名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

Э キネマ倶楽部 【アンドレイ・タルコフスキー】 

2016年10月24日 | 日記
 この映像作家に並ぶ、或いは超える映画監督は誰だろうと一人ずつ綜合力を比較した事があります。オーソン・ウェルズ、チャップリン、黒澤、小津、ベルイマン、フォード、キャプラ、溝口、キューブリックと200人以上思い浮かべました。結果、誰もいませんでした。未だに、不思議な印象と感じます。が、何故不思議に思うかという観点にタルコフスキーの魅力があります。

 タルコフスキー作品には多くの欠点があります。「惑星ソラリス」の背景描写は、その後のSFXや現代のCG技術と比較すれば稚拙と云われるでしょう。キリスト教的な曖昧な表現は、遅かれ早かれ過去のものとなる。可笑し味を描かなかった生真面目な世界観。詩的と評される作風自体、普遍的真理とは異なる想念です。イデオロギー表現が観えてしまうケースも、ごく僅かながらある。等々...

 ロシアでは政治的な理由で公開拒否されたり、予算が無かったり、イタリアやスウェーデンなど異国で撮った事情、家族を残し亡命、病魔に冒されていた悲惨な背景などがあります。しかしながら、人生の苦難は映画の創世記から続く環境ですので、そういう情緒的な論点は避けます。何故ならば、真の藝術というものは、あらゆる困難を前提としているからです。障害ゆえに、完成された傑作が生まれる。一例を挙げれば、ロシアの検閲があったからこそ強烈なイデオロギーや反核思想が限界値まで抑制され芸術表現に昇華されたとも云えます。そういう例は奇跡とも呼べる傑作の背後にあり、現代でも変わっていません。いつの時代の弾圧も、【国家】と称する少数の狂人や関連する組織の上層部に拠ってなされます。ロシアという【国】そのものにも【国民】にも【組織に属する良識人】にも何ら関係ありません。むしろタルコフスキーは、人民大衆と映画関係者の絶大なる信頼を得ました。閑話休題(それはともかく)...

 宗教的だという観点であれば、宗教という論点の土台から覆されるべきでしょう。バッハの曲を多用するから宗教的と考えるのであれば、それは西欧の生活環境を識(し)らない人々の誤解です。精神的と論評する方々は、精神という概念を再検証すべきです。聖なるものというのであれば、聖とはなんぞやと考えさせられてしまう。どの観点も乗り越えた表現の局地に至っています。ゆえに、作家の立場で創造の過程を追体験すると、下手な賛辞が空しくなる。最高傑作はどれかと云う事も出来ません。タルコフスキーの様な作家は、一つの観点に固執しない。最高傑作を仕上げた後は、己の作品を乗り越えてより優れた傑作を仕上げます。しかしながら、その底辺には複数の作品に連なる確かな思想がある。ゆえに、神(因果を統べる法則)の領域に至るのです。宗教観とは関係ありません。

 「アンドレイ・ルブリョフ」の全編を観るのは、現代の若者には苦痛でしょう。が、眠らずに観終えた方々は感動以上の覚醒世界に触れます。「僕の村は戦場だった」は観るのも辛い映画ですが、これを超える戦争映画はまず無いでしょう。「惑星ソラリス」の海に比べれば、他のSF大作はどれも陳腐に思えます。「2001 年宇宙の旅」は、物理的には傑作映像に違いありません。しかしながら、タルコフしキーの恐ろしい程の藝術的境地と想念の深みには遠く及びません。「鏡」の映像に思想が無いと云えば、その論点を疑わざるを得ない映像に圧倒されてしまいます。

 「ストーカー(忍び寄るもの)」は、1908年6月30日に起きた隕石の落下事件を引用しています。4000キロ㎡に影響を及ぼした「ツングースの大爆発」は、記録に残る人類史上最大の事件であり、その後焼け跡を分析した科学研究から水爆や原爆が開発されたと推論せざるを得ない根拠があります。時間的にも辻褄が合います。演繹推論から社会の騒乱を招くのは本意ではないゆえ、閑話休題(それはともかく)。

 その「ゾーン」を20キロトンの爆薬で破壊しようとする学者を、作家とストーカー(案内人)が止める物語で人類の生存意義が語られる。意味深いせせらぎの画像、カメラの移動に矛盾する人物の位置、人物の移動の苦労に反してさりげなく現われる犬。この作品で一番感銘深いのは、ゾーンの室内に振り注ぐ雨です。水面の光がみず音と共に消えてゆく。そこに投げられた石の波紋と光の反射。羽ばたきながら翔(と)び立つ鳥の群れ。廃棄された爆弾に近付く魚。列車の音に重なるボレロの旋律。結論の曖昧な表現。が、非論理の哲学が登場人物の探求姿勢や迷いの中に示されています。

