旅限無(りょげむ)

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日本の反核運動 其の参

2005-09-01 00:32:46 | 外交・世界情勢全般
其の弐の続き

■1955年5月5日に、「原爆おとめ」25人が治療の為に米国へ出発しましたが、米国にも少しは罪悪感が生まれたかと思えば、その翌日、米国はネバダ沙漠で国内最大規模の原爆実験を実施して、ぜんぜん広島・長崎を反省などしていないその姿勢を明らかにしてくれます。それは、今でも変わっていません。「真珠湾攻撃のお返し」なのだと教育されている米国の愛国者は、核兵器もちょっと「大きな爆弾」だと信じ込んで21世紀を迎えたのです。少なくとも、核兵器は燃料を満載したジャンボ・ジェット機よりは大きな破壊力を持っているのですが、他人の痛みを想像する力を人類はまだ持っておりません。「原爆おとめ」たちも、有効な治療法など有るはずも無いので、元気に帰国することなど有りませんでした。

■同年7月9日、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が発表され、湯川秀樹博士やジュリオ・キュリー氏等の著名な科学者達9人が署名しました。


「凡そ将来の世界戦争において必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしている事実から観て、私達は世界の諸政府に彼らの目的が世界戦争によっては促進されない事を自覚し、この事を公然と認めるよう勧告する。」


という文面は、全面核戦争によって世界の半数が死滅して世界中で社会主義革命が成就すると公言していた毛沢東にとっては、無意味である以上に敗北主義にしか映らなかったでしょうし、米ソの政府要人や軍人達には戯言(たわごと)でしかなかったでしょう。アインシュタインは、


「第三次世界大戦で使用される兵器は不明だが、第四次世界大戦の武器は分かる。それは、石であろう。」


という名言を残していますが、毛沢東が理想とした、長征を克服し、プロレタリア精神?に燃える革命戦士は、アインシュタインが皮肉った第四次世界大戦に相応しい姿をしていました。ズック靴と布の帽子を被っていた結成当初の人民解放軍は石で充分戦えそうでしたが、間も無く貧弱な通常兵器に核兵器を付け加えることになります。

■この年の「原爆投下10周年、平和記念式典」は参加者5万人を集めて挙行され、「第1回原水爆禁止世界大会」も開催されました。この世界大会には、共産圏代表も参加していましたが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の代表3名は入国を拒否されました。北が仕掛けた朝鮮戦争の真相はまだ多くの日本人が知らなかった時代の事ですが、東西冷戦の代理戦争だった朝鮮戦争は、日本が西側陣営の一員だという自覚を用意したのでした。9月19日、「原水爆禁止日本協議会」(原水協)が誕生して、後に大変有名になる安井郁法政大学教授が事務総長に就任しました。安井教授は、スターリン批判や文化大革命の後でも社会主義革命を信奉して、1978年に北朝鮮の金日成を崇(あが)める「主体思想国際研究所」を創立した人物です。原水協は誕生の時から歪んだ歴史観と思想性を持っていたのです。

■10月3日、中国からの原爆被害者慰問金贈呈式で、治療費250万円と福利施設建設基金40万円が贈られました。自国が核武装する9年前の事になります。戦争中に捕虜収容所で洗脳した多くの帰国者を利用して、平和攻勢を盛んに掛けていた中国共産党の安上がりの宣伝工作なのですが、日本ではとても評判が良かったようです。12月6日には、日本社会党が米英ソ3国政府に対して「原水爆禁止」を要望して、日本原水協が米ソ両首脳に水爆実験に対する公開質問状を出しています。核兵器使用の危険が有ったのに朝鮮戦争を仕掛けた北朝鮮も、密かにソ連の援助で原爆製造に励んでいた中国も、当時の日本の反核運動の眼中には無かったのです。それでも、すべての核兵器に対して反核運動は機能していました。

■1956年1月1日に、核の平和利用を目的として「原子力委員会」が正力松太郎委員長、非常勤委員に湯川秀樹が参加して発足して、日本は原子力発電事業に着手しました。元戦犯で、読売新聞・読売巨人軍・日本テレビ等々の支配者となった正力松太郎さんについて知らない人が随分と増えましたが、この時代には日本の核武装を考えていた人々が確かに日本にも居たことも忘れては行けません。水力発電と石油・石炭による火力発電で充分な余力を持っていた日本の電力事情を考えれば、この朝鮮戦争直後の「原子力委員会」発足は注意が必要な動きです。核兵器に反対しながらも、原子力の平和利用には積極的だった湯川博士の態度にも注意が必要です。

■4月18日に、ソ連が「マーシャル群島における米国の原水爆実験計画は国連憲章違反である。」と抗議すると、5月2日にアイゼンハワー米大統領から原水協に対して「計画された原水爆実験は、自身の防衛と自由世界確立の為に絶対に必要」とする返書が届きました。5月21日に、米国は再びビキニ環礁で最初の水爆空中投下実験を実施して見せます。広島・長崎の次に標的となる都市には、原爆の数十倍から数百倍の威力を持つ水爆が投下される事が決定的となりましたが、無邪気で開放的で恥知らずな米国人は、南洋諸島の住民の姿を参考にした女性用水着を考案します。乳首と陰毛だけを隠しただけの全裸同然の姿の衝撃を表現するのに、水爆実験場の名前「ビキニ」を採用してしまいました。まともな反核運動が組織できない日本人も、何のこだわりも無く「ビキニ」はファッション関係の外来語として取り入れられて定着してしまいました。被爆国の若い娘さんが「ビキニ!ビキニ!」とヘソを出して楽しそうに話しているのもどうかと思いますが、もしも、あの水着が「ヒロシマ」だったら同じように流行したのでしょうか?

其の四につづく

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