってしまった羽生が立て直すための時間。
=4局目から7局目=20日
立ち直り、気分転換、切り替えに使える期間に、これだけ大きな差(約17日)があるわけです。
前半は間が開いていたけど、後半になるとどんどん過密日程になっていく、この竜王戦のスケジュールが、両対局者にとって重要であったと共に、この誰が決めたかわからない日程が二人の運命を決めたとも言えるかも知れない。
----------------------------------------------
どんな悪い事でも、すべて前向きに捉える発想。
梅田さんが言う、楽観的で明るい捉え方。
オープンでドライ、頭の回転が速く、現代的、コスモポリタン的。
すべて肯定的に、好意的に、前向きに解釈し、理解するという姿勢です。
将棋観を根底から覆されて大惨敗を喫したのに、
あー、第1局でよかった、と。
シリーズ後半でのことでなくて、本当によかった、と。
これは、ついてるぞ、ラッキーじゃん、と。
「勝負の鬼」と「将棋の鬼」
「勝負の鬼」
棋士はどこまでも勝負師であって、勝つことだけを考えるのが本当である。将棋は結局勝たなければウソ。どんな不利な状況でも闘志を失わず、希望を捨てない。
「将棋の鬼」
勝負の鬼だけでは、将棋の道の極地が究められるだろうか。真理に達しうるだろうか。勝負の鬼よりも将棋の本質に徹し、一歩でも真理に近づけばその方が強いはずだ。
最近の羽生は、番勝負でもリードすると実験をする。
将棋の真理をめぐる仮説の検証する場としてタイトル戦の大舞台が使われる。
第四局を前に、
3連敗で追い詰められた渡辺は「勝負の鬼」に、そして、羽生は「将棋の鬼」になっていた。
谷川が羽生を見て、
七冠になろうとしていた時の羽生は「勝負の鬼」。
今の羽生にはそういう力みが感じられない
「将棋の鬼」。
最近の羽生は、番勝負でもリードすると実験をする。
ほんと、そういう指し手、構想、最近見られますね。
余裕をかましてるというようにも捉えられるけど、
そうではなく、相手と別の方向を見て、対局している、という感じがします。
見ている視線の先、視界が違う。視野も違う。
我が道を行く。
奥の深すぎる森とか荒野とか宇宙をじっと見据えている、というように見える。
しかし、去年の名人戦だけは、勝ちに来た
「勝負の鬼」だったような気もしている。ご本人としては、そのあたりどう思っているのだろうか。
別に何も変わらなく、目の前の一局を淡々と集中して指している、というだけなんだろうか。
「機会の窓」
どんなに才能溢れる人であっても人生における「機会の窓」が開くことは稀である。人によってはたった一回だけということもありうる。その機会の窓を活かせるかどうかで残酷だけどそれが人の一生を大きく左右することになる。
第七局は渡辺の前に一瞬開いた「機会の窓」だったのではないか。
渡辺にとって、人生の決定的瞬間だったのではないか。
この「機会の窓」という話、よくわかります。
人生って、そういうことあるのだと思います。
人生を左右する大きな、決定的なターニングポイント。
でも、突然、一瞬開く「機会の窓」というのは、本人はわかるのだろうか。
認識できない事の方が多いのだろうか。
多分、そうなんだろう。
あー、そういえば、あの時、開いていたのかもしれないな、と後になってわかるのかも。(あー、あの時こうしておけば人生変わっていたかも、と。)
いや、普通の人間は、あの時、一瞬開いていたなどということも、何もわからず一生過ぎていくのかもしれない。(それはそれで幸せかあ。)
「最高峰の将棋とは」
故金子金五郎九段の言葉を借りれば、
『最高峰の将棋とは、勝負と言う形式をとりながら、人間と人間の交わりである。
生命をけずって、心底のものをさらけ出して、交わろうとする人間の願いを、将棋を通して現そうとする行為。』
この言葉どおりに、今回の七番勝負は、
『羽生、渡辺の二人の人間が真底のものをさらけだして交わろうとしたゆえの名勝負』であったと。
だからこそ我々に大きな感動をもたらした。
この言葉も深いし、いいですね。
「生命をけずって、心底のものをさらけ出して、交わろうとする人間の願い。」
これ、いかにも将棋だから言える言葉かもしれないです。
囲碁とか、またニュアンス、違いますよね。
「命を削るほどの勝負。」
「人間としての全存在を賭けての戦い。」