 「魔法の映像」とか「詩的な作風」「魂の救済」という絶賛を空々しく思います。SF映画で他の作家が描く様な意識下の表層印象でも物質的な精度を誇る撮影技術でもなくごく現実的な映像、地に足の付いた確かな表現だからです。理解出来ない藝術や曖昧な表現を、魔術や詩として片付けるのは人類の悪い癖です。終幕で、テーブルのグラスを動かす少女の奇跡が表現されていますが、そこにも主題が象徴されている。奇跡を起こす障害者の娘は、未来の子供達を象徴しています。思想は、次世代に受け継ぐ事を主たる目的として描かれる訳ではありません。自然に伝わるのです。その選択は、次世代の人々の良心によって決定される。
 タルコフスキーの描く主題は、社会的な制約や人類の智慧の進化状況に比して、早過ぎた様にも思います。しかしながら、現代に至って良識ある多くの藝術家が、タルコフスキーの後継者となりつつあります。

 映画批評の中で際立っていたのは、音楽家・武満徹の論評です。「驚くべき画像と音響」と絶賛し、タルコフスキーに対する追悼の意を表し「ノスタルジア」をイメージした曲を遺しました。「あの水のシーン(「ストーカー」のゾーンに降る雨)をどうやって撮ったのか、未だに分からない」と感嘆した黒澤明は、映画「夢」のラスト・シーンをタルコフスキー風に撮りました。既に亡くなられた作家ゆえ論証は出来ないのですが、タルコフスキーは小林正樹、溝口健二、小津安二郎など日本の映像作家、能、歌舞伎、雅楽、本阿弥光悦などから影響を受けている筈です。それは、語り草となった水のシーン、炎の描き方、【能】の動きに基く「役者の過剰演技無用」とした総体の完成度や、画像と音楽のバランスたる「黄金の均衡」から感じます。メソッド理論に基く演出法がそらぞらしく思える程深みのある藝術の境地と云えるでしょう。人間だけでなく、状況すなわち全体法則を表現する殆ど不可能な作風だからです。

 「ノスタルジア」にも犬が象徴的に出てきますが、初期の作品から遺作までの連作には明らかな繋がりがあります。「ノスタルジア」は出だしの画像から魅せられますが、主義や主張を超えた巨大な世界観が描かれています。通常の映画には「具体的な映像が世界観を限定してしまう」という大きな弱点があります。現実には、現代の名監督と云われる殆どの作家が、様々な理由でそうせざるを得ない表現とも云えます。が、少なくともこの作家だけは、どんなに壮大なイメージをも超えているに違いありません。何故そうなるかと云えば、タルコフスキーの描く映像世界は物質的な観点を超えた精神世界ゆえと云えるでしょう。そこには、ありふれたモチーフとは異なる確たる思想がある。寡作と云われた全作品を通しで何回も観ましたが、恐ろしい程の深い藝術感に圧倒されます。

 絶作の「サクリファイス」では、家を燃やすラスト・シーンで事故が起きました。カメラマンがフィルムを入れ忘れたとも、カメラが故障したとも云われる。重病に侵されていた為に、これが人生最期の作品の終幕と知っていたそうです。怒りが静まると、もう一度全く同じ家を建て直しました。他の映画であれば...と軽く云えない例も多々ありますが...物理的な困難とも云えない事もない。しかしながらこの映画の難しさは、全体の完全性...、詰まりは藝術に於ける黄金の均衡にあったのです。

 車の炎上のタイミングが難しい処です。狂った主人公が走り、それを追う妻や医師、悪魔と天使を兼ねる家政婦などが連続して映されます。家が燃え尽きる為に、二度と撮り直しは出来ません。右へ左へと動く長回しのワン・ショットで捉えます。そこで右往左往する人々は、彼の苦境も想念も理解出来ない。良く観ると、再度立て直した家は内部や家具などが不足しているのが分かります。余程辛い仕事であったろうと故人の無念が偲ばれますが、逆にそんな同情は無用と笑い飛ばすかも知れません。初めの撮影では、車の爆発シーンも機械の故障で失敗しました。撮り直しであったがゆえに、最高の映像となったのです。結果的に、あれ以上のシーンは映画史上稀です。その直後に病で倒れ、54歳で亡くなりました。

 タルコフスキーの作品は、殆ど全てが欧州映画祭の賞を取っています。が、その栄誉は、作家から映画祭に与えられたものとさえ感じます。詰まり、タルコフスキーの作品を選ぶ事によって映画祭の格が上がったという印象です。現実に「ノスタルジア」完成後、受賞を条件に出品を要請したと云うエピソードまである。そういう裏工作はどの国に於いても昔から続く悪癖ではありますが、当時の映画祭には誇りと藝術性がありました。虚名や売上利益を目的とした訳ではありません。その風格と真の芸術性は、タルコフスキーに拠って生じたと云っても過言ではありません。他の天才作家が束になって掛かっても敵わない藝術性があります。

 そして、タルコフスキーの屍を乗り越えて、僅かながらも新たな藝術が生まれつつあります。

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