2nd Season(あぶない刑事方式)
もっと あの世に聞いた、この世の仕組み
現実
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
『そして今年は、その気づきを迎え入れる為の具体的な方法もお話したいと思っています』
前エントリにて、上記の様な事を書いてしまい、「本当に大丈夫?」となっている<低次の自分>こと黒斎です。こんばんは。
さて、唐突ではありますが、今日は「現実」というものを改めて考えてみたいと思います。
僕たちは日常生活を送っている中で、「いや、現実的に考えてさ…」なんて言葉を言ったり聞いたりしていますが、この「現実的に考えて」の「現実」って、一体なんですかね。
辞書では以下の通りでした。
*****
げん-じつ【現実】
いま目の前に事実として現れている事柄や状態。「夢と……」「……を直視する」「……に起きてしまった事故」
*****
「理想」の対義語や、「真実」と同じような感じで使われていることが多いように思います。
僕たちは皆、いま目の前に事実として現れている事柄や状態を「現実」と捉えて生活しています。
なのですが、あなたが「いま目の前に事実として現れている事柄や状態」は、本当に「現実」でしょうか。
実は、僕たちが普段「事実」や「現実」と捉えているもののほとんどは、個人的なフィルター(僕たち一人ひとりがこれまで生きてきた中で形成された、個人的な知識や思考回路)を通して歪められた世界「マトリックス」でしかありません。
僕たちは「現実、現実」と軽々しく口にしますが、実はこれっぽっちも現実をありのままに捉える事は出来ていません。
その可能性を認めて世界を見つめ直すと、徐々に世界の見え方が変わっていきます。
このこと、この調子のまま書いていくと、なんだかワケがわからない説明になってしまいそうなので、竹彩さんの「じゆうちょう」からあるネタをお借りして、ものっすごくユルい感じに変換してお話してみたいと思います。
こないだね、竹彩さんの「じゆうちょう」を何気に開いて見たら、こんなものを発見したんですよ。

ドン!
…お嬢さん、ドライモンて。
藤子不二雄の名作も、カラッカラに干からびそうになってるじゃないですか。
そこでね、突っ込んでみたんですよ。
( ̄д ̄;) 「竹彩、おまえ、カタカナの『エ』と『イ』を間違えて覚えているぞ(他にもツッコミどころはあるけれど)」
と。
そしたらね、竹彩さんは、
川*≧д≦)ノ 「間違ってないもん!ちゃんと習ったもん!」
と、全力で反発するんですね。
で、つづけて
川*≧д≦)ノ 「ドライモンはドライモンでしょ!」
と。
(;゚ Д゚) ……あ、書き間違いじゃなくて、そこから間違ってたんですね。
で、「もしや」と思って、こんな質問をしてみたんです。
( ̄д ̄;) 「なぁ竹彩、これ、なんて言うか知ってる?」
と、ここを指差して聞いてみたんですね。

そうしたら、自信満々でこう答えました。
川*≧▽≦)ノ 「ご機嫌ポケット!」
(;゚ Д゚) やっぱり違ってた!
竹彩さんにとっては、「ドラえもんの四次元ポケット」ではなく、「ドライモンのご機嫌ポケット」だったわけです。
でも、それは彼女の中では、「間違い」ではないんですね。ましてや「問題」でもない。
「間違いである」という認識すらなく、それが彼女の「事実」「現実」としてそこにあったわけです。
で、さらに。
今度は雲さんから僕にツッコミが入ります。
(  ̄Д ̄) 『思い込みってのは、いろんな所に潜んでるよな。竹彩同様、お前もまた自分の思い込みで、いままさに目の前にある事実を歪んで捉えてしまっていたんだから』
( ̄д ̄ ) 「え? 僕も?」
(  ̄Д ̄) 『だってそうだろ。竹彩は「ドラえもん」を「ドライモン」と覚えていたということを前にして、お前は竹彩が「エとイを間違えて覚えている」と勝手に勘違いしていたんだから』
Σ( ̄д ̄;) 「あ…」
(  ̄Д ̄) 『思考は、いつだって事実に自分独自のストーリーを書き加える。そして、そうやって自分で事実に脚色していることにも気づかぬまま、その脚色を加えられたストーリーを「現実(事実・真実)」だと信じて疑わない。そこに明らかな間違いがあったとしても、それは「現実」として認識されている。これはこういう意味だ、とか、これはきっとこういう価値だ、とか、そういう思い込みがあるかぎり、ありのままを捉える事はできないと、何度も話しているじゃないか』
自分の思い込みに気づくのって、ホントに難しいですよね。
だって、「そうだっ」て、心底思い込んでるんだから。
自分の認識が間違ってるだなんて、疑ってもいないから。
自分の認識したいように、認識しようとしてしまうから。
知らないことも、自分の知識の範囲で知ろうとしてしまうから。
と、いうことで。
あなたの目の前にある現実は、本当に「真実」ですか?
