いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
指摘.2
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
(  ̄Д ̄) 『なぁ黒斎。今日は「指摘」という行為の中から、自我を解読してみよう。まずは、理想論や精神論から離れて、一人の人間としての素直な気持ちで聞いてみて欲しい』
( ̄д ̄ ) 「はぁ、指摘、ですか」
(  ̄Д ̄) 『指摘というのは、「する側」と「される側」で、まるで表情が異なるものだと思わないかい?』
( ̄д ̄ ) 「どういうことです?」
(  ̄Д ̄) 『その行為の中で、自我の経験する「気持ちよさ」に違いがあるんだ。
勿論、する側にも、される側にも様々な解釈があるからね、絶対的な基準として話すことはできないけど、おまえ自身を省みればわかるとおり、指摘っていうのは「される側」にとっては、あまり気持ちのいいものとは言えないだろ?』
( ̄д ̄ ) 「そうですね。確かに、気持ちいいものではないです」
(  ̄Д ̄) 『そしてね、その指摘が事実か否かは問題ではないんだ。相手の勘違いで事実無根の指摘をされるのは気持ちのいいものじゃないよね』
( ̄д ̄ ) 「もちろんです」
(  ̄Д ̄) 『じゃあ、その指摘が「図星」だったら?』
( ̄д ̄;) 「なおのこと気持ちいいものではありませんね……」
(  ̄Д ̄) 『な、どちらにしても気持ちのいいものではないんだ』
( ̄д ̄ ) 「でもでも、中には「いえ、あらゆるご指摘は私を成長へ導く大切な道しるべですから、感謝とともに頂戴いたします」なんて人もいるでしょう?」
(  ̄Д ̄) 『そうだろうね。けれども、それにしたって、それが「気持ちいいのか」って言ったら、そういうことでもないだろう?』
( ̄д ̄;) 「ええ…」
(  ̄Д ̄) 『で、「する側」ってのは、けっこう気分がいいんだ。
「アナタのために」という言葉が、本当の気持ちであれ、優越感を得る為の隠れ蓑であれ、どっちにしろ、気持ちがいい。
どうだろう、そういう気持ちを、自分の中に感じないかい?』
( ̄д ̄;) 「思いっきり感じますね」
(  ̄Д ̄) 『それはね、自我が「指摘」という構造の中に、少なからずの上下関係を感じてしまうからなんだ。
指摘する側が正しく(私が善で)、指摘される側が間違い(あなたが悪)。
指摘する側が利口で(私の方がより知っていて)、指摘される側が無知(あなたはバカ)。
指摘するのは優しさで、指摘されたなら、その優しさに感謝すべき。
私があなたに合わせるのではない、あなたが私に合わせるべき。
以前話したとおり、自我には「自己防衛(反転して、優越性の保持)」という基本プログラムがあるから、そんな構造が見えるやいなや、過敏に自動反応してしまうわけだ。「指摘される側」なら、なおのこと』
( ̄д ̄ ) 「なるほどー」
(  ̄Д ̄) 『指摘される側の自我が強ければ強いほど、それは「怒り」や「抵抗」など、「拒否反応」として現れることになる。
拒否反応がある以上、言いがかりでも、正論でも、どちらも受け入れたがらない。
ただの「指摘」でさえそうなんだから、そこに「高圧」や「強要」などの態度、「怒り」などの感情、攻撃性、そういったものが加わって見える場合は余計に「拒否反応(防衛反応)」が強まる。
「指摘する側」が、相手に改善を求めてたとしても、「指摘される側」は「お前のいいなりになってたまるか」という反応となって、結局は望まない結果の方を導くことになってしまうんだ』
( ̄д ̄ ) 「つまり、指摘はしないほうがいいということですか?」
(  ̄Д ̄) 『いや、わたしが話しているのはそういうことじゃない。した方がいい、しない方がいいということじゃなく、その性質を理解したうえで活用しなさいということなんだ』
( ̄д ̄ ) ???
(  ̄Д ̄) 『つまりね、大切なポイントはここなんだ。
「相手が求めていない場においての指摘は、まるで役に立たない(むしろ逆効果)」
そしてそれは、「指摘や反省は、本来自分自身に向けて活用するツールであり、他者に強要するものではない」
とも言い換えられる。
これは、コメント欄でたびたび話題になる「投影」や、また「感謝」などについても同様だ。
これらは自分自身のためのものであり、相手に強要するためのものではない。
自分の自動反応(カルマプログラム)に気づく為の一手段であって、他者をコントロールするためのものではないんだ。
そのツールを使って他者をコントロールしようとすることで、自我は自らの手で、対立や口論や生みだし、そしてその中でストレスを感じるんだ。
つまり、自分自身の手によって、苦を生み出してしまっているということ』
Σ( ̄д ̄;)
(  ̄Д ̄) 『このポイントがわかると、そこではじめて「指摘」における健全な関係性が見えてくる。
「指摘」という行為の中で必要になるのは、「上下関係」ではなく「信頼関係」だ。
先ほど話したとおり、この構造の中にあるものは、そもそも自我にとって気持ちいいものではない。
それを覚悟・了承の上、あえて「指摘を受けよう」となった時に、はじめて活用できるものなんだ。
だからこそ、信頼関係がないところに、本来の「指摘」が機能するはずがない』
*****
さて、いかがだったでしょうか。
皆さんがお気づきの通り、上記は前回の記事をそのまま、「僕と雲さんの対話」という形式で書き直したものです。
お話している内容は同じです。
しかし、その中に大きな違いを感じられる方もおられることでしょう。
何が違うのか。
それは「指摘されている人の違い」です。
多くの方からご愛顧いただいている「僕と雲さんの対話」という表現の中には、「アナタ」がでてきません。
指摘されているのは、あくまで「黒斎」であり、「わたし」ではありません。
つまり、当事者にならずして、話を傍観することができていたわけです。
しかし、前回の表現には、雲さんが見えませんでした。
(もしくは、あの一人語りが、雲さんの言葉なのか、黒斎の言葉なのか、判断できなかったはずです)
そしてなにより、指摘されているのが「黒斎」ではなく、「わたし」になってしまっています。
これまで安全な場で傍観していたはずの「わたし」が、いつの間にか『指摘』の中に巻き込まれている。
それが、多くの方の不愉快さに繋がりました。
最近のコメント欄でも見られる「あの時の黒斎さんはどこにいっちゃったの?」「最近、ちゃんと雲さんと話をしているんですか?」や、「お前、いつからそんなに偉くなったんだよ。もっと謙虚になれよ」という反応がそれです。
前回の記事の通り、自我は指摘が嫌いです。
勿論、僕も苦手です。
だからこそ、ブログの開設当初、対話形式という表現を好んで使用していました。
このアウトプットの仕方は、今でもとても人気があります。
このブログや本に対して、多くの方が感想としてあげられている「これまでのスピリチュアル書では感じられなかった読みやすさ」の一番の秘密は、実は、噛み砕いた表現や比喩の奇抜さではなく、「わたしが直接指摘されることなく、安心して読むことができるから」なんです。
「わたしが指摘されているのではない」という、自我の警戒心を最小限に抑えた状況の中で、冷静に、客観的に自我の構造を知ることができるから、すごく、受け取りやすいんです。
そして、「わたし」が巻き込まれないその中に、多くの方が「やさしい黒斎」や「謙虚な黒斎」を見い出したのだと思います。
そのイメージの持たれ方にも、少々の違和感を感じてはいたのですが、僕はながらく、それに納得して書き進めていました。
しかし、この表現だからこそのデメリットも沢山見えてきました。
見えてきたデメリットは様々なものがありましたが、その中でも僕が特に気になってしまったのは、僕がお話したい話の核心よりも、「守護霊」というイメージが一人歩きすることで、一部の方の関心の寄せ方が、僕の望んでいなかった、ファンタジーの方へと進んでいってしまったことです。
僕としては、ウソを書いているつもりはありませんが、それが大きな誤解を作っている原因の一つであるという自覚もありました。
そこで僕は、あえてこの対話という表現から離れてみようと思いました。
雲さんを出さずに、僕の一人語りを始めました。
すると案の定、「お前の話はいいから雲さんの話を聞かせろよ」という拒否反応が見え始めました。
あらかじめ想定していた反応でしたが、対話形式に戻すことにも躊躇いがありました。
「雲さんの話なら聞く」というこの姿勢の中に、盲目的な依存を感じずにはいられなかったからです。
『誰が話しているか』よりも重要なのは、『何が話されているか』です。
それが、すっかり失われているように思えたんです。
対話には対話のメリット・デメリット。
一人語りには一人語りのメリット・デメリット。
それに合わせて、不特定多数の読者の皆さんの多様な趣味嗜好。
出来るだけバランスをとって、多くの方にメッセージできる方法を探し、僕は次いで「物語」という表現方法をとってみました。
そう、『極楽飯店』です。
物語なら、読者が指摘に巻き込まれることはありません。
それを担うのは、タクちゃんをはじめとした、登場人物です。
表現方法を物語にすることで、再度、読者の皆さんの警戒心を抑えることができました。
またすこし、客観的な視点で、冷静に話を聞いてもらえるようになりました。
が。
ここでまた僕は大きな壁に突き当たりました。
「物語」を、どうやって書いていいのか、知らなかったのです(笑)
実を言うと、僕は30歳を超えるまで、本というものをほとんど読んだことがありませんでした。
学生時代から勉強が嫌いで、相当な活字アレルギーでした。
なので、僕は「デザイン」という道に逃げ込んだんです(笑)
まぁ、余談は置いといて。
とにかく、小説もほとんど読んだ事がないので、どうやって物語を書いて良いのかさっぱりわからない。
僕が話したいことを、どうやって物語に組み込めばいいのかわからないのです。
そしてその戸惑いは、そのまま「更新頻度の激減」というものに繋がってしまいました(笑)
そして、なんとかかんとか、物語を閉じるまでに至ったのですが、今度はその次の表現方法がみつかりません。
そんなこんなをしている内に、実は、新たな「シフト」を体験しました。
これまで自分の中で上手く整理できていなかった複雑な(いや、複雑だと思い込んでいた)次元構造の一部がわかってしまったのです。
でもそれは、2004年のあの時と同じで、新たな戸惑いの始まりでもありました。
実は、そのことを、いままで以上にお話したいんです。
なのに、それをどのように言語化(もしくはどんな表現方法でも)すればいいのか、わからないんです。
言葉にしてしまうと、あまりにも「トンデモ」な世界なんです。
それこそ、「あ、黒斎が、とうとう壊れた」とでも言われそうなぐらい(笑)
少しだけお話しますとね、聖書に、こんな話が出てくるんです。
イエスが水をワインに変えたり、ちょっとしか無かったパンを増やして、何千人もの人の空腹をみたしたり、等といった奇跡。
僕ね、これらの話を、きっと何かの比喩だろうと思って、その意味を探っていたことがあったのですが……
最近の僕は「あの話は実話かもしれない」という風に思い始めているんです。
ね、「いや、それはちょっと……」なレベルでしょ?
