波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

「富士日記」読み終わる

2015年07月18日 | 読書

 「富士日記」(武田百合子著:中公文庫)読む。富士で暮らした13年間分の日記。文庫で3巻、各500頁弱につき半年かかった。読んだでなく、読み終えた、読み終わってしまったの感。寝る直前の寝床の読書につき中身は覚えていない。文体が飄々としていて押しつけず面白い。食事、家族、家事、人間関係、生死観など、他人の生活を堂々と覗き見る気分。立男青春真っ盛りの高度経済成長の時代背景も興味失わなかった理由。
                
 「日記」はこんなに自由で、こんなに人間を表現できるのだ。「特異の発想と感受と表現の絶妙なハーモニーをもって、日々の暮らしの中の生を浮き彫り」(宣伝文句)、「すがすがしく、心あつく、簡にして深い、日々の記録」(水上勉)の通りだ。ここ最近、書評で取り上げられているのを何回か読んだ。どういう姿勢(文字通りの意味)でこの本を読んでいるのか気になったが、どこにも当然書いてない。座ってか、横になってか、寝ながら読むのか…。

               
 「吾子が長じて才能がなかったら、つつましい生業に…空頭の文学、美術家になってはいけない」という魯迅の言葉に、死期近い夫の武田泰淳が「つつましい生業とは教師のような職業ではないか、とうっすら笑いながら教えてくれた」なんていう箇所が。ここでの才能とは「創作の才能」だが、気になるのは「うっすら笑い」だ。泰淳に浮かぶのは、どこかの教師なのか、文学者の誰かなのか。裏ブログ「波風食堂、準備中です」が今年から様変わりしたのはこの日記の影響。


このブログに「『富士日記』(前)読む」(15.1.15)を書いていたが下書き状態のまま公開していなかった。

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