あなたが認識している世界は、本当に「リアルな世界」ですか?
あなたが思っている「自分」は、本当に「あなたが思っているような自分」ですか?
あなたが思っている「あの人」は、本当に「あなたが思っているようなあの人」ですか?
あなたが思っている「あの価値」は、本当に「あなたが思っているような価値」ですか?
あなたが思っている「あの出来事の意味」は、本当に「あなたが思っているようなあの出来事の意味」ですか?
「もしかしたら、私の認識は間違っているのかもしれない、歪んでいるのかもしれない」
その可能性を認めたとき、初めて「気づきの扉」が開きます。
しかし、その可能性を認めることは、とても屈辱的なことです。
だからこそ多くの人は、あらゆる思い込みや決めつけを手放したがりません。
「私はこういう人間である」「あいつはああいうヤツなんだ」「これはこういうことなんだ」「こういう現実が目の前にあるのだから、私は怒りを持って当然なんだ」「こんなことが起きたのだから、私は悲しんで当たり前なんだ」
そうやって、それがどんなに自分を苦しめるものであろうと、嫌な気分にさせるものであろうと、握り締め続けてしまいます。
でも、自分の認識を疑うという屈辱をあえて選択し、「気づきの扉」の向こうに出れば、そこには「ドライモンのご機嫌ポケット」が待っています。(←無理やりなオチの付け方ですが何か?)
【トークライブのお知らせ】
福岡でのソロライブ、今回は東京で開催中の「月イチ☆」や「月刊アレ!」の連載でお話している事などを中心にお話してみたいと思っています。
初めての方もお一人様も、どうぞお気軽にご参加ください。
雲黒斎講演会 in 福岡
【日時】 2012年2月11日(祝・土)14:00(開場 13:30)
【会場】 春日クローバープラザ 508研修室AB
福岡県春日市原町3丁目1-7(JR春日駅すぐ)
【参加費】 お一人様3,000円
【お申込み方法】
氏名、希望枚数、連絡先電話番号をお書きの上、下記メールアドレスへお申し込み下さい。
un.kokusai.fukuoka@gmail.com
【主催】 雲黒斎講演会 in 福岡実行委員会
←僕と同じように、かつて「LUPIN THE THIRD」を「ルパンでさぁ」だと思っていたあなたは必須
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
『そして今年は、その気づきを迎え入れる為の具体的な方法もお話したいと思っています』
前エントリにて、上記の様な事を書いてしまい、「本当に大丈夫?」となっている<低次の自分>こと黒斎です。こんばんは。
さて、唐突ではありますが、今日は「現実」というものを改めて考えてみたいと思います。
僕たちは日常生活を送っている中で、「いや、現実的に考えてさ…」なんて言葉を言ったり聞いたりしていますが、この「現実的に考えて」の「現実」って、一体なんですかね。
辞書では以下の通りでした。
*****
げん-じつ【現実】
いま目の前に事実として現れている事柄や状態。「夢と……」「……を直視する」「……に起きてしまった事故」
*****
「理想」の対義語や、「真実」と同じような感じで使われていることが多いように思います。
僕たちは皆、いま目の前に事実として現れている事柄や状態を「現実」と捉えて生活しています。
なのですが、あなたが「いま目の前に事実として現れている事柄や状態」は、本当に「現実」でしょうか。
実は、僕たちが普段「事実」や「現実」と捉えているもののほとんどは、個人的なフィルター(僕たち一人ひとりがこれまで生きてきた中で形成された、個人的な知識や思考回路)を通して歪められた世界「マトリックス」でしかありません。
僕たちは「現実、現実」と軽々しく口にしますが、実はこれっぽっちも現実をありのままに捉える事は出来ていません。
その可能性を認めて世界を見つめ直すと、徐々に世界の見え方が変わっていきます。
このこと、この調子のまま書いていくと、なんだかワケがわからない説明になってしまいそうなので、竹彩さんの「じゆうちょう」からあるネタをお借りして、ものっすごくユルい感じに変換してお話してみたいと思います。
こないだね、竹彩さんの「じゆうちょう」を何気に開いて見たら、こんなものを発見したんですよ。

ドン!