そしてまた、世にある沢山の「真実」。
矛盾を抱えた、相反する沢山の「真実」の表明も、本当はすべてが「真実」である、ということが分かってきました。
そして、どの「真実」を採用するかによって、自分の人生がどのように変わるか、また、個人個人が採用できる真実と、採用できない真実があることも分かってきました。
簡単に言うと、いわゆる「アファメーション」や「引き寄せの法則」などのメソッドで、実際に効果を実感できる人と、できない人がいることの理由です。
何かを実現する際に、努力が必要になる人と、まったく別なカタチで実現してしまう人の違いです。
と、いうことで。
僕にはまだまだ稚拙なアウトプットしかできませんが、(最近の流れに合わせながら)このことをお話していきたいと思っています。
表現の仕方は、対話形式・一人語り・寓話・実例など、様々なものを縦横無尽につなげていくつもりです。
そしてまた、その中には限られた方にしかわからないであろう、とてもストライクゾーンの狭い話も放り込みます。
自我にとって安全な、観客席から傍観していただくこと(アウトプット:対話形式)もありますし、時には、フィールドに出て、一緒にプレイしていただくこと(アウトプット:一人語り)もあると思います。
皆さんの新たな気づきに一役買いたいと思っていますが、その中には、とても不快な思いをさせてしまう可能性も多々含まれます。
そういった諸々のことをご了承のうえ、ご参加ください。
これから僕がお話していくのは、「ウロコポーロ理論」。
随分と前に、コメンテーターの方からいただいた「ウロコポーロ(目から鱗が落ちる現象)」という名称を拝借して、『この世の仕組み』についてお話するものです。
僕はついつい、話を引っ張りすぎてしまう傾向があるので、今回はまず先に、その結論、というか、いま僕が提示できる範囲内での「全体像」をお見せします。
中には、この図だけでも、何らかの気づきにつなげることができる方もいらっしゃると思います。
これから先、瞑想の話の続きも含め、この図に乗っ取ってご説明してまいります。
色々なご意見もあるとは思いますが、しばしお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
【追記】
今後、それが誰宛かに関わらず、煽りや揶揄、揚げ足取りや罵倒など、不要な不快感を感じさせるコメントの掲載は控えさせていただきます。
また、僕のお話したいことと明らかに異なる解釈をもってのコメントや、話の流れに混乱を生じさせる可能性が感じられた書き込みは、ネガティブ・ポジティブ関わらず、掲載を見送らせていただきます。
もちろんこれは、指摘や反論を拒んでいるものでも、排除しようとしているのでもありません。
指摘の際には、相手に対しての尊厳や、表現の配慮を心がけたものでお願いいたします。
僕に対しての叱咤、ご意見も、ありがたく頂戴致します。どうぞ、これまで通りお寄せください。
【ライブ・インフォメーション】
「リラクゼーションハウス ゴールドマイン」さんから、ライブのお誘いとご協力をいただきました。
6月に、はじめて福井にお邪魔致します!
◎あの世に聞いた、この世の仕組み in 福井
【日時】6月17日(日) 14:00~(13:30開場)
【会場】福井市地域交流プラザ 研修室607
福井市手寄1丁目4番1号 AOSSA 6階
JR福井駅東口から…徒歩1分
北陸自動車道福井ICから…車で15分
【料金】お一人様 3,000円
※お申し込みは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】)
←ウロコポーロな際は、是非一押しお願いします。
※「極楽飯店」の第一話はこちらから。
********************************************
(  ̄Д ̄) 『なぁ黒斎。今日は「指摘」という行為の中から、自我を解読してみよう。まずは、理想論や精神論から離れて、一人の人間としての素直な気持ちで聞いてみて欲しい』
( ̄д ̄ ) 「はぁ、指摘、ですか」
(  ̄Д ̄) 『指摘というのは、「する側」と「される側」で、まるで表情が異なるものだと思わないかい?』
( ̄д ̄ ) 「どういうことです?」
(  ̄Д ̄) 『その行為の中で、自我の経験する「気持ちよさ」に違いがあるんだ。
勿論、する側にも、される側にも様々な解釈があるからね、絶対的な基準として話すことはできないけど、おまえ自身を省みればわかるとおり、指摘っていうのは「される側」にとっては、あまり気持ちのいいものとは言えないだろ?』
( ̄д ̄ ) 「そうですね。確かに、気持ちいいものではないです」
(  ̄Д ̄) 『そしてね、その指摘が事実か否かは問題ではないんだ。相手の勘違いで事実無根の指摘をされるのは気持ちのいいものじゃないよね』
( ̄д ̄ ) 「もちろんです」
(  ̄Д ̄) 『じゃあ、その指摘が「図星」だったら?』
( ̄д ̄;) 「なおのこと気持ちいいものではありませんね……」
(  ̄Д ̄) 『な、どちらにしても気持ちのいいものではないんだ』
( ̄д ̄ ) 「でもでも、中には「いえ、あらゆるご指摘は私を成長へ導く大切な道しるべですから、感謝とともに頂戴いたします」なんて人もいるでしょう?」
(  ̄Д ̄) 『そうだろうね。けれども、それにしたって、それが「気持ちいいのか」って言ったら、そういうことでもないだろう?』
( ̄д ̄;) 「ええ…」
(  ̄Д ̄) 『で、「する側」ってのは、けっこう気分がいいんだ。
「アナタのために」という言葉が、本当の気持ちであれ、優越感を得る為の隠れ蓑であれ、どっちにしろ、気持ちがいい。
どうだろう、そういう気持ちを、自分の中に感じないかい?』
( ̄д ̄;) 「思いっきり感じますね」
(  ̄Д ̄) 『それはね、自我が「指摘」という構造の中に、少なからずの上下関係を感じてしまうからなんだ。
指摘する側が正しく(私が善で)、指摘される側が間違い(あなたが悪)。
指摘する側が利口で(私の方がより知っていて)、指摘される側が無知(あなたはバカ)。
指摘するのは優しさで、指摘されたなら、その優しさに感謝すべき。
私があなたに合わせるのではない、あなたが私に合わせるべき。
以前話したとおり、自我には「自己防衛(反転して、優越性の保持)」という基本プログラムがあるから、そんな構造が見えるやいなや、過敏に自動反応してしまうわけだ。「指摘される側」なら、なおのこと』
( ̄д ̄ ) 「なるほどー」
(  ̄Д ̄) 『指摘される側の自我が強ければ強いほど、それは「怒り」や「抵抗」など、「拒否反応」として現れることになる。
拒否反応がある以上、言いがかりでも、正論でも、どちらも受け入れたがらない。
ただの「指摘」でさえそうなんだから、そこに「高圧」や「強要」などの態度、「怒り」などの感情、攻撃性、そういったものが加わって見える場合は余計に「拒否反応(防衛反応)」が強まる。
「指摘する側」が、相手に改善を求めてたとしても、「指摘される側」は「お前のいいなりになってたまるか」という反応となって、結局は望まない結果の方を導くことになってしまうんだ』
( ̄д ̄ ) 「つまり、指摘はしないほうがいいということですか?」
(  ̄Д ̄) 『いや、わたしが話しているのはそういうことじゃない。した方がいい、しない方がいいということじゃなく、その性質を理解したうえで活用しなさいということなんだ』
( ̄д ̄ ) ???
(  ̄Д ̄) 『つまりね、大切なポイントはここなんだ。
「相手が求めていない場においての指摘は、まるで役に立たない(むしろ逆効果)」
そしてそれは、「指摘や反省は、本来自分自身に向けて活用するツールであり、他者に強要するものではない」
とも言い換えられる。
これは、コメント欄でたびたび話題になる「投影」や、また「感謝」などについても同様だ。
これらは自分自身のためのものであり、相手に強要するためのものではない。
自分の自動反応(カルマプログラム)に気づく為の一手段であって、他者をコントロールするためのものではないんだ。
そのツールを使って他者をコントロールしようとすることで、自我は自らの手で、対立や口論や生みだし、そしてその中でストレスを感じるんだ。
つまり、自分自身の手によって、苦を生み出してしまっているということ』
Σ( ̄д ̄;)
(  ̄Д ̄) 『このポイントがわかると、そこではじめて「指摘」における健全な関係性が見えてくる。
「指摘」という行為の中で必要になるのは、「上下関係」ではなく「信頼関係」だ。
先ほど話したとおり、この構造の中にあるものは、そもそも自我にとって気持ちいいものではない。
それを覚悟・了承の上、あえて「指摘を受けよう」となった時に、はじめて活用できるものなんだ。
だからこそ、信頼関係がないところに、本来の「指摘」が機能するはずがない』
*****
さて、いかがだったでしょうか。
皆さんがお気づきの通り、上記は前回の記事をそのまま、「僕と雲さんの対話」という形式で書き直したものです。
お話している内容は同じです。
しかし、その中に大きな違いを感じられる方もおられることでしょう。
何が違うのか。
それは「指摘されている人の違い」です。
多くの方からご愛顧いただいている「僕と雲さんの対話」という表現の中には、「アナタ」がでてきません。
指摘されているのは、あくまで「黒斎」であり、「わたし」ではありません。
つまり、当事者にならずして、話を傍観することができていたわけです。
しかし、前回の表現には、雲さんが見えませんでした。
(もしくは、あの一人語りが、雲さんの言葉なのか、黒斎の言葉なのか、判断できなかったはずです)
そしてなにより、指摘されているのが「黒斎」ではなく、「わたし」になってしまっています。
これまで安全な場で傍観していたはずの「わたし」が、いつの間にか『指摘』の中に巻き込まれている。
それが、多くの方の不愉快さに繋がりました。
最近のコメント欄でも見られる「あの時の黒斎さんはどこにいっちゃったの?」「最近、ちゃんと雲さんと話をしているんですか?」や、「お前、いつからそんなに偉くなったんだよ。もっと謙虚になれよ」という反応がそれです。
前回の記事の通り、自我は指摘が嫌いです。
勿論、僕も苦手です。
だからこそ、ブログの開設当初、対話形式という表現を好んで使用していました。
このアウトプットの仕方は、今でもとても人気があります。
このブログや本に対して、多くの方が感想としてあげられている「これまでのスピリチュアル書では感じられなかった読みやすさ」の一番の秘密は、実は、噛み砕いた表現や比喩の奇抜さではなく、「わたしが直接指摘されることなく、安心して読むことができるから」なんです。
「わたしが指摘されているのではない」という、自我の警戒心を最小限に抑えた状況の中で、冷静に、客観的に自我の構造を知ることができるから、すごく、受け取りやすいんです。
そして、「わたし」が巻き込まれないその中に、多くの方が「やさしい黒斎」や「謙虚な黒斎」を見い出したのだと思います。
そのイメージの持たれ方にも、少々の違和感を感じてはいたのですが、僕はながらく、それに納得して書き進めていました。
しかし、この表現だからこそのデメリットも沢山見えてきました。
見えてきたデメリットは様々なものがありましたが、その中でも僕が特に気になってしまったのは、僕がお話したい話の核心よりも、「守護霊」というイメージが一人歩きすることで、一部の方の関心の寄せ方が、僕の望んでいなかった、ファンタジーの方へと進んでいってしまったことです。
僕としては、ウソを書いているつもりはありませんが、それが大きな誤解を作っている原因の一つであるという自覚もありました。
そこで僕は、あえてこの対話という表現から離れてみようと思いました。
雲さんを出さずに、僕の一人語りを始めました。
すると案の定、「お前の話はいいから雲さんの話を聞かせろよ」という拒否反応が見え始めました。
あらかじめ想定していた反応でしたが、対話形式に戻すことにも躊躇いがありました。
「雲さんの話なら聞く」というこの姿勢の中に、盲目的な依存を感じずにはいられなかったからです。
『誰が話しているか』よりも重要なのは、『何が話されているか』です。
それが、すっかり失われているように思えたんです。
対話には対話のメリット・デメリット。
一人語りには一人語りのメリット・デメリット。
それに合わせて、不特定多数の読者の皆さんの多様な趣味嗜好。
出来るだけバランスをとって、多くの方にメッセージできる方法を探し、僕は次いで「物語」という表現方法をとってみました。
そう、『極楽飯店』です。
物語なら、読者が指摘に巻き込まれることはありません。
それを担うのは、タクちゃんをはじめとした、登場人物です。
表現方法を物語にすることで、再度、読者の皆さんの警戒心を抑えることができました。
またすこし、客観的な視点で、冷静に話を聞いてもらえるようになりました。
が。
ここでまた僕は大きな壁に突き当たりました。
「物語」を、どうやって書いていいのか、知らなかったのです(笑)
実を言うと、僕は30歳を超えるまで、本というものをほとんど読んだことがありませんでした。
学生時代から勉強が嫌いで、相当な活字アレルギーでした。
なので、僕は「デザイン」という道に逃げ込んだんです(笑)
まぁ、余談は置いといて。
とにかく、小説もほとんど読んだ事がないので、どうやって物語を書いて良いのかさっぱりわからない。
僕が話したいことを、どうやって物語に組み込めばいいのかわからないのです。
そしてその戸惑いは、そのまま「更新頻度の激減」というものに繋がってしまいました(笑)
そして、なんとかかんとか、物語を閉じるまでに至ったのですが、今度はその次の表現方法がみつかりません。
そんなこんなをしている内に、実は、新たな「シフト」を体験しました。
これまで自分の中で上手く整理できていなかった複雑な(いや、複雑だと思い込んでいた)次元構造の一部がわかってしまったのです。
でもそれは、2004年のあの時と同じで、新たな戸惑いの始まりでもありました。
実は、そのことを、いままで以上にお話したいんです。
なのに、それをどのように言語化(もしくはどんな表現方法でも)すればいいのか、わからないんです。
言葉にしてしまうと、あまりにも「トンデモ」な世界なんです。
それこそ、「あ、黒斎が、とうとう壊れた」とでも言われそうなぐらい(笑)
少しだけお話しますとね、聖書に、こんな話が出てくるんです。
イエスが水をワインに変えたり、ちょっとしか無かったパンを増やして、何千人もの人の空腹をみたしたり、等といった奇跡。
僕ね、これらの話を、きっと何かの比喩だろうと思って、その意味を探っていたことがあったのですが……
最近の僕は「あの話は実話かもしれない」という風に思い始めているんです。
ね、「いや、それはちょっと……」なレベルでしょ?