こういうところが見える、感じられる将棋というのは、
僕らファンにとっても、他にはない、たまらない魅力に溢れています。
これからもこの竜王戦のような、最高峰の将棋の持つ魅力を、僕らに与え続けてください。
妨害だの、警告だの、横槍だの、そんなことしてる暇があったら、
棋界全体で一致協力し、知恵と汗を出し合い、
さらに質の高い、興奮や感動を呼ぶ将棋を創っていって欲しいと願っています。
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竜王戦に関するたくさんの記事の中で、僕が一番共感し、かつ、感銘を受けたのは、
梅田望夫さんの「機会の窓を活かした若き竜王」というコラムです。内容のダイジェスト
です。
上の世代のトップ棋士たち
谷川・羽生・佐藤・森内・深浦
良質な日本人が将棋という日本文化の伝統をしっかり受け継いだ素晴らしさ。日本的美質。
渡辺
上の世代の棋士とは一味違う「世界の同世代の俊才たちの一人」というコスモポリタンな雰囲気。
本当にこの形容はぴったりだと思います。同じ天才でも、質が違う。
「立て直せる時間」第一局、己の将棋観を根底から覆された上でのパリので大惨敗。
その時の渡辺の言葉。
「シリーズ後半でこれをやられていたら、もう終わりだった。第一局でよかったと思わなければいけません。立て直せる時間があるかもしれない。」
第一局でのこの負け方の余波でここから一つか二つは負けるだろう。でも間に「立て直せる時間」があるから三つは続けて負けないかもしれない、と。
この話、とってもいいです。いかにも渡辺竜王らしい言葉です。
このことは、年末の「七番勝負が残したもの」という記事でも触れました。
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先ほどのパリの一局目での渡辺の話。
『シリーズ中盤でこれをやられていたらお終いだった。
まだ、立て直せる時間がある。』と。
振り返ってみると、
渡辺の立て直しの時間。
=1局目から4局目=一ヶ月と1週間
4局目で勝ち切れず悪い流れを作ってしまった羽生が立て直すための時間。
=4局目から7局目=20日
立ち直り、気分転換、切り替えに使える期間に、これだけ大きな差(約17日)があるわけです。
前半は間が開いていたけど、後半になるとどんどん過密日程になっていく、この竜王戦のスケジュールが、両対局者にとって重要であったと共に、この誰が決めたかわからない日程が二人の運命を決めたとも言えるかも知れない。
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どんな悪い事でも、すべて前向きに捉える発想。
梅田さんが言う、楽観的で明るい捉え方。
オープンでドライ、頭の回転が速く、現代的、コスモポリタン的。
すべて肯定的に、好意的に、前向きに解釈し、理解するという姿勢です。
将棋観を根底から覆されて大惨敗を喫したのに、
あー、第1局でよかった、と。
シリーズ後半でのことでなくて、本当によかった、と。
これは、ついてるぞ、ラッキーじゃん、と。
「勝負の鬼」と「将棋の鬼」「勝負の鬼」
棋士はどこまでも勝負師であって、勝つことだけを考えるのが本当である。将棋は結局勝たなければウソ。どんな不利な状況でも闘志を失わず、希望を捨てない。「将棋の鬼」
勝負の鬼だけでは、将棋の道の極地が究められるだろうか。真理に達しうるだろうか。勝負の鬼よりも将棋の本質に徹し、一歩でも真理に近づけばその方が強いはずだ。最近の羽生は、番勝負でもリードすると実験をする。
将棋の真理をめぐる仮説の検証する場としてタイトル戦の大舞台が使われる。
第四局を前に、
3連敗で追い詰められた渡辺は「勝負の鬼」に、そして、羽生は「将棋の鬼」になっていた。
谷川が羽生を見て、
七冠になろうとしていた時の羽生は「勝負の鬼」。
今の羽生にはそういう力みが感じられない
「将棋の鬼」。
最近の羽生は、番勝負でもリードすると実験をする。ほんと、そういう指し手、構想、最近見られますね。
余裕をかましてるというようにも捉えられるけど、
そうではなく、相手と別の方向を見て、対局している、という感じがします。
見ている視線の先、視界が違う。視野も違う。
我が道を行く。