…お嬢さん、ドライモンて。
藤子不二雄の名作も、カラッカラに干からびそうになってるじゃないですか。
そこでね、突っ込んでみたんですよ。
( ̄д ̄;) 「竹彩、おまえ、カタカナの『エ』と『イ』を間違えて覚えているぞ(他にもツッコミどころはあるけれど)」
と。
そしたらね、竹彩さんは、
川*≧д≦)ノ 「間違ってないもん!ちゃんと習ったもん!」
と、全力で反発するんですね。
で、つづけて
川*≧д≦)ノ 「ドライモンはドライモンでしょ!」
と。
(;゚ Д゚) ……あ、書き間違いじゃなくて、そこから間違ってたんですね。
で、「もしや」と思って、こんな質問をしてみたんです。
( ̄д ̄;) 「なぁ竹彩、これ、なんて言うか知ってる?」
と、ここを指差して聞いてみたんですね。

そうしたら、自信満々でこう答えました。
川*≧▽≦)ノ 「ご機嫌ポケット!」
(;゚ Д゚) やっぱり違ってた!
竹彩さんにとっては、「ドラえもんの四次元ポケット」ではなく、「ドライモンのご機嫌ポケット」だったわけです。
でも、それは彼女の中では、「間違い」ではないんですね。ましてや「問題」でもない。
「間違いである」という認識すらなく、それが彼女の「事実」「現実」としてそこにあったわけです。
で、さらに。
今度は雲さんから僕にツッコミが入ります。
(  ̄Д ̄) 『思い込みってのは、いろんな所に潜んでるよな。竹彩同様、お前もまた自分の思い込みで、いままさに目の前にある事実を歪んで捉えてしまっていたんだから』
( ̄д ̄ ) 「え? 僕も?」
(  ̄Д ̄) 『だってそうだろ。竹彩は「ドラえもん」を「ドライモン」と覚えていたということを前にして、お前は竹彩が「エとイを間違えて覚えている」と勝手に勘違いしていたんだから』
Σ( ̄д ̄;) 「あ…」
(  ̄Д ̄) 『思考は、いつだって事実に自分独自のストーリーを書き加える。そして、そうやって自分で事実に脚色していることにも気づかぬまま、その脚色を加えられたストーリーを「現実(事実・真実)」だと信じて疑わない。そこに明らかな間違いがあったとしても、それは「現実」として認識されている。これはこういう意味だ、とか、これはきっとこういう価値だ、とか、そういう思い込みがあるかぎり、ありのままを捉える事はできないと、何度も話しているじゃないか』
自分の思い込みに気づくのって、ホントに難しいですよね。
だって、「そうだっ」て、心底思い込んでるんだから。
自分の認識が間違ってるだなんて、疑ってもいないから。
自分の認識したいように、認識しようとしてしまうから。
知らないことも、自分の知識の範囲で知ろうとしてしまうから。
と、いうことで。
あなたの目の前にある現実は、本当に「真実」ですか?
あなたが認識している世界は、本当に「リアルな世界」ですか?
あなたが思っている「自分」は、本当に「あなたが思っているような自分」ですか?
あなたが思っている「あの人」は、本当に「あなたが思っているようなあの人」ですか?
あなたが思っている「あの価値」は、本当に「あなたが思っているような価値」ですか?
あなたが思っている「あの出来事の意味」は、本当に「あなたが思っているようなあの出来事の意味」ですか?