そしてまた、世にある沢山の「真実」。
矛盾を抱えた、相反する沢山の「真実」の表明も、本当はすべてが「真実」である、ということが分かってきました。
そして、どの「真実」を採用するかによって、自分の人生がどのように変わるか、また、個人個人が採用できる真実と、採用できない真実があることも分かってきました。
簡単に言うと、いわゆる「アファメーション」や「引き寄せの法則」などのメソッドで、実際に効果を実感できる人と、できない人がいることの理由です。
何かを実現する際に、努力が必要になる人と、まったく別なカタチで実現してしまう人の違いです。
と、いうことで。
僕にはまだまだ稚拙なアウトプットしかできませんが、(最近の流れに合わせながら)このことをお話していきたいと思っています。
表現の仕方は、対話形式・一人語り・寓話・実例など、様々なものを縦横無尽につなげていくつもりです。
そしてまた、その中には限られた方にしかわからないであろう、とてもストライクゾーンの狭い話も放り込みます。
自我にとって安全な、観客席から傍観していただくこと(アウトプット:対話形式)もありますし、時には、フィールドに出て、一緒にプレイしていただくこと(アウトプット:一人語り)もあると思います。
皆さんの新たな気づきに一役買いたいと思っていますが、その中には、とても不快な思いをさせてしまう可能性も多々含まれます。
そういった諸々のことをご了承のうえ、ご参加ください。
これから僕がお話していくのは、「ウロコポーロ理論」。
随分と前に、コメンテーターの方からいただいた「ウロコポーロ(目から鱗が落ちる現象)」という名称を拝借して、『この世の仕組み』についてお話するものです。
僕はついつい、話を引っ張りすぎてしまう傾向があるので、今回はまず先に、その結論、というか、いま僕が提示できる範囲内での「全体像」をお見せします。
中には、この図だけでも、何らかの気づきにつなげることができる方もいらっしゃると思います。
これから先、瞑想の話の続きも含め、この図に乗っ取ってご説明してまいります。
色々なご意見もあるとは思いますが、しばしお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
【追記】
今後、それが誰宛かに関わらず、煽りや揶揄、揚げ足取りや罵倒など、不要な不快感を感じさせるコメントの掲載は控えさせていただきます。
また、僕のお話したいことと明らかに異なる解釈をもってのコメントや、話の流れに混乱を生じさせる可能性が感じられた書き込みは、ネガティブ・ポジティブ関わらず、掲載を見送らせていただきます。
もちろんこれは、指摘や反論を拒んでいるものでも、排除しようとしているのでもありません。
指摘の際には、相手に対しての尊厳や、表現の配慮を心がけたものでお願いいたします。
僕に対しての叱咤、ご意見も、ありがたく頂戴致します。どうぞ、これまで通りお寄せください。
【ライブ・インフォメーション】
「リラクゼーションハウス ゴールドマイン」さんから、ライブのお誘いとご協力をいただきました。
6月に、はじめて福井にお邪魔致します!
◎あの世に聞いた、この世の仕組み in 福井
【日時】6月17日(日) 14:00~(13:30開場)
【会場】福井市地域交流プラザ 研修室607
福井市手寄1丁目4番1号 AOSSA 6階
JR福井駅東口から…徒歩1分
北陸自動車道福井ICから…車で15分
【料金】お一人様 3,000円
※お申し込みは【こちら】(携帯からお申し込みの方は【こちら】)
←ウロコポーロな際は、是非一押しお願いします。
コメント ( 209 ) | Trackback ( )
« 指摘 | ウロコポーロ » |
私は違ったストーリーを想像してました
実話なら ぶっ飛びますが 面白いですね
次からも楽しみにしてます!
イエスの話、ぼくも本当かもと思ってます。
やっぱりキリストは「マスター」の中でもすごかったんじゃないでしょうか。
あとキリストの話…私はあの聖書のくだりはバリ実話と捉えているので抵抗ないです(今のところは…なんて弱気になってみたりもしますが)。これからの話を楽しみにしています。
全体像のデザイン図がこれまた!プロの黒斎さんならでは。自分の持つイメージをデザインとして見せる事ができるって本当に素晴らしいですね。いつもありがとうございます。
今回、雲さんとの対話を読んでる途中で黒斎さんの言いたいことがわかりましたよ~。
この間、ツイートされてましたからね。
続き楽しみにしてます♪(≧▽≦)
めっちゃスクロールした。
初じゃないですか???
ヾ(´▽`;)ゝ←いや、忘れているだけかも…
ちゃんと自分が見えてるんですね。
図表もすごい!
空ってなじむものなのですね。
思いながら読ませていただきました。
良かれと思って書いていることを
指摘されるのは
やはり気持ちいいものではありませんよね。
誰かに何か言いたいときは
相手も良くしようと思っているんだろうな
という考えを自分の頭に置いてから
言ったり書いたりしていけるように
自分を磨いていきたいですね。
よく指摘をされることの多い私としては
今回の内容はありがたいなぁと思いました。
『よく指摘』から『良く指摘』にしたいです。
いつか呼吸ができたら、ありがとうという当たり前の言葉を当たり前に口にしたい
過去記事から遡って読みまくりました!
もちろん本も買って読ませて頂きましたよ~。
まだまだスタート地点に着いたばかりの私には難しいことはわかりませんが、
中身が云々よりも、読んでいて嫌な気分になるなら
読まない。ワクワクするなら読む、見る。
そんなシンプルなことなのかなぁと思います。
だって嫌な気分でいたら「嫌な気分の状態」が現実化してしまうんですよね??そんなの嫌だわ~(笑)
それにしても。。。
黒斎さんってすごいです!
本を読んだことがなかったですって??
それなのにこの語彙力。
もって生まれたものなのでしょうか…
素晴らしすぎです。ありがとうございます。
次からの記事が楽しみ過ぎて瞑想に集中できない(笑)
今日示された図ですが、まだ何にも説明されていないのにわかるような、いや、もうわかっているような気すらします@@
とても楽しみです。
指摘に関しては実は先週から「指摘しようかどうしようか」迷っていたことがあって、タイムリーな話題でした。
第三者に対し、身内に敬語を使うのは日本語的・日本人的には×だよという、どうでもいいっちゃーいいことなんですけど(笑)
ex.「夫に○○していただいた」
結局指摘はしていませんが、黒斎さんの記事を読むまでは本当に迷っていました。
でもその人とは信頼関係が構築されていなかったので、これで良かったと思っています。
腑に落ちたし、迷いもなくなったし、一石二鳥な記事でした。
ありがとうございました。
コクサイさんって、やっぱ正しく論理的ですよね
屁理屈でなくて。
私はそこがいいと思ってます
いや~~なんかすんごいワクワクします
というか、ツイッターでその図を見たときからワクワクしてるんですけどね 笑
いったい黒斎さんはどこまで昇ってゆかれるのか(* ̄m ̄)
黒斎さんのおかげで最近は、
答えを先に頂いて、後でゆっくりじっくり考察する、
という「ゆとり」を与えていただいているような感じがします
答えの中に黒斎さんの考察も含まれているから、なお解かり易いですね
これがほんとのゆとり教育か? 笑
皆さんの意見もたくさん参考になっているので助けて頂いてま~す♪
黒斎さんが去年あたりから、時々短く挿み込んで来る文言に、何となくそういう雰囲気を感じていましたが・・・
それを、(私はありがたいですが)ブログでやってしまいますかぁ。(^^;)
まぁ、数多くの人が読んでいて、不特定多数の様々な思想や概念をぶつけられる事も多くなるのかもしれませんが。(当然、そこには私も含まれています。)
黒斎さんの活動そのものについては、心の中で応援しています。(でも、違和感を感じたら批判的なコメントもするかもしれませんが。)
黒斎さんならではのアプローチ、楽しみにしています。
指摘に必要なのは上下関係ではなく信頼関係
ってホントその通りです。
怪しい話は、個人的には
大歓迎です。
私も
だれにも言えない怪しいひらめきをしてしまって
誰かに聞いてほしいけど
誰にも言えない
ってモンモンとしていますので(^^)
あ
金沢講演
とっても楽しかったです。
またいらしてくださいね♪
あのバトルもなかなか面白かったですがさらなる展開を考えていたとはなかなかやりますなぁ(ニヤリ)
いや、考えてたんじゃなくて降りてきたといったほうがいいのかな?
でも降りてきたものをどう展開していくか考えてたんだからやっぱり考えてたんですね。
正直ネタ切れもありえるなあ。きれたらどうすんだろとなかば真剣に心配してたからこのあとの展開がものすごい楽しみです。
相当ぶっ飛んだ話ってくらいだからあべさん以上にやばそうですががんばりながらがんばりすぎないように噛み砕いて話してくださいm(_ _)m
僕はこくさいさんやあべさんの言ってることは多分真実だろうと思ってますがそれを全く別にしても話や物語自体は十分面白いからそれ自体に価値があると思ってます。
今日の記事で、ここ数年のうちに、なぜ、対話形式、一人語り、物語と表現形式を変えていったのかが分かりました。
黒斎さんなりの深い考えがあったのですね~。
今日の記事を読んで、なぜか僕の心は、ほんわかしています(^O^)/。
新しい話楽しみにしています。
それにしても「ウロコポーロ」って良い語感だなぁ。
どなたの言葉か分かりませんが、座布団10枚差し上げたい気持ちです。
こちらの方は2000年前ではなく20年ほど前の話です。秘密組織から脱走した博士がジャーナリストの前で
実演して見せたそうです。
この話を読んで私が思ったことは、ぶっ飛んだ内容になりますが次のようなものです。
「空(くう)にはあらゆる物質を創造できる源があり
物質化とは意識の働きかけによる素粒子の再構成である。物質とは大元をたどれば電子とクオークの集まりであるから、空中に無尽蔵にある窒素原子や酸素原子からどのような物質でも作り出すことは可能である。あとは意識のイメージによって設計図を描き、実際に素粒子達に号令をかけて設計図通りに組織化させるメソッドがあればよい。」
もしも黒斎さんがもうすでに物質化に成功されているとしても、私は驚きませんよ。
最近、錬金術とか魔法使いとか夢物語ではない
という感覚になることがあります。
(;^ω^)・・・
そう思いながら、根拠がないので苦笑している自分が居ます。
だから、解き明かしてくれると思うと興味津々です。
これからも楽しみにしています。
黒サイさん、応援してますよ
こちらの図でようやく読めました。とても興味深いです。
今後の展開を楽しみにしてますね♪
これまで悟り一辺倒だった阿部敏郎さんに気兼ねしてかけなかった記事、すなわち空から一段降りた創造の次元における、ステージ3についても、書いてほしいな~。
だって黒斎さんの記事ならみんなマジで読むでしょ。
もう何だか言葉にできないぐらい熱い想いが込み上げてきます。黒斉さんみたいにうまく表現できないのですが、今回の記事を読んだら黒斉さんや雲さんの無償の愛みたいなのが、ぶわぁ~って心に入ってきて、形には見えないけど私の勘違いかもしれないけど無償の愛を感じて涙が出そうになりました。
どんなにグレてもどんなに悪態ついても、見守ってくれる親みたいな感じ。あ~(ToT)うまく表現できない!!でもそんな感じ。
とにかくとにかくありがとうございます!!
これからの記事もめっちゃ楽しみにしてます!!
