名邑十寸雄の手帖 Note of Namura Tokio

詩人・小説家、名邑十寸雄の推理小噺・怪談ジョーク・演繹推理論・映画評・文学論。「抱腹絶倒」と熱狂的な大反響。

Э キネマ倶楽部 【アル・パチーノ/リチャードを探して】

2016年10月31日 | 日記
 「King Richard(リチャード王)」という表題にアルファベットが追加され、「Looking for Richard(リチャードを探して)」という題名となる開幕シーンが印象的です。

 アル・パチーノは映画と舞台を代表する役者として高名ですが、映画監督として抜きん出た作品を後の世に遺しました。シェークスピアの処女作「リチャード三世」とは何ぞやという素朴な疑問から、演劇、映画芸術の根本に遡る名作です。同様の発想の映画は多々ありますが、オーソン・ウェルズの「F for Fake」以来の完成度です。そこには、アル・パチーノ独自の藝術観、演技理論、ひいては大らかで健全な世界観が浮かび上がります。

 参加した俳優は、ケビン・スペイシー、エステル・パーソンズ(「俺達に明日はない」でアカデミー賞受賞の名優)、ウィノラ・ライダー(ナショナル・ボード・オブ・レビュー、ゴールデン・グローブ賞受賞)、アレック・ボールドウィン(ナショナル・ボード・オブ・レビュー、エミ―賞、ゴールデン・グローブ賞、全米俳優組合賞などを受賞)、ぺネローブ・アレン(「スケアクロウ」でパチーノの妻、「狼たちの午後」で強気の銀行員を演じた名脇役女優)、フィリップ・ストーン(「シャイニング」で亡霊のバトラーを演じた英国の名優)、ラリー・ブリックマン(「ダイハード3」の警察幹部)他、知的な性格俳優が勢ぞろいです。

 更に面白いのは、シェークスピア俳優や監督陣の特別出演です。ジョン・ギ―ルグッド(ヒッチコック「間諜最後の日」他、英国を代表する名優。後に叙勲名優)、ヴァネッサ・レッドグルーブ(カンヌ、アカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、トニー賞を総なめにした本ものの大女優)、デレク・ジャコビ(トニー賞のシェークスピア俳優)、ピーター・ブルック(伝説の大監督)、F.マーリー・エイブラハム(「アマデウス」でアカデミー主演男優賞受賞)他、多くの演劇映画人が的を得た意見でクライマックスを盛り上げる。その豪華さは殆ど奇跡の様なキャスティングですが、恐らくパチーノの人望に集ったのでしょう。この映画の気品と神の領域に至った芸術的感銘を思えば、世界中の映画祭が陳腐にさえ思えます。

 野球帽で登場するアル・パチーノと脚本家フレデリック・キンボールの下調べから、街のインタビューに入る。下町のホームレスでさえシェークスピアの名前は知っている。が、誰も興味を示さない。冷たい反応ばかり返って来ます。
「シェークスピア?...最低だね」
「退屈なだけ」
「10分で飽きた」
「大げさで臭い」
「台詞が古臭くて理解出来ない」
 本来は庶民向けの舞台作家でありながら、TVが大衆娯楽となった時代ゆえ無理もありません。この現象は世界中で共通しており、ソフォクレス、モリエール、チェーホフも似た様なものです。

 映画の顔ぶれが揃う。名優ばかり...、ゆえに意見が合わない。喧々諤々の議論の末、「学者の意見を聞いてみよう」という名案が出る。脚本家は「学者の意見なんか...」と云う。が、パチーノは「学者にだって...、意見を述べる権利はある」と妥協しながら、木で鼻を括った様な学者解説が入る。記録に遺った表層言語の解析から、序々に真の芸術家たる映画・演劇人の鋭い意見に入る絶妙のプロットが見事です。