「もしかしたら、私の認識は間違っているのかもしれない、歪んでいるのかもしれない」
その可能性を認めたとき、初めて「気づきの扉」が開きます。
しかし、その可能性を認めることは、とても屈辱的なことです。
だからこそ多くの人は、あらゆる思い込みや決めつけを手放したがりません。
「私はこういう人間である」「あいつはああいうヤツなんだ」「これはこういうことなんだ」「こういう現実が目の前にあるのだから、私は怒りを持って当然なんだ」「こんなことが起きたのだから、私は悲しんで当たり前なんだ」
そうやって、それがどんなに自分を苦しめるものであろうと、嫌な気分にさせるものであろうと、握り締め続けてしまいます。
でも、自分の認識を疑うという屈辱をあえて選択し、「気づきの扉」の向こうに出れば、そこには「ドライモンのご機嫌ポケット」が待っています。(←無理やりなオチの付け方ですが何か?)
【トークライブのお知らせ】
福岡でのソロライブ、今回は東京で開催中の「月イチ☆」や「月刊アレ!」の連載でお話している事などを中心にお話してみたいと思っています。
初めての方もお一人様も、どうぞお気軽にご参加ください。
雲黒斎講演会 in 福岡
【日時】 2012年2月11日(祝・土)14:00(開場 13:30)
【会場】 春日クローバープラザ 508研修室AB
福岡県春日市原町3丁目1-7(JR春日駅すぐ)
【参加費】 お一人様3,000円
【お申込み方法】
氏名、希望枚数、連絡先電話番号をお書きの上、下記メールアドレスへお申し込み下さい。
un.kokusai.fukuoka@gmail.com
【主催】 雲黒斎講演会 in 福岡実行委員会
←僕と同じように、かつて「LUPIN THE THIRD」を「ルパンでさぁ」だと思っていたあなたは必須| « 本当に大丈夫 | 「進化」「成長」... » |









追いついたッてのも変ですね
何の因果か僕のHNも2007位から使い続けてるので不思議です
読み進めている最中は何処かで見てるんじゃないかと思う位(過去ログにもかかわらず)自分にとってはリアルタイムでした☆
ふと思ッたのですが今が【現実】なら同時に【非現実】な訳ですよね?
目覚め?覚醒?した時というのは、『今、自分は現実をありのままに捉える事が出来ている。』という確信があるものなのでしょうか?
それとも、『これもまた、自分の思い込みなのかもしれない。』という不安があるものなのでしょうか?
アンポンタンな質問だったら、ごめんなさい。m(__)m
そう見えたときは色んな感情や情動を体感します。
ぽわわああんとバラ色になったり胸がちゅきゅううん
と痛くなったり。。色々。
そいで真象がいつも観得てればなんの揺らぎもなく
日常を送っていくわけですが(合掌)
認識に、自分の潜在観念でもってオートマ的に色付け
し現実を創造していることが心底ピンとくれば、逆に
自由に現実を色付けできるってことも解るわけで(後略)
話変わって
やっぱ 子供の頃ってすっごいアリスだったなって
懐かしくおもいだしますた。
プラ 竹彩ちゃん♪
お疲れ様です。
たまたま見てびっくり。(・ ・)
ねむねむ……
(_ _)..zzZZ
読んでも内容が頭に入ってこないから、また明日読みます。
おやすみなさい。
ねむねむ……。(-.-)zzZ
子供の頃って、先入観なく聞こえたままを覚えてました。
「も〜ろぼしだんの〜言うことにゃ〜」(ウルトラセブン)
とか。
アリスのチャンピオンって曲の途中に入ってるセリフ、「You're king of kings」を「モンチッチ」と言ってると信じてたり…。
このピュアな思い込みがあるからこそ、子供はどんどん言葉とかいろんな事を覚えているんでしょうけどね。
思い込みを手放すことに関しては
このHPの説明・実践が非常に秀逸です。
このHPの実践を真面目に続けていると
思い込みからどんどん解放されていきます。
http://www.e-jinsei.net/
・・・・・
「後悔してない」なんて「言う」奴は、その「時点」で「後悔」してんだよ。
・・・・・
ああ、なるほど。
( ̄ー ̄)ニヤリッ
さて、そろそろ始発で出勤です。
アデュー♪
⌒゚(*^o^)ノ
でも、自分の思い込みの方がおかしくて、それを手放してしまえば良いんじゃないかなって、やっと思えるようになったら、ずいぶん楽になれました。
自分で自分をがんじがらめにして、枷をはめる事はないのですよね。
いつもタイムリーに励ましてもらえてる気がして、とてもありがたいです☆
思い込みで溢れているってこと???
連日寒い日が続いておりますが、いかがおすごしですか?