しかし、対話形式って雲さんの目は黒斎さんに、黒斎さんの目は雲さんに向いている形式じゃないですか?(あくまで比喩です)
それが、「指摘」の記事では、黒斎さんの目がこちらに向いて感じましたよ^^
最初の方の記事で、人の目は何度転生しても、人間味を映すと仰いましたよね。
だから、こちらを見て話してくださる黒斎さんからは
人間味をすごく感じられたと思います。^^
それゆえに私は偉そうだとか、雲さんを出せだとかは感じませんでした。
そもそも黒斎さんは今でも探求しておられる側で、教祖や教育者であるおつもりは無いのですから、
雲さんが私たちに見えなくても、(レベルが違いすぎて同じと言ってしまうのは申し訳ないですが)同じ探求者の黒斎さんが
その後ろに必ず控えているであろう雲さんの咀嚼した言葉を聞かせてくだされば、
私は私なりにそれをまた咀嚼するよう努めますから、満足ですよ。
雲さんの言葉を黒斎さんの辞書で訳したものを、私たちが各々、自分の辞書で訳す、みたいな。(笑)
あながち、黒斎さんを雲さんの預言者…言い換えると神の代理人のように捉えたかたは、
「お前じゃない!神を出せ!(雲さんを出せ!)」に、なっているのかもしれません。
でも、このblogの最初の方の記事にある趣旨は、「一緒に勉強しましょ!」でしたよね。^^
一緒に勉強させてもらう私たちのスタンスって、「宿題見せろ!」じゃなくて、「これって、どういうことかなぁ?」であるべきかな?と私は思います。
雲さん出せ!偉そうにするな!は、宿題見せろ、と同じように感じました。って、伝わりにくいなぁ…文章へたでごめんなさい。
雲さんに依存せず、しかし、学ばせてもらい、
私は私なりの理解を求めねばならない。
それが、信頼し、学ぶということ、真に理解するということだと私は思ったりしてます。
宗教も、学問も、スポーツも、何かの見識を増やすものは、
自立した上で(依存しないで)自分なりに習得しないと、ただの受け売りですもんね。
わたしは、黒斎さんのブログを読んで指摘したいと感じた事はないけど、ひとつ目のほうが確かにズキッとシビアに感じました。そゆことだったんだ。わたしにもそーゆうとこあります。自我かー(^_^)
偉そうとも謙虚とも、感じませんでした。
なるべく(?)ありのままに拝見出来ていたのかもしれません。
それはひとえに、数年前に瞑想と出会ったからだと感じています。
色んなことが楽で、幸せで在ることが激増しました。
瞑想ではなくとも、黒斎さんの発信することがたくさんの方の目に触れて、楽に生きられる人が増えているのではないか?と私は感じます。
そうなら、とても嬉しいですね。
そして、ワインやパンを増やすお話ですが、私も最近になって「そういったことも可能かもしれない」と感じています(笑)
今後が更に楽しみです!
会話形式であれ一人語り形式であれ、形式関係なく、黒斎さんのブログを拝見することで、いつも気付きを得ることが出来ます。
抵抗があれば苦しいのかもしれませんが、抵抗があるならあるで、手放していくことで楽になりますし、更なる気付きがおとずれることもあります。
黒斎さんの仰るように、誰が語るかが重要ではなくて、何が語られているかが重要だと、私も思います。
黒斎さんが発信することで、たくさんの方が幸せで在れるなら、とても素晴らしいと思います。
更新頻度がどうであれ、形式がどうであれ、黒斎さんのブログが私は大好きです。
いつもワクワクしながら拝見しています。
きっと、私と同じように感じている方もたくさんいらっしゃると思います。
やっぱり、リラックス~♪ですね(~ ̄▽ ̄)~
もし可能であれば、で大丈夫ですので♪
可能でなければ、なんとかしてパソコンから拝見すれば良いだけの話ですし♪
(~ ̄▽ ̄)~
昨日と同じ内容でも形式が違うだけでこうもちがうのかと、痛感しました。また自我というものの特性を黒斎さんは、本当によくわかってるんだなあと感心しました。もちろん内容も腑に落ちましたよ。
ウロコボーロ理論楽しみです。この前の阿雲の呼吸の最後の最後に黒斎さんんが、おっしゃっていたお話とかんれんするのかな?
ザ・マネーゲームから脱出する法、面白いです。
今後の展開楽しみにしております。
認識って言葉もしっくりしてませんが、そうなんですよねー。
ここのところそんな感じが多くて。
自分でゲル状な不安定さというか、そう言った感じはかなりだったんですが。
やっと落ち着いて来ました。
↑意味不明な妖しいヤツでごめんなさい。
放置して下さい。
27日楽しみにしてます。
どうぞ宜しくお願い致します。
とってもすっきりしました
聖書の話しもどんどん伝えていってください^^
私たちはすべてを持っているんだということを、
もう隠せない時に来ているんだと思います
とてもわかりやすかったです!
『ウロコポーロ理論』と同じ方向かはわかりませんが、
以前そのような類の本達を読んだ時に「うわ~そういうことだったのか~!」と感動して
人に伝えようと試みたことがありました、
「この世界はホログラムだったんだよ!」
「俺が見ていない時に俺の部屋は無いのかもしれない!」
「お金も自分で作ってたんだよ!」
‥友達がサーッと引く音が聞こえました(笑)
ですので黒斎さんのこれからのお話楽しみにしています☆
きっと革命的な内容になると思います♪
僕自身は日々トレジャーハントを楽しんでいきまーすo(^▽^)o
いままでの記事で、一人語りでも会話形式でも違和感なく読ませていただいてきたつもりです。ただ、確かに会話形式のほうが楽しかったような印象が残っています。
そして、前回の記事を読んだときにはそのまま読んだだけだったのですが、なぜか、今回の会話形式を読ませていただいているうちに、脳裏にあれやこれやの疑問ばかり出てきました。
なにが引っかかっているのかはよくわかりませんが、素直な感想です。
読み始めてすでに3年ほど経ちますが。。
いつも楽しみに、笑いながら読ませてもらっています。
しかし、その陰で大変なご苦労があったのですね。
ありがとうございます。
私もキリストのお話は事実であると思っています。
実は、物質は有限ではなく、無限に作り出せるとなんとなく思っているからです。
今後もお話よろしくお願いします。
指摘.2を読んでただその言葉が浮かんできましたよー
「指摘」の記事は2部制だったんですね!
すごく実感を持って学べる人間洞察ワークでした!www
昨日どうしても気になってコメントしたんですけど、自分が気になってた部分もわかってすっきりしました。大体わかってても、自然消滅とか許せないタイプで…(^_^;)
これからのお話は「ザ・マネーゲーム」~の本とかボブさんがおっしゃっているような内容になっていくのですね。
楽しみにしています。
なんかごめんなさい(;O;)こういうことも「信頼関係」なんだな、そして人は見たいものだけを見ているのだなと思いました。
コメント欄はもう見ません。たぶんw
質問はするかもしれないけど、おっしゃってたように必要ならば記事の中にヒントが入るのだろうと思っておきます。
このブログに辿り着けて良かったです(^-^)
すべて同じものでできているので、それを操れたら何でもこの世界に出現させられますね。
そのうちツキイチ☆とか講演会で実技の披露があったりして
うん、ジャネットジャクソンではありませんよ。。。
くだらなくてすみません。どうしても言いたくて。。。
それはともかく、僕自身としてはどんな表現にしろ違和感はありませんでした。鈍感なのかもしれませんが、
読者としては方法論よりその行間にある感覚や意味を読み取っていると思うので、
雲黒斎さんがわかりやすいように丁寧に説明されている限り、たとえ表面的な意味を理解出来なくても、
なんとなく感覚的に何かを得ているのだと思います。
結局誤解していたとしても人間同士なので仕方ないことですし、もしかしたら誤解がなにかプラスになる可能性もあるかもしれないじゃないですか。
ですから黒斎さんが面白そうだと思うことをどんどん実践してみてください。このブログの読者は知識はもちろん、どうなるかわからない展開も楽しみの一つだと思っているはずです。
とにかく面白いのがいちばんです。
あと、ロバート・シャインフェルドさんの「ザ・マネーゲームから脱出する方法」を読まれているようで嬉しいです。
僕もその本を読んで衝撃を受けて実践していますが、本当に正しいのかどうか心配でした。
でも黒斎さんが読まれて、なおかつヒントを得たというならばある種真理があるかもしれないということなのですね。
ちょっと安心しました。
自分自身の話で恐縮ですが、ウロコポーロ理論において前出の本を読んでいる限り、僕自身はステージ2に行っているように思えます。
だってステージ1で努力にうんざりしてもう降参って感じの時に出会った前出の本であったり引き寄せの法則でしたから。
そして今は宝探しをしている最中で、観念からどんどん力を取り戻しています。
しかし、ゲームからの脱出はステージ4なのですね。ではステージ3とは?悟りはやはりステージ4なのでしょうか?生きながら「空」に帰るって?ゲームからの脱出でカルマプログラムから影響受けなくなるの?ワンネス体験と解脱って違うの?色々と気になりますね。
シフトされているとのことで、とても楽しみです。
これからの展開にワクワクします!
最後に・・・
・・・マ○コポーロ(お菓子ですよ、お菓子。)
「このblogの趣旨」に書いてあることは結局変わらないと思ってよいのでしょうか?もしそうであれば、同意や感謝したいところはそうするし、ちょっと違うと思ったところは率直に、しかし言葉を選びつつそう書き込む、という私のスタンスは変わりませんが、それでいいのでしょうか?
もし批判や指摘をしないでほしいということなら、ブログ主はコクサイさんですから、それに従います。
それはそれとして、 今回の記事、とても面白かったです。そして続きが非常に楽しみです。応援しております。
阿部さんのところから飛んで来ました。
結構前から読ませて頂いていましたが、はじめてコメントします(笑)
僕には、こちらで書かれていることは黒斎さんがどの手法で書かれていようが、自分に必要だから書かれているのだと思っています。
なので、どんな時もありのままの黒斎さんの表現をして頂きたいなと思っています。
僕はどんな時にどんな表現をしようと、それが黒斎さん愛だと僕は感じていますから。
瞑想の話の続きも、今日のぶっ飛んだ話もはやく聞きたくてワクワクしています!
これからも楽しみにしていますね。
ありがとうございます。愛を込めて。
反対に、異論を完全に不必要なものとしてシャットアウトしようと言わんばかりのコメントもまま見受けられ、それはそれで「違うんじゃないかな」と思っていました。
ただ、前回の記事を読んだ限りでは、指摘はしない方が良い(コクサイさん宛てであれ、コメント欄の他の方へであれ)という意味にも受け取れたので、もしブログ主であるコクサイさんの趣旨がそう変わったのなら私はそれに従います。
物質化については
色んな所でよく聞く話ですね。(私がどこに行ってんだって話か)
物質化と精神性の高さは全く関係がありませんが
量子学の事をちら見すると
人間は自分に制限をかなり設けてしまっているんだな
というのがすごく浮かび上がってきますね。
その意味で、ひとつの好例かも。物質化って。
ウロコポーロ理論、おもしろいですね。
突然ワンネス体験をして、それから
忘却のステージだったり、捜索のステージだったり
一日のうちでも行ったりきたりしながら進み
あるいは一瞬創造ステージだったり
そういう感じで非常に多次元的な気分です。
受け取り手である僕自身の理解が追いついていない時は多々ありますが、それでも黒斎さんや阿部さんの言葉や表情からは、何か暖かさや安心感を受け取ります。
だから毎日訪れちゃうんだろうなぁ。
今まで以上にトンデモな話を楽しみにしています^^
表現方法も更新頻度もマイペースでご無理はなさらずに~。
もちろん、たまにはこちらが呆れるほどのギャグもお願いしまーす。
人を動かすのはかくも難しい。
黒斉さんの努力が報われんことを。
あんでるせん
引き寄せの法則系の話だと始めは思いました。。でも、、なんか違うのかな~。ドキドキです。
表現方法についてですが、黒斎さんのおっしゃること、よくわかります。。もう何年も前からコメント欄を読んでいません。
すべては真実と思ってますし、黒斎さんの話はとても分かりやすいです。だから、、家族に隠れてでもやっぱり読み続けたい!
そんなトンデモな話ならば尚更、必死に隠れ続けねば( ̄^ ̄)ゞ
どうか存分にお願いします!
