名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

Э キネマ倶楽部 【ビリー・ワイルダー】

2016年11月02日 | 日記
 脚本家の I.A.L ダイアモンド抜きには語れない監督です。役者は多彩です。ウィリアム・ホールデン、ジャック・レモン、ウォルター・マッソー、トニー・カーティス、オードリー・ヘップバーン、モーリス・シュバリエ、マレーネ・デートリッヒ、レイ・ミランド、ジミー・スチュワートと作品毎に名優を駆使しました。

 シリアスな悲劇から都会タッチのコメディまで、先ずアジア人の感覚では思いも拠らないジャンルに腕を発揮します。実の師匠であるエルンスト・ルビッチの伝統を受け継ぎました。ソフィスティケイト・コメディという分類は将来修正されるかと思います。何故ならば…、と書き出すと一冊の本になってしまうし、従来の説に異を唱える事自体時間の無駄なので、それはともかく。

 ニール・サイモン、アーサー・ヒラーなどの知的コメディ作家が後継者と云えます。代表作は「サンセット大通り」「アパ-トの鍵貸します」「第17捕虜収容所」「失われた週末」「お熱いのがお好き」「シャ-ロック・ホ-ムズの冒険」「情事」「酒と薔薇の日々」「フロント・ペ-ジ」「翼よあれがパリの灯だ」「昼下がりの情事」など、映画史を築いた映画作家です。

 アガサ・クリスティが1925年に発表した「検察側の証人(邦題:『情婦』)」を1958年に映画化し、当時68歳であったアガサ・クリスティ本人が最高の映画と絶賛しました。クリスティは、推理小説界や舞台では名が通っていたものの、本自体の売上は左程の数ではありませんでした。世界的なベスト・セラー作家となり、その後も映画化作品が連続したきっかけは、この名作映画だったのです。マレーネ・デートリッヒの名演が光ります。

 アメリカ映画協会(AFI)が、2000年に発表した「映画史100年のベスト喜劇映画」の20位以内にワイルダーの作品が2本も入っており、20位の「アパートの鍵貸します」と共に首位の「お熱いのがお好き」も傑作中の傑作と云えるでしょう。この名作に主演したトニー・カーティスの言葉が遺されています。
「アドリブ?そんなもの要らないよ。ビリーのダイアローグは、完璧だからさ」
 この映画では、マリリン・モンローを揶揄したカーティスの言葉が有名ですが、当のカーティスははっきりと否定しています。
「『マリリンとキスするのは、ヒットラーとキスする様なものだ』なんて、僕は決して云っていない。撮影が終わると、ジャックと僕とマリリンでバーに行き仲良く呑んでいたものだよ」
 そんな軽口が出たとしても単なる冗談に違いありません。詰まり、モンローとのキス・シーンを羨ましがる取り巻きをケムに巻く洒脱なジョークゆえ有名になったのでしょう。御本人が否定なさる訳ですから、好い加減なマスコミの虚構かと思います。が、ただ一つ怪しい点があります。ひょっとして...この名セリフは、ビリー・ワイルダーの悪戯かも知れない。「お熱いのがお好き」を観ていると、似た様なジョークが山ほど出て来ます。

 警察にボスを密告した裏切り者のチャーリーが、ポーカー・ゲームをしている。マフィアのボスが殺し屋を引き連れて囲むシーンがあります。
「やあ、チャーリー。久しぶりだな」
「何の用だい」
「お前に敬意を示す為に寄っただけさ」
「俺は知らない。何の関係もない」(あせって自白した台詞)
 チャーリーに追加札を配るボスが、残念そうに云う。
「お前...、ついてないな(Bad)。...8のスリー・カードだぜ。グッド・バイ、チャーリー」
(せっかく良い札が出たのに殺される。ゆえに「Bad...」と云うブラック・ジョークです)

 オーストリア人で、英語を覚えるのに苦労した経緯があります。「アメリカを外から批判した」という多くの評論家の意見がありますが、外国人を揶揄した検討違いな意見だと思います。そもそも、アメリカ人として生まれた映像作家が...特に映画の全盛期には...、殆ど存在しません。所属する国家としてアメリカはあります。が、国としての純粋なアメリカ文化は殆どありません。混交文化なのです。ワイルダーやフレッド・ジンネマンはオーストリア、チャップリン、ヒッチコック、デヴィッド・リーン、キャロル・リード、ジョン・シュレシンジャーは英国、ジョン・フォードはアイルランド、フランク・キャプラはイタリア、エルンスト・ルビッチ、ウィリアム・ワイラーはドイツ、マイケル・カーティスはハンガリー、エリア・カザンはギリシャ、ミロス・フォアマンはチェコスロバキアと祖国を辿ればきりがありません。多くの映画作家が揶揄したのは、システム文化の矛盾と軋轢、問題の原因ですが、世界中どの国にも当て嵌まらない事はありません。ワイルダーは、単にハリウッドやマスコミの実体、更に云えば人間社会の実相をそのまま描いただけの事であり、もし彼が欧州に居たならば「欧州批判」と云われた事でしょう。

 「喜劇は悲劇だ」という名言がありますが、ワイルダーの作品はその言葉通りです。小極を観ると悲劇です。しかし、大極を描くので喜劇となる。逆に、理想的な悲劇も多々ものにしました。小極では喜劇です。しかし、大極的には悲劇なのです。この観点は、歴史に残る本ものの映像作家殆ど全てに当てはまります。母と祖母をアウシュビッツで亡くした思いが、作品の底流に流れていると云われます。戦中派の諦念が名作群の分母にあるのでしょう。その正しい世界観は、恐らく現代の方々には理解し切れません。しかし、先進国に限って云えば比較的平和な時代になった訳ですので、理解し得ないという【より良い現実】を前向きに受け入れるべきかとも思います。

「シンドラーのリスト」を映画化しようとしましたが、様々な事情から諦めました。もし、ワイルダーが監督していたら、優れた作品となった事でしょう。

               *

 熟年期の傑作「フロント・ページ」のラスト・シーンは、何回観ても笑えます。結婚して退職しようとする名記者(ジャック・レモン)を引き止めようとする編集長(ウォルター・マッソー)が、あの手この手の嫌がらせをします。が、最後に諦めた様に見せ掛けて駅で見送るシーンです。

「結婚おめでとう。もう、引き止めない。君に、我が新聞社の記念品をやろう。創業社主から貰った署名入り金時計だ」
「編集長。今まで貴方を誤解していた。そんな貴重なもの貰えない」
「僕の気持ちとして受け取ってくれ」
 感激の別れの後、汽車が出発する。編集長は、駅の電報局に行き煙草に火を点けます。
「次の駅の警察に、至急電報を打って呉れ。五号車の六列にいるヒルダー・ジョンソンを逮捕して連れ戻すんだ」
「容疑は何ですか」

「俺の金時計を盗みやがった」

 その後名記者は新聞社に引き戻され、結婚は破談。後に編集長の後釜となる。そして、悪質な元編集長の書いた「報道の倫理」という本が、ベストセラーとなります。

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