それぞれの人がそれぞれのフィルターを通して中立的な事実を自分の都合の良いように見ているのが、今現実だと思っている幻想なんですね。
時折フィルターが薄くなる時はあるようですが、なかなかフィルターはなくなりません。まだしっかりと握りしめているんだと実感しております。素敵なメッセージありがとうございます。
本当にわかりやすい説明ですね。
ボクも今はそういう感覚ができるようになってからは、世界が一変しました。
今はそれが生活すべてに活かせて人生が楽しくてしょうがないです!
(*´∀`)ノ
昨年名古屋にて講演会に参加した者です。懇親会にて少しお話しさせていだきました。
その節はありがとうございました
ブログを楽しみに拝見させていただいてます
違う表現で表すなら、無垢に対する色の付け方って感じでしょうか?
ちょうどこの事が分かりやすく書いてあって、
それでようやく理解しました。
理解できても実践するのは難しそうですが。。。
「正露丸糖衣A」のことを「正露丸とイエーィ」だと思っていた
子供でした。
思い込みって怖いですね >
っていうあの感じと似てるんですかね?
小学校のときの卒業アルバムを見ると、当時の自分の女のタイプと、今のタイプが変わってるから、
「この子の方が、明らかに可愛くなるじゃん」
みたいな事があるんですよね。
好きなタイプの女には自分のフィルターを通しているから、良いところだけを見て燃え上がってるけど、
落ち着くと、色んなところが見えてくるっていう
あの感覚・・・。
竹彩ちゃん可愛い
4次元ポケットよりイイかも
個人的なことですが、本当に屈辱的ですよね。認めたくなくて、受け入れたくなくて、本当に嫌です。「私は本当に辛かった!だから赦したくない、受け入れたくない、認めたくない!」まさのそれです。
それを受け入れなければいけないことも、薄々解ってて、出来ない今。
こんなタイミングでこの記事なんですね。
この屈辱を飲み込めと言う事ですか?なんて言って、自分の心を踏みにじって、抑え込んで、苦しんでしまいたくなる自我がここにあります。
黒斎さんの書かれていることは、もっと大きな事ですよね。
頑張ってきた(つもりの)自分も、認めてもらえない自分も、人格を否定され続けてきた自分も、現実なのかどうなのか。
苦しいなぁ。
でも、頑張らないと。
例えば部屋の天井にある蛍光灯の寿命が尽きて切れる。で、その部屋には椅子がある。
ここでもし「椅子というものは座るためのものだ」という固定観念に捕らわれて
いたら例え新品の蛍光灯を持っていても取り替えることは出来ません(脚立など、
それ用の道具をどこかから持って来るまで何も出来ません)。しかし椅子を座るため
だけのものではないと考えられるなら即座に椅子の上に立って蛍光灯の交換が出来ます。
問題を素早く解決出来るかどうかは自分の持っている思考の枠組みを取り払って
柔軟に考えることが出来るかどうかだけです。出来れば必要なものが最初から
目の前にあったことに気付けます。
昨日、頭の中にがーんときました。
黒斎さん、ぼんじょるさん、ふじこーさん
イオンさんが、私にとって大切なルパン三世だった事を。
巨人の星の主題歌をこう憶えている人が多かったらしい?
ちょうどその歌詞の時に映る絵が、グラウンドを均すためのローラーを
苦しい顔して引いている姿だったから、と記憶してます。
まさしく、思い込みですね。。
言いまつがい、聞きまつがいなども同じかもしれない。
まぁ、難聴やカツゼツなどの問題もあるのでしょうが。。
ありのままを見ていても、それを正しく受け止めるのには
ゆっくりと安らいだ状態で見ることが必要なのかもしれませんね。
余裕のない状態だと間違った解釈で憶える事が多い気がします。。。
あゆ(浜崎あゆみ)のマーク、どこかの神社のステッカーだと思ってたし。。(^^;)
また、名古屋へもお越しくださいね〜!
お待ちしておりま〜す♪
でもこれも実は統計学理論だって聞いた事があります〜。
思い込みについての解説、日々の疑問や不思議に思う事の解決になるんですよね
思い込みを捨てて色んな発見や研究に繋げてる人を見てると
あぁ現実現実のたまうのはバカらしいなぁと。でも現実を見ますけどねw
「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と言ったのは江戸川コナン…
えっ
私は、ルパンルパ〜ン…と、思ってました(*_*)
五感を通して感じているこの世界を、現実だと思っている事、なのでしょうか。(笑)
>その可能性を認めたとき、初めて「気づきの扉」が開きます。
「気づきの扉」って、そういうタイトルの興味深い書籍がありますね♪
って、大人になるまで私も思ってましたよ!