「弱強五歩格は魂のリズムです」と幾度か登場してシェークスピア論を語るヴァネッサ・レッドグレーブの意味深い言葉は、シェークスピア劇の本質を端的に表現しています。又、ケビン・スぺーシーなど名優のさわやかな反応が、現代風の役柄とは異なる演技分析が愉しい。こういう画像は、宣伝を兼ねた週刊誌風のインタビューでは観られません。撮影現場の遣り取りゆえに本音が出るのです。ぺネローブ・アレンが怒り狂って反論するシーンなど既に役に入っており、かの名女優の演技スタイル(メソッド理論)が良く分かります。お若い役者さんがご覧になれば参考になるかと思います。

 メソッド演技法をお勧めする訳ではありません。自分の個性に合わせて役柄を引き上げ【役柄に自分なりの実体を与える姿勢】が大切です。役になり切ろうとするのは当然ですが、誰かを真似ても良い演技にはならない。優れた演出家は、プロの役者の大きな個性と技量を熟知している。ゆえに、名優の力量に合わせて指示を出します。アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマンなど【メソッド】で高名な役者の本質には、元々彼等に備わる強靭な精神力があり、その大きさにメソッド演技を入れると奇跡的な名演が生まれる訳です。人生経験の少ない方々が、メソッドの理屈だけ真似ると自滅します。

 これは、文学も同じ事かと思います。登場人物が憑依し過ぎると作家の感覚は狂うでしょう。憑依する経験は多々ありますが、肉体的にも精神的にも危険を感じる。そういう困難な経験を乗り越えて納得のゆく作品が出来上がりますが、その時は熱中していても登場人物が憑依した様な原稿は大抵捨ててしまいます。喜怒哀楽の感情や興奮があると、藝術の中心たる【我】を見失ってしまう。音楽も似ており、【感覚】に依存し過ぎると演奏家は伸びません。この意見は、つい最近ある大演奏家からお聴きして成る程と思いました。ちなみに、その方は世界的なヴァイオリンの名手です。要は、技巧を超える正しい見地を保ち続けると云う事なのでしょう。

 この映画の素晴らしさは、異化効果を存分に発揮して、撮影準備の役者の素顔と本番の映画を対比させる処にあります。ゆえに、演劇の醍醐味を満喫出来る。一見分かり難い英国の歴史も理解出来る。正に、シェークスピア劇の深みを表現し尽くした名作と云えるでしょう。

 面白いシーンもあります。インテリ風の黒人が、何度か登場し言葉の本質を語る。
「我々は、意味の無い言葉を交わすだけ。言葉が堕落し、言葉の価値が失われている」
 中々しゃれた台詞です。が、その人物は、街頭のホームレス。続くシーンでは「小銭を呉れ」と回りにたかります。
 佳境に入ると、マクベスをロックで演じた女性歌手や、シェークスピアを中国の陰陽思想と結び付ける評論家女性とパーティで話したパチーノが疲れ顔で云う。
「この状況から連れ出して呉れ。このドキュメンタリーから僕を外すんだ。この企画は駄目なアイデアだった。狙いから遠く離れている。もう抜けたい。僕は王様になりたいんだ。キングにしてくれ」
 これは冗談です。詰まり、映画の創造過程にとんでもない茶々が入り、自分が主導権を握りたいというジョークなのです。次のシーンでは、脚本家がパチーノにひざまずき忠誠を誓う。同じ様な洒落が随所に登場し笑わせます。名優アレック・ボールドウィンが、友情出演をからかって、「日給40ドルだから、ドーナツばかり食ってるよ」と云うシーンも可笑しい。

「ドキュメンタリー映画」と云われると首をかしげたくなる。そうかな?まあ...、アホな連中はそう云うだろう。が、しかし...、リハーサルやインタビューに名演が並んでいる。一流の役者ばかりであり、そこに深遠な演出が垣間見える。となると、これは...純粋な【異化効果の創作映画】ではなかろうか。パチーノ本人が「ドキュメンタリー・ドラマ」と洩らす台詞もある。形容などは、批評家の仕事ゆえ無視させて頂くとして...、演劇では表現し得ない映画魔術の極値と云っても良い傑作です。そこには、藝術世界の大極が表現されている。現実の様に見せかけた名優のリハーサルにこそ、異化効果の芸術性を感じるゆえんです。
 
 さらに驚く点は、子供達にも分かる単純さでしょう。無相の大極を描き切っているからそうなるのです。






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