僕がお話したい話の核心よりも、
「守護霊」というイメージが一人歩きすることで、
一部の方の関心の寄せ方が、
僕の望んでいなかった、ファンタジーの方へと進んでいってしまったことです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
黒斎さん。↑このことは私にとっては救いでしたよ。
なぜなら 黒斎さんと同時期に 突然言葉が降ってくる?ようになって 怖がっていましたから
雲さんの登場は、私にとっては本当に救いでした。
ありがとうございました。
それから もうひとつ。
ウロコボーロのお話。
ステージ4の次の、空の現れとして「今ここに在る」ステージ5が 是非 お聞きしたいです。
どうぞ宜しくお願いします。
ぜひ勉強させて下さい!
あえて指摘させていただきます。
コクサイさんは・・・・・・・
ハッキリ言って・・・・・・・
STVの福永アナウンサーに似ていると思います。
あのメガネ・・・・
あの笑い方・・・・
あの喋りのセンス・・・・
まさか親戚ではあるまいな?
私五年間同じ願いを持ち続け、六人のスピリチュアルカウンセラーさん(友人含む)に、ありとあらゆるアドバイスを頂き、全てやりました!ビジョンボード、新月の願い、神社参り‥‥でも、願いは叶いませんでした(涙) 全てに限界を感じ、自分にもほとほといやになり、黄色い本を読みました。。。欲?自我?パイプ詰まり?!求めない?!この時の衝撃よりも大きいでしょうか? とにかくどこかのスタイルで腑に落ちますように!!
図解のとこから、ついてけるかな、むつかしそうって思った^^わからんかったらわからんまでのことですよね(涙
空からパンがふったり、お水がぶどう酒に変わったりしたことは、ほんとうなんか~と。「アミちいさな宇宙人」1~3←さくらももこさんの装丁が可愛い。や、「キリストの秘密」を読んでたのでびっくりはしなかったです。
でも、まだお腹におちて納得はしてない感じ。黒斎さんのブログや、これから色々な方にお会いしたり、本を読んだり・・そんな生活のなかで、「ああ、だからかあ」っておちる時が来るんじゃ?という勝手な予感はあります。(来るかな、来るといいな・・弱気)
ええと、どなたかが黒斎さんが阿部さんの冥想のはなしをされて、それを聞いて受けるの決めたってありましたが、わたしもそうです。大阪での講演だったんですが、黒斎さん「最初、あやしいって感じた」って素直に言われてて、でも、受けてぼくはよかったというのも率直に語られてて。。決心がつきました。
私の場合、受けたところで、なんっも変わらん可能性があるなあ、でも、人生で1回くらい変わった経験してみるのもいいかって。「冥想」では、もうずーっと挫折続き(続かない、入れない)だったので、期待なく、かわりに伝授ってなんやろうって日にちが近づくにつれ不安が広がりました。
で、その日(金沢)から一ヶ月経ったんですが、してます。(自分にとっちゃ奇跡)
怒るのが減った、不安感みたいなのも・・かわりにテレビのCMが苦手に・・ながくテレビ観れない・・
大阪での講演で、「あやしい」っておっしゃった上で説明を聞かなかったら、今はないです。
悲しいかな朝、夕の冥想時は心の(マインドというのかな)そうじで終わってる感がありますが、今のわたしにはそれで充分で、必要なことなのかなと思っています
おおい原電再稼動の説明会、指摘についてを絡めてここのブログとコメ欄を見てたら、正義について書かれてる方がおられて、ああ~って。でも、どうすりゃ。
すごく楽しい!!
やっぱりワンネス体験だけで全てがわかるわけじゃなかったんだね
うまく言えませんが…いつもありがとうございます!(具体的に書こうとしたら、文が思いつかなくなりましたOMG)
でも最近アプローチの方法が変わってきてたんですよね。
これからは「Do」をやっていくと以前書かれてましたものね。
でも私は散々そういうDo的なことをやって来て疲れ果ててここに辿り着いたので。
そういうことを言わないのが黒斎さんのいいところだったじゃないって思っていました。
今も毎日覗いていますが、やはり過去の記事の方がビンビン伝わって来ます。
こういう記事書いてた頃の黒斎さん大好きだー!って思います。
「もうあの頃のあなたには戻ってくれないの?」
(と、別れ際の彼女風に)恨めしい思いで見つめていたんです。
でも今日の記事を見て嬉しくなりました。
まだ一緒にいてもいいのかな?って。
そんな私はアファメーションや引き寄せの法則がとても苦手なタイプです。
あの図で行くとまだSTAGE.1にいるんだと思います。
そんな自分にキリストの奇跡などの話が理解できるかどうかわかりませんが、
でもそういう話はなぜかとても興味がありますし好きです。
黒斎さんと一緒にウロコポーロしたいです。
とうとう、出てきましたね。
いつかは、全てを開示してくれると思っていましたが、思っていたより早かったです。
しかもこんな形で示されるとは、
本当に、冗談がお好きなんですね。
楽しみにしています。
どうしても、自分の中に依存傾向が見えるし。
ただ、新たな「シフト」についてのお話とても楽しみにしています。黒斎さんが1番ベストだと思う表現でお願いします。それを読んで理解できずに欲求不満になるとしても、読みたい。待ってます(o^∀^o)
聞きたい、聞きたい~~、どんどん話して欲しいと、ワクワクがいっぱいです(*^^*)
私は文章を書くのが苦手だし、意を尽くして語るのも苦手だから、前回ずいぶん、かいつまんでしまいましたね。
この指摘という記事、2編を読ませていただきとても迷いました。この文章を書くか書かないでやめるかをです。
ただ、雲さんまで全く理解していただいていないのなら、書くしかないですね。
雲さん、指摘は優越感でするのではありません。
もし山であった、登山者同士だとして、相手方が谷ぞこにどんどん進んでいるのをきづかないとしたら、
信頼関係など言わずに指摘するのは当たり前のこと。
他の方に書いたのではなく黒斎さんに書いたことです。
そうかなあ氏が、黒斎さんに、黒斎さんの考えを突き詰めていくと今のスピの世界をひっくり返すものに行きつく、と言いましたね。
私はそれを黒斎さんが理解し、その視点に立っているのであればぜひお聞かせ願いたいと思っていました。
でも黒斎さんは解っていなかったですよね。
そうかなあ氏も本当はわかっていないんじゃあ、なんていってましたね。
あの時黒斎さんは、彼を阿部さんのようにお出入り禁止にし、データ全消去にしてもよかったし、
またそうかなあ氏に、今は理解できていない、君のたどり着いたことを教えてほしい、シェアしてほしいということもできましたね。
でもどちらの道もとらなかった。
黒斎さん本人はでもよく分っていたと思いますが。
くれぐれも誤解がないようにいますが、そうかなあの言うことが
黒斎さんより優れていると言ってるのではないです。
ただ今になって他の人間に気に入らなければ来るな、と言うのはいかがかと思ったのです。
彼女は黒斎さんに甘えたかっただけで、そうかなあ氏の返答の十分の一で彼女に、あとでしっかり話しますってコメに入れるだけでよいでしょう。
なぜそうしないのかな。
こうに書いてしまえば黒斎さんにあの時を思い出させるし本意ではないのです。
でも黒斎さんのよいところはだれでもコメが入れられて、言い合いしながら、進んでいける風とうしのよさとふところのふかさですよね。
それを失うのは自ら谷底に進むこと。
それでコメしました。
ここまで書いたのでいいますが、そうかなあのいったのは、これから話す、イエスのパンからの言及、どこまで黒斎さんが話すか知れないけど、ちょっと足りないと思います。そこじゃあないよね。
でも黒斎さんが自分のよさを失わなければそれが一番だと思う。
でも、黒齋さんの方が男前よ。(^з^)-☆Chu!!
流し忘れないように、、、
いや、置いて行かれないようについていきますよ!
下水の果てまでも!!
ガンガン不快にして頂ければ幸いです
黒斎さんの役割は気付きを促す事だと思いますので恐れる事なく忌憚なく書き続けて欲しいです!
そうだったらいいなぁ(笑)。
パンを増やして見せたのは海辺!
宇宙食は水分含んで何倍にもなるし!
一回死んでまた生き返るの宇宙人なら可能?
毎回、楽しみに読ませて貰ってます。
ありがとうです。
これから展開してくださるのですね。
うわ~、すっごくワクワクする~~。
ホントにワクワクします!
黒斎さんは「トンデモ」な世界と今日は書かれていたけど、
それがトンデモでも何でもない世界が、
もうすぐそこな気がするんですよ。
見当違いな努力をしているかもしれないのですか?
とても知りたいです。
黒斎さん、そんな次元に行かれていたんですねー。
最近コメントを書くことに、
自分の自己顕示欲を感じていたので、
もおコメント出すのは永久封印しちゃうんだぞ☆
と思っていたのですが、
あまりの話に興奮が抑え切れず、
応援コメントを。
どんな話でもいいです、
お気づきになったことをバンバン!ドンドン!
出しちゃって下さい!
是非!
是非!!
それにしても、黒斎さんほどの識者でも
ブログという形で考えを書くことには苦労されている
のですね・・・。
私もレベルは違いますが、似たような経験を
したことがありまして。
そこで、
「聞かれもしないのにベラベラ意見を言うものではない」
と痛切に思いました。
いろいろ難しいですね・・・。
なので、黒斎さんの勇気には拍手を送りたいです。
楽しみにしてます!
誰が誰に対して言っているのかによって、確かに変わってきますね。
もちろん、どのシチュエーションでもそうだ、というわけではないでしょうが、
そういう場合が多いのは確かだと思います。
そして、黒斎さんなりに、伝える方法を色々悩まれていたことがよく分かりました。
その御苦労に感謝したいと思います。
いつもありがとうございます。
聖書の話、私は事実だと思ってました
だって私たちは神様なんでしょ?
創造主はなんだって出来ますよね
楽しみにしてます
よろぴく
たしかに、昨日の記事より、今日の方が、格段に受け入れやすかったですよ。
ってか、黒斎さん、お久しぶり!
ブログはいつも読んでますよ~。
今、職場でも、まさに怒りを持って指摘する人とそれに怒りで反発する人の、コントロールゲームの真っ最中なんですよ(ーー;) 疲れっちまいます。
ウロコポーロの全体図、自分がどこにいるのかわかりまへん。
いまだ、STAGE1なのか、STAGE2に入ったとこなのか…。
今後を楽しみに待ってます(^-^)/
今回の記事の内容と、ひでさんの物質化についてのコメント、とても興味深かったです。
最近、色々な場で本当の幸せや利益というものが見直されている気がします。
世間の人々の価値観がどんどん変化しているようで、私はそれがすごく嬉しいです。
これからも、皆さんと共にあるがままの今ここに帰っていけたらなぁと思います。
全くどういうことなのか、理解出来ませんでした。
その謎が解明されるのでしょうか?
も~っ!楽しみです♪
黒斎くんと阿部さんのコラボ講演に参加してから、毎日がわっくわく♪なんです☆
ありがとうございま~す(^-^)g"
あべさんのとこからやってきて、物語が終わりに近づくころから黒斎さんのブログに参加させていただいています。今日「見取り図」がでてきたところで、ひとりカフェにて大爆笑してしまいました。ブログを読んできて、いろいろなアウトプット形式をもっているひとなのだなぁと常々思っていましたが、今日は一見深刻なトーンのお話からの、あのチャート。
深淵ではあっても深刻さにとらわれてはいない黒斎さんが自分のなかにポンっと飛び込んできたのかなんなのか、あはははは~と笑ってしまいました^^いやー、きもちいい笑いだった!
黒斎さん、「常に複数にして単数の存在」、これからもあなたのあの手この手でともにたのしませてください。あいもかわらず、たのしみにしています。
それではみなさん、今日もよい一日を。
トンデモな話かけるんですね?
