名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

@ 非論理エッセイ 【職人と藝術家の違い】

2017年05月18日 | 日記
 過日、大変優れた音楽家の方と酒を呑み交わした折りに、少し気になる言葉をお聞きしました。
「私は職人です。藝術家ではありません」
 その言葉が、焼き魚の骨の如くニ三日のどの奥に引っ掛かっていた。そう云われてみると、僕自身藝術家などと思った事はない。しかしながら、職人気質だとも思いません。

 作家と云っても様々で、文学の歴史にベートーヴェンやフルトヴェングラーの様な本ものは殆ど居ないと思う故か...、作品に対する自信はあるものの...、一言で云うとそんな表現を誰が理解するだろうかという諦念があります。過去に於いて藝術家の仕事が同時代の批評家に正しく評価された例は殆どありません。チャイコフスキーも、グリークも、ラヴェルも、武満徹も、カミュも、アラン・ポーも、黒澤明も理不尽な非難に晒された時代がある。ゴッホ、ゴーギャン、フランツ・カフカ、メルヴィル、シューベルトなどは、生前才能そのものが無視されました。数え上げるときりがありません。が、真の藝術家の業績は、時代を経て次世代の礎となります。

 一寸した会話からその方は藝術家だと思ったのですが、ご本人が職人とおっしゃるからには敢えて反論は出来ません。が、そこにはある種の謙虚に過ぎるこだわりがある。氏の言葉に秘められた概念は恐らく...反論もおありかと存じますし...それをお聞きするのが愉しみでもあるのですが...、大道思索家が想うに表層現象から帰納法的に定義付けした論理ではないかと感じます。そもそも、藝術家と云う定義は【職人の技量を超えた職人】であり、その相違は誰にでも理解出来るのではないでしょうか。

 先ず第一に、職人の作品には技巧が観える。藝術家の仕事には、技巧の痕跡が無い。職人の仕事は故意有為であり、藝術家の仕事は無為無相となる。真の藝術には、技巧の欠片も遺されないのです。第二に、職人は常識に則った仕事をする。歴史に培われた技巧を積み重ねるゆえです。が、藝術家は常識を放下している。一言で云えば、常識など間違いだらけだと知っているのです。必然的に、これは第二の観点の付随的現象なのですが、職人はマニュアル通りに創作する。しかし、藝術家はマニュアルなど超越している。その結果として、職人の仕事には巧さが観える。藝術家の仕事には技巧が観えない。壮大な感銘と共に得たいの知れない覚醒を促します。喩えて云えば、左甚五郎も、近松門左衛門も、ガウディも、ストラディバリも、ニーノ・ロータも藝術家なのです。

 評論家や学者を生業となさる方々に優れた鑑賞家は殆どいません。技術的な精度を分析なさるが故です。又、新しいと称される偽せものを見間違う傾向もあるでしょう。むしろ本ものは、純心無雑な若者達の心を掴むものです。分離した小極の前提から自由だからです。無心の鑑賞者は、相対構造の大極から無極相待(そうだい)に至る。そこには、古いも新しいも無い。本ものと偽せものがあるだけの事です。第三に、職人の仕事には正確なモチーフ(動機)が表現されます。しかしながら、藝術家の作品に於いてはモチーフが表に出ない。深淵なる主題思想が描かれます。これは、イデオロギーや主義主張とは別次元の【藝術の核とも云える想念】です。優れた作品ほど無為無相となる故に、そうとは観えないのが藝術作品の定めなのです。

 良く職人肌などと云われますが、そういう作品には核が無い。藝術には確たる核があります。が、それは観えない。主題想念の相が消えてしまうからです。いわれの無い非難を克服なさった藝術家諸氏の作品を思い浮かべて頂ければ、感じるものがあるかと存じます。

 現代に限らず、人の歴史には臨済禅師の云う「真正的見解」が欠けています。世を導く人々の心は、間違った前提の元で麻痺し続けている。故に、真の藝術家は同時代の方々の無理解に晒される。しかし、そんな現象は当たり前。ごく自然な成り行きであり、むしろその点が本ものである証(あかし)なのです。臨済義玄禅師は、論理哲学とは次元の異なる真理を唱えました。宗教的な想念ではありません。その語録である「臨済録」は、今でこそ「語録の王」と云われますが、実際には臨済の死後300年も経ってから印刷されたものであり、尚且つ後世宗教家に拠るお伽噺風の加筆が多々あります。原本は失われました。惜しい事です。

 しかしながら、次の世では本ものの藝術家や思想家の想念が分母となり、新たな時代を切り拓く。これは、文化だけでなく文明でも起こり続けた現象です。卓越した藝術家、思想家、開拓者、事業家、政治家諸氏は、殆どがいわれのない迫害に遭います。

 お若い方々が、今差別され無理解と侮蔑に晒されているとすれば、あなた方こそ未来を創造する本ものの人間なのです。この観点に矛盾はありません。



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