この手の「空耳シリーズ」大好きです。
特に、子供のは可愛くていいですよね。
最後の「あの出来事の意味・・・」と言う件、特に考えさせられます。
「起きただけ」なんですよね。
でも先ず、客観的にそれを「見る」のが難しいです。
その先の、それを「認める」よりも。
あ、肯定も否定もない境地ってこと?
コクサイさん、よかったら教えてください。
ここ最近、そのことを自分に問い続けています。
みなさんの「空耳」コメントに、思わずプッと癒されます
堅くなりすぎないこのブログが大好きです。
(竹彩ちゃん、何気に絵のタッチ&字がうまい)
黒斎さんのシュ−ルさとでもいいますか、なんか笑えます.(笑)
初めてのコメントなのですが、いきなり質問しちゃってもいいですか?
井上希道さんという方ご存じでしょうか?
座禅はこうするのだの著者なのですが・・・・
この本私は好きでして結構前から参考にさせてもらって、なんちゃって座禅にしかなっていないとおもいますが自己満足で座禅してます。
井上希道氏と黒斎さんと阿部さんの言っている事とは一緒でいいんすよね?
黒斎の言うマトリックスに気付きく受け入れ体制を作るためにもぜひ教えてください。
ご機嫌ポケットか〜
子供の発想ってオモシロイですよねー
かわいい
でも『心底思い込んでる』ってよくあるかも。。と
読みながら『あるある』とうなずきトリオに
なってました(笑)。
わたしもついついツッコミ入れちゃう方なんですけど、、あとから自分のツッコミに対して??って
思うこともあります
みなさん、温かくしてお過ごしくださいねー
子どもってホント観念や枠できて
ないから発想力が豊か。
そこから大人が学ぶところ
たくさんありますね♪
って思ってました(^_^;)
あと、親に預けたお年玉は大人になったら返ってくるものだと信じてました・・・
いろいろ教えていただき
ありがとうございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
自分が現実だと思ってる現実は
自我というフィルターを
通してみてるんですね。
思い込みなのか気づくことは
自分では気づいたつもりになってしまって
なかなか難しい気がします。
ただありのままをみるように
していければと思っています。
ちなみに私は『ルパンザパ〜ン』だと
思ってました。
『LUPIN THE THIRD』だったんだ〜
…今わかりました(#^.^#)
モチロン、ランキングボタン
ポチっとしましたよ☆〜(ゝ。∂)
私を疑う屈辱を受け入れると
屈辱的に見えた出来事が、
屈辱的なことではなく
あららららららららら
いつも面白い記事ありがとうございます。
今年もまた私の住むところにも来てください。
思わすコメントしてしまいました。
小さい自分が恥ずかしい…。
でもそんな自分も結構スキ。
確かに、みんなそれぞれ自分の中の常識とかに捕らわれている部分ありますよね〜。
あんまり深く考えることないですが、
少しずつでも本当の自分を見つめる時間を作れたらと思いました。
大変順調な成長をしている。
トータルして観れば、竹彩ちゃんは幸せそうである。
これを応用するならば、実は私も非常に順調で、幸せ。
でも、人間がまだ出来てないから、きっぱり「幸せ」って言えないんだよなー私。
今は、こう思います。
お金は流れるものだから、返ってこなくてもいいんです。
自分は、貰ったお年玉を全部預けてたから、正直、いくらくらいになってたのかな〜?ってのを知りたいです。
お金についての観念は、「竜馬がゆく」に影響されたかな〜って部分があります。
竜馬と桂小五郎が、鳥鍋を食べる場面があって、
竜馬が「わしゃお金がないきに」と言うと、
小五郎は
「なら僕が出そう。お金がある者が出すのは道理に合っている」
って言ったんですよ。なんかそれが埋め込まれちゃって。
以来、おごって貰う日々を過ごしてます。なんちて(^○^)
ドライモンかぁ。
ご機嫌ポケットいいね。
黒斎さんは幸せもんです。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。