かけるのは、多分、かなり守られてると云う事ですかね。
私もトンデモな話はあるけど、自分の中で封印しちゃいました。
他でブログしてますが、話によってかけるのと、かけない事があるので…。
話が纏まらなかったり、書いちゃダメお知らせがあったり、ある意味、私も守られてると云う事になります。
黒斎さんは、ある意味選ばれし者であると私は感じてます。
こーゆ内容でここまで継続出来るのですから。
偶然なのか、必然なのか、自分のブログで、指摘について書いた後に、黒斎さんのブログを読んだら、私のとは違う受け取り方の指摘が綴られてて、なるほどと思いました。
自分は常に独りだと考えてる部分もあるけど、やはり、繋がってる部分もあるんだなと、勝手ながら思ってしまいました。
頑張って下さいと言って良いものなのか、多少戸惑いがありますが、いつも、黒斎さんのブログ楽しみにしてます。
おやすみなさい。
どんな表現方法でも、これからのブログを今まで同様に楽しみにしています。
あと…
最近、私も守護霊さん?と交信できるようになりました。びっくりです。あと、不思議な夢とかもよくみます。
人生最大(多分)のターニングポイントをむかえ、死のう!! と思い、負のスパイラルに巻き込まれる中『あの世はあるのか?』と思い こちらのブログにたどり着きました。死ぬのやめました(笑)
息子2人を立派に育てます
p(^-^)q
是非にお願い致します!
黒斎さんのブログと『いまここ』ブログと出会えたことを最高の幸せと感じています。
これからも、宜しくお願いします(^▽^)♪
この記事の幾つ前から考えてたんですか、この流れ(^_^)
脱帽しました(´∀`)
ウロコポーロ楽しみにしてます(^o^)v
少なからず人間に生まれてきたなら、奇跡を体感していると思いますし。
しかし、指摘。
自分の世界の事なら、他者の指摘すら自分のエゴが作り出している気もしますが。。。
指摘されても何にも感じない時もあるし。どうなのかな。。。
ここのところの更新の間があくことと数日前からのコメント欄の流れを見て少し心配をしておりました。
が、いらぬ心配のようですね。
やはり覚者とは、懐の深いものですね・・・
年下のあなたが高く輝く雲のようです。
有難う それだけです。
なるほど・・・
対話形式になると、自分が第三者となることが良く分かりました。
自分を離れた所(高所かな?) から、第三者となって眺めていると、外界に対する自我の反応に巻き込まれなくなる・・・・・
恐らく、こういった感じでしょうかね.....ナットク
大変でしょうけど、今後ともよろしくです。
ありがとーデス
<NTTドーモ>
実は普段携帯からしか見ないので、今までまともに見られなかったんですよ~。
印刷しておこうかな?
しかしこれは・・・本当にトンデモな話になって行きそうですね。
私も色々精神世界の本や量子物理学の本を読んでいくうちに、まさか奇跡と伝えられてるあれもこれも実話なんじゃ・・・と考えたことがあります。
頭がおかしいと思われかねないので、人には絶対言えないですけどね(^_^;)。
こんなの不特定多数が見るブログでやっちゃって大丈夫なのかなぁ?と思いましたが、楽しみにしていらっしゃる方が沢山いらっしゃるようなので、きっと大丈夫ですね(^_^)
浄化だったようですね。
そして浄化を経て
記事の内容がシフトアップすることになったと。
追記でも
「今後、それが誰宛かに関わらず、煽りや揶揄、揚げ足取りや罵倒など、不要な不快感を感じさせるコメントの掲載は控えさせていただきます。」
とハッキリ宣言してくださいましたね。
これからの記事に期待します^^
おかげでここへきた。
ウロコポーロではないけどフニストン。
キリストに出来たの何故か、同じ事をすれば誰にでも出来るのか、それはどんな事なのでしょう?
色々な表現方法も楽しみにしていま~す♪
(^∀^)ノ
自我(エゴ)の理解、私も深めていきたいです。そして、思いやりのある人になりたい♪^^)
「月イチ☆」(三鷹)も楽しみだな~す!
ライブの表現方法(もしかしたら参加者との関わり方)も大きく進化・・・?
毎月通うゼ~っと!
stage3がイエス様!?
私は「あるヨギの自叙伝」とか読んでイエスの奇跡とかインドの聖者のすごい話とか一杯信じてきたんですがww
でも一番気になるのがstage3ですら潜在意識はのほうが顕在意識よりも低いんですね。
気になりすぎます!
大興奮www
益々面白くなりそうですね~ウロコポーロで新大陸発見なるか
…楽しみです
あとですねぇ、私これからもたまに失礼千万なコメしちゃうかもしれません(何せ精神世界の知識はあまりないし、知っても必要ないもの、どう解釈しても要らないなと思うものは排除していってしまうんです
興味無い事には触りもしないし
しかし黒斎さんは重要度高めです、私には)
その時は遠慮なく却下して下さいw
私の性格上、不謹慎極まりない人間なんでw自覚してるだけにタチ悪かったり、ねー…
色んな喩えや手法を織り交ぜながらお話する黒斎さんの徒労、凄いかと思われます、私の想像も及びませんが。
それでも語りかけて下さる黒斎さんの「指摘」は、私にはちっとも不快じゃないんだけどな。
むしろ心地いいです。
あとBlack Milk、笑っちゃったじゃないですかww
第二ステージの感謝の文字に、
感謝します(*^_^*)
そうですよね、感謝ですよね。
上手く表現できないのですが、今のわたしに必要な図。
必要な言葉でした。
先に提示してくださってありがとうございます。
キリストのお話もそうなんだ!と大発見でした。
記事を読んでコメント欄を読んで、
とてもワクワクしました。
これからのトンデモなお話も楽しみにしています。
>豆さん
私の批判コメ、豆さんと全く同じ気持ちでした。優越感とは違い、書いてる間ずっと不安で悲しかったです。
でも、こうしてコクサイさんがスタンスをはっきり明言されている以上、やっぱり趣旨に会わないマロは出て行くのが筋だと思いました。
でもコクサイさんがはっきりスタンス書いてくれたから良かったです。
そういうことであれば、確かにそうですね。
加えて、インターネットでは指摘してそのまま居なくなること、指摘してそれに対する反論があってもそのまま見ないことにする、ということも簡単にできてしまうわけですよね。
自分に興味があることがあれば、すぐ調べられるし、興味のある人同士の交流もインターネットの普及で簡単になりましたが、人前で語られることのなかった悪口・陰口・罵詈雑言が簡単にできるようになった、という側面もある気がします。
その点がインターネットのメリット・デメリットなのかな、と僕は思います。
ちょいと話は変わりますが、指摘することで優越感を感じて、そこで完結している人の気持ちに関してですが、正直僕には少しわかります。
というのは、精神世界の本を通じてそこにある真理と呼ばれている情報に自分は接している。かたや、周りの人間はというと、友達づきあいに忙しく、自分の内面と向き合う時間もないような人たちばかり。
本当に自分の求めているものは何なのか。
人間が本当に求めている何なのか。
それを考えないでノウノウと就職していく目的意識の薄い友達を、僕は横目でみて鼻で笑っていたことがあるからです。
この前の札幌で開催された「阿雲の呼吸」で、黒斎さんが自分の学生時代を振り返って、自分もそういう態度でいた経験がある、だから指摘する側の気持ちもわかるんですよねぇ、みたいなことをおっしゃっていて、かなりハッとさせられました。
ああ、自分もそうだな、と。
それに気づいた今の自分と、当時の自分。
気づいている、という点を踏まえれば少しは成熟しているのかな、とは思いますが、あまり実感がないというのが本音です。
・・・ところで、キリストが水をワインに変えたって、ほんとうだったんすか!!?Σ(゜д゜;)
いよいよ、本格的にウンコクサイ話に突入していくっていうことですね。
そんな私たちの足元を照らしてくれているのが黒斉さんだと思っています。
肝心の私たちは道どころか、その明かりが見つけられず逆方向を向いてみたり、
同じ所をグルグル回ってみたりしていますが…
それでも辛抱強く道を照らし続けてくれている黒斉さんに感謝します。
私も指摘されるのは嫌いです。
ちいさい頃から親に色々指示されるのも強制されるのも大嫌いでした。
よっぽど我の強い子供だったのでしょうね(笑)
もちろん今でも、他人から「能力が無い」と思われそうな様々な事柄に対して
敏感に反応してます(笑)
けれどこれがカルマプログラムから来る抵抗なら、
ちょっと冷静になって「あ、ヤツがまた騒いでるんだな」って思えそうです。
ちょっと気が楽になりそう。
図だけでは詳しく語られてないところもこれから語られるとのこと、楽しみです。
しかし、先には先があるんですね~。
ぼく的には、第一次ウロコポーロで、すでに大量のウロコがはがれた実感があって、すでにもう満たされた感じがあるんですが、黒斎さんが新しく知った世界は、またすごそうですね。
うちのガイドにも、おまえの知った世界が終点だと思わないように、と言われていましたが、まさにそんな先の世界ですね。
「指摘」に関してですが、ぼくはそんな「指摘」がきっかけ(おそらく)で、見性を体験したひとりです。
「指摘」は確かに、する側にも、される側にとっても、自我を刺激される行為だとは思いますが、自分のクセや傾向って、人から指摘されないとわからないことも多いですよね。
今思うと、ある言葉を言われて過剰に反応している”自我”。それが、「ここにパイプのつまり(≒カルマ)があるよ!」というしるし(サイン)だったのだと思います。
だから、指摘されて自我が過剰に反応してるっていうのは、チャンスでもあるんじゃないでしょうか。
自分が握り締めているもの(=自分が執着しているもの)って、自分で「これを握り締めている」と認識できてないことも多いと感じます。
以前に、ブログ本文とは関係ない、ステンレス流し台のCMの話とか投稿してしまった事ありました。
トンチンカンでしたね。
f^_^;
ごめんなさい。
何か、何でもアリの雰囲気を感じていたのも確かです。
m(_ _)m
ウロコポーロ 楽しみにしてます。
(^-^)
また実生活で目から鱗が落ちるような体験をしたら、
「今、ウロコポーロしましたっ!」
Σ(◎o◎;)
ってな感じで使ってみようと思いました。
(^w^)
↑
勝手ながら。
コクサイさん頑張ってください!
※書きかけの投稿文、間違って『投稿する』ボタン押しちゃったかもしれません。ごめんなさい。
m(_ _)m!!
携帯で読んでいる為、図、の中の文字がちっさくて読めませんでした。
(^_^;)
こちらの問題ではありますが、もそっと大きくしてもらえると有りがたいです。
あと、応援しています、と言いながら、未だ コクサイさんの書籍もDVDも未購入で、
何か具体的な形で応援をと思うのですが
ブログランキングのボタンは1人が1日に何回押してもカウントされますか?
過去のブログ読んだ時も押しますが、それは??
↑
「そんなのも知らないの?!」ってな感じだったらすみません。
m(_ _)m
コメ欄は普段あまり読みませんがご本人じゃなくても教えてくれる方がいたらお願いします。
今回はマメにコメ欄チェックします。
m(_ _)m!
再度、
ウロコポーロ 楽しみにしています!
手品かなやはり(・ω・;)
今までの世界が無意識だとすると、これからの世界は創造の世界ですね。
先日のまでのコメント欄が無意識の世界だとすると、これからのコメント欄は創造の世界になるのでしょうね。
無意識でカルマプログラムに支配されていた意識が、カルマを浄化することによって、創造的で自由なプログラムにリプログラムされていきますね。
瞑想によって多くの観念から離れ、瞑想者がいない空の次元になじむことにより、リプログラムが促されていきます。
空になじむことにより、体には気が流れ込み、クンダリーニが起きますね。
そのことが日常的になるくらいに気が高まり、カルマから自由になることで、いにしえからのマスターとも意思疎通も容易になり、また、自らも奇跡を行えるようになりますね。
手始めに瞑想で観念に気づき、空になじむことが大切ですね。
色んな角度から、体験された事を教えてほしいです。
私は、トンデモな話好きですよ。
感じたまま、書いてほしいです。
どうつたえたらよいか・・・。
DVDとかでみてると、もの凄く説明上手でトーク上手なのに。いろいろ考えているんですね。
ありがとうございます。
「トンデモ」な話ドンドンしてください。
今更、コクサイさんがそういう話をしても驚かないでしょうし。そういう話聞きたいもしくは大好きという人の集まりだと思いますし(笑)
なんせ、コクサイさん好きで拝見しに来てるばかりだと思うので!!!
キリストの話は、サレンダーの本でなんかかじってませんでしたっけ?この世には足りないものは何にもなくて、神様がすべて用意してくれるみたいな話。
せっかく悟ったんだったら、さとりをしらないものに教えてください。使命なんだと思いますから。
どんどん突拍子もない話、期待してます。
ではでは、楽しみにしてます。
凄いですね♪
対話形式とかでも違ってくるんだ。
指摘と信頼関係とか、
色々と勉強になりますた(^O^)/
少し、試しに【投影】を対話形式で作ってみました。
なんか面白い文章になったけど(笑)
(・Д・)【黄金律であるよな。自分にしてほしいことを他者にしてやりなさいって】
それはなぜって
【他者にすることは自分にすることだから】だよ。
(´Д`;)どうゆうこと?
