竹原BLOG:奈良民話祭り ― グリム童話・メルヘン・語りの文化 とっておきの話。 

夏の奈良民話祭り:8月5日(金)午後3時より奈良町物語館で4回公演!
奈良燈花会に行きがてら、ぜひ来てくださいね!

耳成村の伝承「弓田の由来」-厳しい旱魃から立ち上がった奈良びと!!

2011年03月21日 | 日記
前回のブログのコメントに「あかずきん」さんはすばらしい言葉を
書いてくださいました。

民話を語りつぐことは、心を語りつぐことです。
私たちの祖先は、この天変地異の多い風土を生き抜き、
とぎれることなく民話を語りついできました。
私たちも同じことを未来に向けてくり返していきたいです。

この言葉こそ、私たちナーミン(奈良の民話を語りつぐ会)の願いです。


奈良盆地は夏は雨が少なく、
奈良の人々は過酷な農作業を強いられてきました。

戦後、吉野川の豊富な水が県営水道によって奈良盆地に導入されて以来、
現在では水に苦しむことはなくなりましたが、
それ以前は、水が乏しいため、奈良盆地には、
たくさんのため池が作られました。
また、田の中には「隠し井戸」のあるのもあって
火照りの年にはその井戸を使ったといいます。
しばしば、水利権をめぐる深刻な水争いがありました。

次に語る伝説には、命がけで田を守ってきた先祖たちの思いが
こめられています。


弓田の由来

今、耳成高校があるあたりに、
昔、4ヘクタールほどの弓の形をした田がありました。
ある年に、「月夜でも焼ける」というほどの日照りに
見舞われ、村人たちは干ばつに苦しみました。
上流の村から水がせき止められて、弓田も干上がりました。
弓田の百姓たちは、上流の村人と掛け合い、何とか弓田に水を
入れてくれるよう懇願しました。
すると、上流の村人は弓田の庄屋に言いました。
「お前は命が欲しいのか、水が欲しいのか。」
そしたら、庄屋は
「命は欲しくない。水が欲しい」と訴えました。
そこで、上流の村人が、その場で庄屋を弓で撃ったので
庄屋は命をなくしました。
弓田の百姓たちは庄屋の命と引き換えに水利権を得て、
それ以来、日照りでも弓田は干あがることはなくなったということです。


原典:比較民話研究会 阿部奈南・桜井由美子編「 奈良県橿原市・耳成の民話(上)」
    (日本昔話学会編『昔話―研究と資料』 25号 所収)
語り手:橿原市旧耳成村 野依音松
再話:竹原威滋


奈良の人々は、このような話を今に語りつぎ、
命を賭して、大自然の脅威に立ち向かってきたのです。

いま、東北関東大震災に苦しむ人々もきっとこの震災を生き抜き
その体験を未来に語りついでいくことでしょう。

もういちど、「あかずきん」さんの言葉を心にとめましょう!

民話を語りつぐことは、心を語りつぐことです。
私たちの祖先は、この天変地異の多い風土を生き抜き、
とぎれることなく民話を語りついできました。
私たちも同じことを未来に向けてくり返していきたいです。

ナーミン(奈良の民話を語りつぐ会)のみなさま!
総会を終えて、私たちは新しい歩みを始めました。
来年は、『古事記』編纂1300年
グリム童話初版出版200年を迎えます。

未曾有の震災を乗り越え、この体験を、語りの文化を
奈良の地において未来にひき継いでいきましょう!




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1 コメント

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Unknown (野依 音松の孫)
2011-05-24 22:52:14
昔、祖父が耳成の昔話を聞きに来られたと話していたのを想い出しました。
http://www.asahi.com/culture/update/0226/TKY201102260165.html
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