奥の深すぎる森とか荒野とか宇宙をじっと見据えている、というように見える。
しかし、去年の名人戦だけは、勝ちに来た
「勝負の鬼」だったような気もしている。ご本人としては、そのあたりどう思っているのだろうか。別に何も変わらなく、目の前の一局を淡々と集中して指している、というだけなんだろうか。
「機会の窓」どんなに才能溢れる人であっても人生における「機会の窓」が開くことは稀である。人によってはたった一回だけということもありうる。その機会の窓を活かせるかどうかで残酷だけどそれが人の一生を大きく左右することになる。
第七局は渡辺の前に一瞬開いた「機会の窓」だったのではないか。
渡辺にとって、人生の決定的瞬間だったのではないか。
この「機会の窓」という話、よくわかります。人生って、そういうことあるのだと思います。
人生を左右する大きな、決定的なターニングポイント。
でも、突然、一瞬開く「機会の窓」というのは、本人はわかるのだろうか。
認識できない事の方が多いのだろうか。
多分、そうなんだろう。
あー、そういえば、あの時、開いていたのかもしれないな、と後になってわかるのかも。(あー、あの時こうしておけば人生変わっていたかも、と。)
いや、普通の人間は、あの時、一瞬開いていたなどということも、何もわからず一生過ぎていくのかもしれない。(それはそれで幸せかあ。)
「最高峰の将棋とは」故金子金五郎九段の言葉を借りれば、
『最高峰の将棋とは、勝負と言う形式をとりながら、人間と人間の交わりである。
生命をけずって、心底のものをさらけ出して、交わろうとする人間の願いを、将棋を通して現そうとする行為。』
この言葉どおりに、今回の七番勝負は、
『羽生、渡辺の二人の人間が真底のものをさらけだして交わろうとしたゆえの名勝負』であったと。
だからこそ我々に大きな感動をもたらした。
この言葉も深いし、いいですね。「生命をけずって、心底のものをさらけ出して、交わろうとする人間の願い。」
これ、いかにも将棋だから言える言葉かもしれないです。
囲碁とか、またニュアンス、違いますよね。
「命を削るほどの勝負。」
「人間としての全存在を賭けての戦い。」
こういうところが見える、感じられる将棋というのは、
僕らファンにとっても、他にはない、たまらない魅力に溢れています。
これからもこの竜王戦のような、最高峰の将棋の持つ魅力を、僕らに与え続けてください。
妨害だの、警告だの、横槍だの、そんなことしてる暇があったら、
棋界全体で一致協力し、知恵と汗を出し合い、
さらに質の高い、興奮や感動を呼ぶ将棋を創っていって欲しいと願っています。













http://d.hatena.ne.jp/Fireworks/20080608
ある程度言いえて妙と思いますが、渡辺が大山の域に達しているなんて思えません。
われわれは晩年の大山で判断しているのですから。
もし、渡辺竜王がこの域ならば、小さくまとまりすぎているのではないでしょうか。
こくりつさん、ご結婚ですか。うらやましい。
私なぞ親から、「アンタの性格ならヨメは逃げてゆく」とまで言われているのに。
>振られ飛車さん
何で結婚できたのか、いまだに謎です。「機会の窓」が開いていたのでしょうか。
>われわれは晩年の大山で判断しているのですから。
もし、渡辺竜王がこの域ならば、小さくまとまりすぎているのではないでしょうか。
小さくまとまりすぎてしまうかどうかは、今後にかかっているのでしょうけど、大山名人ほどになるのは、時代も違うので難しいでしょうね。
>こくりつさん、ご結婚ですか。うらやましい。
私なぞ親から、「アンタの性格ならヨメは逃げてゆく」とまで言われているのに。
はは、なんでここで、そして、突然なんの脈絡もなくそういう話題になるのかなあ?(笑)
☆こくりつさん、こんにちは。
いつもTB、ありがとうございます。
>『将棋世界』まだ手にしていませんでしたが、梅田さんがそんなこと言っていましたか…「機会の窓」ねぇ。
手にしましたか?絶対にお勧めなので、読んでください。
ここでは連盟の回し者です。(笑)
>>振られ飛車さん
何で結婚できたのか、いまだに謎です。「機会の窓」が開いていたのでしょうか。
おめでとうございます。いろいろ転機なようですけど、パートナーがいると、心強いですよね。
それでは、この辺で失礼します。