(・Д・)よく覚醒者が悟ったって【全てはひとつ】だと体験するよね?
(´Д`;)はい、そんなこと言ってますね。
(・Д・)つまり、それは同時に【他者など存在しない】と言ってるんだよね。
(´Д`;)あぁ、なるほど。
(・Д・)だから、他者にすることは自分にすることで、
他者にしてやらないことは自分にしてやらないことになるんだ。
この逆もしかりで、
自分にすることは他者にすることで、
自分にしてやらないことは他者にしてやらないことになるんだ。
(´Д`;)はぁ?
(・Д・)全てがひとつとまず考えてごらん。
他者も自分という視点で考えてみるだよ。
(´Д`;)つまり、自分にして欲しいことを自分(他者)にしなさい。
それは、自分にすることは自分(他者)にすることだから。
あぁ、なるほどΣ( ̄□ ̄;
確かに、自分にすることは自分にすることですね(笑)
自分にしてやらないことは、自分にしてやらないことですね(笑)
(・Д・)そう、つまり、【投影】とは、他人など存在していないと言う、【比喩】なんだよ。
だからよく言うだろ、
【自分を愛することができない者は、人を愛することはできない、と】
(´Д`;)
自分を愛することができない者は、自分を愛することができない。
確かに、自分を愛することができないと、自分を愛することはできないですね
Σ( ̄□ ̄;
(^ー^)
うさんくさいハナシ
大好きです
楽しみにしています。
(^-^)
有限ではありますが嬉しく拝見しております。
「相手が求めていない場においての指摘は、まるで役に立たない(むしろ逆効果)」とすると、その人がどん底まで落ちて誤り(思い癖)に気づくまで改善できないことになります。
どん底まで落ちると這い上がってくるのがたいへんです。
その人が気づくまで打つ手はないのでしょうか? 息子さんがそのような状態の場合どうされますか?
自分を認めるといった場合、おうおうにして自分の誤り(思い癖)まで認めるのは間違いですが、でもその区別がわからないのでどん底まで落ちてしまう。どのように区別したらいいのですか?
とここまで書いて 「瞑想」と感じました。
前者の問いには「祈り」と感じました。
とりあえずアップします。
本とブログを楽しく読ませて頂いています。
かなり参考にさせて頂いております。有難うございます。
さて、私も1999年に精神世界系のホームページを公開しておりました(何年も続きませんでしたが)。形式は「対話形式」であり、掲示板も設置していましたので、やはり黒斎さんと同じ様な悩み?も有ったり、次は「物語形式」で新設しようかな?などとも考えていた事も有り、今の黒斎さんも当時の私と同じ様な心境なのかな?と、勝手に思っております。
当時のホームページの保存用のURLを記入させて頂きましたので、よろしければ・・・
あと、雲黒斎さんの内容では「思考」をどちらかというと否定的な意味で扱われておられるように感じましたが、私は「思考(熟考)」を肯定的な方向で捉えていますので、また機会があれば「思考について」もブログで展開して頂ければと願っております。
長くなりましたが、私にとっては雲黒斎さんの本・ブログとの出会いは貴重なものでした。今後も楽しみにしております。
どのような事をどのような形で書かれても、読みま~す☆
ダイレクトに聞きたいなぁ。
きっと「そうだよねぇ」って魂?が納得すると思います!
これからの記事を読む前から、何だかワクワクします。
自分でもそうだと思っていたことが書かれるような気がして。。。
もしかすると、今までの中で一番この記事が興奮しているかもしれないです(笑)
毎回あらゆる表現方法で、伝えようとしてくださりありがとうございます(^O^)
いかに自分が、観念という思い込みメガネをかけていたか…いろいろ気づくことができました。
正直、メガネの多さに嫌気がさしております。見つける度に凹みますし~_| ̄|○
が、しかし。
雲黒斎さんのブログを読み、ありのままの自分を受け入れられる事が増えました。(諦めとは違います。自分的に大進歩!)
今回の記事、自我まみれの私には、
「その通り! 自分のことを棚上げして、読んでました~ _| ̄|○」
と、またまた凹む記事でしたが、己を振り返れてよかったです。
イラストでのステージ説明も、感動!
黒斎さんの言葉の差す「そのもの」をとらえられるよう、ニュートラルな気持ちで読ませていただきたく思いますので、これからもよろしくお願いします(*^◯^*)
変幻自在、自由自在の黒斎さん。
そういう仕組みだったのかと感心しきりです。
わかっていることを「より多くの人がわかるように表す」ことの工夫
これからもいろんな手法で、発信してください。
こちらも、柔軟体操怠りなく、あっちもこっちもキャッチできる心構えで
どんどん開いていきたいです。
僕は、コメント欄をあまり読んでないんですが、やはりややこしい感じなんでしょうね。
まあ、そんなことより、これからも黒斎さんのリバティーな表現を待ってます。
個人的には、あまり気張らなくても良いと思うんですが…。
不誠実や頑迷さを相手に、逐一誠実に対応する必要は、ないと思うんです。というか、そうしたところで、双方に益なしかと。
キリストは、
「聞く耳のある者は、聞くがよい」
という対応でしたよね。
少なくとも、黒斎さんの内面は受け取り手が汲むべきで、自分からは発信されない方が美しいと思うんです。
おつらいかもしれませんが。
でも、「聞く耳のある者」を自負してる身からすれば、あまりウダウダした心の転々を見せて欲しくはない、というのが本音です。
読ませてください。
これからも。
おめでとう御座います。
わざわざコメントありがとうっす。
おいらマロさんに言われて照れるっすよ。
元気でいてください。
このコメを黒斎さんがアップしてくださるか否かおいらわからないけど、会えてよかったっすよ。
黒斎さん、昨日のおいらのコメは、やっぱりアップなさらなかったんすね。
これとは別にもう一つ昨日の続きを書かせてもらうっすよ。
ではその時に。
今回は「主観」と「客観」の違いを
わかりやすく教えてくださりありがとうございます。
次回からの更新も
楽しみに待ってますね♪
先月 STAGE2を丸3年かけクリア、現在STAGE3で「創造」を習得中・・。
以上(゜_゜)≧
更に楽しみになりました\(^o^)/
対話は自分に向けてコクサイさんが明記されてる通りだと思います。
これからも新規参入者ですが、
宜しくお願いします(=^_^=)
ヒマラヤ聖者の生活探究って昔の本有りますけど、これ本当だと思ってます。毎日、普段の生活でキリストの奇跡。
本当は宇宙は本当にぶっとんでいるのではないでしょうかね?
なんか最近、阿部さんも黒斎さんもギア上げて来たような気がしてました。二人でどーしたもんかね~~と話し合われたりしてますか?w
「川下り」の話、「サレンダー」降参の話しはチョイ前に気がついてました。今から思うと、かなりの宗教本ですでに説明されてる。
20年前に読んだ本にあの手この手で書いてある・・あの時は理解出来なかった。今は出来ます、理解出来た時はひっくり返りました。
>真実」を採用するかによって、自分の人生がどのように変わるか、また、個人個人が採用できる真実と、採用できない真実があることも分かってきました。
簡単に言うと、いわゆる「アファメーション」や「引き寄せの法則」などのメソッドで、実際に効果を実感できる人と、できない人がいることの理由です。
この話し、是非!!
そのきっかけを作ってくださって心より感謝します
1つ、お尋ねしたいのですが、人には主護霊と補助霊が
ついているとよくテレビでお見かけする方の本に書いてありました。私自身、その方と同じお仕事の方に見ていただき、主護霊と守護霊を教えていただきました。
黒斎さんのブログに登場される(本にも)雲さんはどちらにあたられますか??
別にどっちでも、、、と思われるかもしれませんが、本を読んでいてふと思い、お尋ねしてみたくなりました
これからも楽しみです。うれしいな。
ただ…
>僕のお話したいことと明らかに異なる解釈をもってのコメント
はダメなのに、反論や指摘はOKってそれこそ解釈が難しね。
反論や指摘そのものが、通常異なる解釈が含まれてくるものだろうし。
言い方によっては、解釈が異なるから反論となり得るとも言えるし。
誰かが有料ブログにすれば?とあったけど、それでもいい気がする。
そうすれば、一定以上の好意・興味を寄せてる人しか購読しないだろうし、そういう人たちからの反論なら黒斎さんも受け入れやすいだろうし。
個人的には豆さんやロンさん・その他鋭い名無しさん達のコメントが読めなくなるなら残念です。
不誠実とか浄化とか表現されちゃってたけど、それらが誠実に見える人も汚いものと思わない人もいると思うけどなあ。
普通のことなのにそのメカニズムについて言う人は
今まで居なかった(少なかった?)ように思うのです。自分も黒斎さんみたいに、ごく普通のことを注意して見ることができる人でありたいです。
でもなんだか考えさせられることがありました。とある人のことをちょうど考えてたら、その人に深く関係する三鷹の某所に偶然たどり着きました。三鷹はうん十年とうろついていても、わざわざそこには行こうと思わなかったし、大通りなのになぜかその道は通らなかった。場所も正確に把握してなかった。
なぜ黒斎さんの会に伺うのを間違えたかも奇っ怪ですが、その場所にいきついたかも不思議です。
最近、深呼吸したあと急に物事がピンとくることもあります。こんな経験は今までなかった。
神様がメッセージがわかったら嬉しいけれど、確率論の問題にも繋がるし、どう解釈していいかまだわかりません。
これからもブログ楽しみにしてます。このブログ、人生、なんだか自分が今まで思っていたよりももっと深い意味がある気がしています。
すごいなぁ~\(^^@)/
やっぱりわかりやすいです
ステキステキo(^-^)o
歌や音楽や歌手のように
伝わる人には伝わるのだとおもうし、すききらいとかなのかなっておもっちった。
なにかを感じて生きてるから
そうなるのも仕方ないかも…
人々は今までそうして過ごしてきて
争ってみたりしてきたのだから…(T_T)
例えば同じコンサート会場でのライブを見ても、『感じる』のは自分自身だし、
それでも、たったの数秒間の
一つになれる瞬間は、
それこそ☆☆☆☆
あれ
なに言うか忘れちゃた(;_;)
おすまい☆
メンタリズムかな(^w^)
イエスは全く疑いなくそれが起きることを知っていたので、
数々奇跡を行いました。
そこに私は居ません。
神(真我、空、大いなるもの、創造主etc)だけが在るからです。
黒斎さんの話やっと確信の処にきましたね。
これからますます楽しみにしています。
雑音など気にせず、
話したいことをドンドン書いてください。
だって「いまここ」に「わたし」はいなのだから、
唯一人の「あなた」しか居ないのだから。
おいらリア充で、見てなかったんすよね。
浄化とか不誠実とかっすか。
驚いたっす。
おいら暇なときはこれからもくるっすよ。
来ない理由も無いし。
気に入らなければ来るなって、返事が来そうっすね。
おいらは、黒斎さんにはちゃんと話したから、ほかの人は気をもむ必要はないっすよ。
おもしろいです。好きです。
ありがとうございます。
インターネット社会の中は、テレパシー有効ですね。
また不要なコメのunknown達、「文章長ぇよ。自分のことしか考えてない。」と言われるのかも知れないけど。
黒斎さん、unknownも不要コメ対象なら、追記に補足して教えて下さい。自分の場合、事情があってハンドルネーム使うと自分のノートは見せられないので、立ち去ります。
個人的には、こくさいさんについて、聖者とも愚者とも思いませんし、また、過度の謙虚さは結局、卑屈に繋がるので、私は嫌いです。
謙虚であることが美徳ということに懐疑的です。それこそ、あるがままでない。
自分の直感が、こくさいさんの文章を求める限り読みます。
あと、画像は、いかにも会社員のプレゼンという向きの図ですね、面白いです。
この世のものでないことを語るから、言葉の表現に限界があったり、比喩でしか話せなかったり、だから解釈を巡って後から論争が起きる、とか
いつの間にか「話し手」を信心したり依存したり拝んでしまうとか…
釈迦やイエスの場合もそうだったのだろう、そしてそういうことはやはり起きてしまうこともあるのだろうな…思いました。
阿部さんやコクサイさんのおかげで、今まで読んできた本や自分の体験の意味など、だいぶクリアになってきたような気がします。
今後も記事を楽しみにしています。
雲さんとの対話はこういう話しに不慣れな人には受け取りやすいけれど、こういう話しに詳しい人には曲解されやすく、本当に大切な部分が忘れ去られてしまう感じがします。
わたしは一人語りのスタイルもシンプルで好きです。
ただ極楽飯店だけは脱落しちゃったけど…。
このblogも新たなステージに立ったんだと思って、これからも読みにきます。
ございます。
いつも新しい、発見を
ありがとうございます。
いつも楽しく読んでいますよ。
所々、難しく理解出来ない所もありますが、
それを、ちょっとした
運転中に考えたり想像
したりするのが、最近の楽しみです
ブログランキングのボタンは
「同一PCからのアクセスは1日1回まで有効です」
だそうですよ^^
行きます~!
今から楽しみにしています。
そして、私はこちらのコメント蘭というのは
ほとんど見ないです。
あまりの数の多さ、またその人の思考が勢いよくはしゃいでいる感じがして、
読んでいて自分の心がざわざわしたり、
不快感を持ってしまうからです。
(読んだ後は瞑想をしたいと思ってしまいます)
また書いてある内容をいちいち判断するのも自分が疲れるので、読まないっていうスタンスをとっています。
黒斎さんは全て読まれているようですね。
ご苦労様です。
では横浜での講演会楽しみにしています♪
今日もいい一日を☆
でも黒斎さんはそれらを「見た」「わかった」から
ご自身の手(ブログ)と口(講演)を用いて、それをレポートし、公開なさっているのね。
ここ数日「そこにいろいろ指摘を加えることも、決して悪いことじゃないだろ!」というご意見があったのだけど
思うに、「自分が見たあの世があり、自分も気づいた、この世の仕組みがある」とわかった方には
「その表現はどうかな?こうも言えるぜ?」的な
対案というか、指摘?はしようがあるだろうけど
見てもいない、聞いてもいない、わかってもいない状態であることを認めながら
「俺はそういうのちがうと思うな!」と書き込まれることには、
「はい、その通りのあなたのご意見、意味がない、違うと思うな・・・」と読む。
「それってこういうことかな?」という、自分の現状から見た解釈の問いかけは、
それが正しいとも間違いともジャッジなく、互いに共有し合う意味があると思うけど。
「ああこうも取れるああも取れるが、それもエゴだね」と気づき手離すきっかけにもなるし。
ただ、誰かの書いた「浄化」という言葉が何かをふるい落とすかにイメージされて
ご自分が「その対象」となったかに勘違いされている方は
自らを「排除されるもの」と定義され抵抗を感じたのでしょうか。
コメントの反映に、ある一定のルールが用いられたとしても
それは「その人」を排除するものではなく、
書き込みを落とす以前に自分を鏡で見て「ゴミとわかるゴミ」は持ち込まないようにしてね
という意味だと思うのですが。
「浄化」と書かれた方も、「お互いの体に知らずついていた垢に気づき合い、
満を持して黒斎さんの「新しいステージのはなし」を読ませてもらう心構えをえた
そのきっかけとなった一連の騒動と結果を「浄化」とされたのでは、と思います。
個々の「勘違い」で、誰かを悪人と思うのは切なくも気の毒なことで
おせっかいなおばさんは、口を挟んでしまいました。
ワクワクします。
ありがとうございます。
>ご自分が「その対象」となったかに勘違いされている方は
自らを「排除されるもの」と定義され抵抗を感じたのでしょうか。
投影やエゴについての仕組みは、あなた自身のためのメソッドとして用いればいいんじゃないですか?
あなたがゴミや垢と呼ぶもの(人であろうが観念であろうが)自体をゴミとも垢とも思わない人もいるって話じゃないの?
悪人うんぬんは、そんなこと誰か言ってたの?
前半部分はよく分からないが、あの世・この世の仕組みを知らない人が黒斉さんと対等に別の解釈だなんて笑っちゃうわって意味かな(違うかもしれないけど)。
あの世からこの世の仕組みを聞いた人がこの世の仕組みを全てを知っているわけではないだろうし、仮にこの世しか知らない人の解釈でもそれぞれユニークさがあっていいんじゃないかな。
ボクは、どんなカタチでも受け取って楽しんでいるんで。
まあ、でも、その中で優先順位をつけるとしたら、好きなカタチは雲さんとの「対話形式」です。
いろいろと悩むところも多いかと思いますが、これからも楽しんでブログ更新していただきたいです。
これからもブログ、楽しく拝見させていただきます。
ありがとうございます
m(__)m
(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!
初めて書き込みさせて頂きます(多分)。
指摘のお話、とてもいいと思います。
私個人としての意見は、黒斎さんには、どんどん自我が嫌がる内容を載せて頂きたいと思います。そして、自分の自我の殻をどんどん破ってはがして行きたいと思う今日この頃です。
私もイエスキリスト等の奇跡は、本当だと思っております。
私も、理由は解らないのですが、金粉が現れる現象を目の当たりにしたことがありますし、ひょっとすると、この世が一番波動が低くて不安定な世界で、実はあの世こそが実在?というか、本当の世界なのかもしれない、と考えるようになってきました。
だから、あの世からこの世へ働きかけたら、奇跡なんて簡単に起きちゃうのでは、なんて思っております。
黒斎さんのグログ、引き続き楽しみにしております!
奇跡がSTEGE1、感謝がSTEGE2、努力がSTEGE3
に見えましたが違うんですね。
たまに更新をチェックすると
「まさに今そんなことで悩んでたよ~」という
個人的にタイムリーな話題に遭遇することが多くて、
なんというか、とてもありがたいです。
時おり苦いそれは私(自我)に染み渡り、
気付きや滋養になっています。
黒斎さん、いつもありがとうございます!
今後の展開も楽しみにしてますね♪
楽しみにしています!
すっごい、くっだらない事を書きます。(^^;)
ウロコポーロ理論の図なんですが・・・一番最初に見た時に、疑問に思ったのが・・・
「何でココに、東京都のシンボルマークが???」でした。それも、沢山。(笑)
よーく見たら、ウロコなんですよねぇ~。(^^;)
魚をおろす際、ウロコを取る時って、魚を横向きにしてウロコの向きをイメージしながら取るし。
これからの季節の鯉のぼりも、風に泳いでいる時は横向きになるので、ウロコって丸が上じゃなくて横の方が、個人的にはイメージし易いかなぁ、って思いました。
いや、すみません。あの図がすごく興味深く、とても面白くて、ずーっと眺めていたらフッとそんな事を思ってしまって。(笑)
今日は寒いっすね。
相変わらずコメ欄が充実していて、こんな日は読むのが楽しみっす。
「お姉さまたちの言葉攻め、すっごいおいら好きっす」って書きたい気持ちにブレーキ掛けられなかったっす。
で、うろこがぽろぽろなんすね。
おいら鈍いからツイッタ―の意味が、今さっきわかったっス。
誰も金持ちになってもいいし、黒斎さんがすっごい金持ちになっても誰も大丈夫っすよ。
あとは前におたよりしたので、あのままっすね。
物凄く引き込まれアッとゆうまに読んでしまいましたよ!物語を書くのが初めてとありましたが信じられません。
あの人がコクサイさんの守護霊なんだって途中なんとなく感じてましたが、ズバリでしたよ~(笑)是非書籍化してたくさんの人が読めればいいなって思います!
ウロコのマーク・・私も都のいちょうマークかと思ったもので^^;;
ですが。「指摘」だけでなく、このブログや黒斎さんの本でいつもたくさん気付きをもらっています^^
ありがとうございますm(__)m
そして・・これはちょっと前の記事になるのですが
先月、友人を亡くし、もうしばらく笑顔になれなれないかも・・・って本気で思っていたときに、このブログで発見したことがありました。
「歌詞に忠実な絵かき歌」と「笑えないときこそ笑え」の記事。。。
もう、ソッコー笑ったし、なんていう絶妙なタイミングに、と神様とブログに感謝でしたよ。
ほんとにほんとにありがとう^^
更新、楽しみにしています。
以前、学校で教えていたことがありました
雨の日とか、休む学生がいたりすると
その子のことを心配して頭がいっぱいになっていたりしましたが
あるときから、来ない人より、来てくれた学生を大切にするようにしました
黒斎さん の文章はいつも明るく楽しいです
どんなスタイルでも、読者がいなくなることなんて
無いですよ (まさに天性の)魅力ありますから
水がワインに、という話 おもいっきり 有り! です
池田晶子さんの本を何度も読み返しているので、プラトンがソクラテスを主人公とした対話編に終始した理由なんかを少し理解しており、黒斎さんのお話でその点さらに明瞭になりました。
ありがとうございました。
僕は無宗教ですが、キリストの奇跡は理屈抜きでやはり事実だったのだと思っています。
すべてが思し召すままに。
はじコメめまして
いろんな不思議…間違いなくあると思います
私はまだまだ勉強中ですが、これからも楽しみにしています
そして
マロさんロンさん、その他の方々
みなさまにも色々と教えていただきました
時の流れと共に今頃になって理解しだしています
あの時わからなくても今ならわかること
世の中には私の知らなかったことがたくさんあるんですね
ありがとうございます
ます。自分自身の意識が、神様との間に全くの疑いのない状態になれたら、可能どころか、当たり前の事だと、ずっと思ってました。
でも、深く、深~~~く刷り込んである不信感がなかなか手放せないみたいです。
説明の図、とてもわかりやすいです。ありがとうございます。
ツイート読みました。
誰が金持ちでも問題ないと思いますが、どのようにして金持ちなったか(なるか)が問題になることがあると思います。
じっくり読ませて頂きますです!
きぬさや さん、有りがとうございます!
トリは パソコン持ってませんので、1日1回、携帯から訪問して、ランキングボタン押して行きますね。
(^o^)/
教えてくださり、ありがとうございます!
今日も押してきます。
(^-^)σ
コクサイさんのブログが多くの方の目に触れますよに。
応援してます。
o(^-^)o
目の前に現れることは何とかなると想いながらも、職場では根拠を求められ、キャリアアップの意欲がない自分に「もったいない」と声をかけてくれる人たちがいる。
でも、今の時点でキャリアアップに魅力を感じないし、正直このままこの組織にいることは組織にとってプラスなのか。
成長、チャレンジが良しとされる社風のなかで、息苦しさや違和感を覚えることがある。
もっとプライベートを楽しみたいのに何でこんなに仕事してるんだろう・・と。
仕事を楽しめばいいといわれても、楽しむ為に仕事をしていない自分にとっては何のアドバイスにもならないし、むしろ苦痛。
なぜ、こんな思いをしながら生きているのか、早く意味を知りたい。
いつまでキャラクターをしていればいいのか・・・。
黒斎さんは今は流れで、自我の抵抗などに関して説明されていると思いますが、自我をなだめすかせるじゃないですが、手を繋いでしまえば厄介者でもなく、ある意味全体意識に追従するものというか…。
ロンさん達のことを「愛」と感じたのも、頭に浮かんだのが阿部さんと黒斎さんのコラボのyoutube映像ですが、阿部さんが目覚めた瞬間をある代表格の方が「前世のカルマ」と発した訳で、(目覚めた瞬間を引き合いに出すのは極端だと思いますが)人の内なるものがどうであるか分かりもしないのに、代表格が「業」「カルマ」と判断すると、つられて周りが「あれはカルマだ。」と言い始める怖さのようなことを言っておられるんだと思います。
上手く説明出来ませんが、すみません。
さすが、黒斎さん!
すばらしい~です。
次の展開が待ちきれない程、ワクワク感でいっぱいです。
一念義・多念義
のことを思い出しました。
stage 0 事件前夜
でお願いします。
いつか黒斎さんの表現で、そのお話を聞けるのを楽しみにしています^^
実は以前の私は、
「精神薬を飲んだだけで「悟り」に達してしまうのならば、人間は皆、LSDや大麻などドラッグで悟ればいいのではないか??
悟りのために努力している自分がアホらしい」という嘆きがありました。
けれど、黒斎さんって悟りを一般大衆に説明するために
あらゆる才能を兼ね備えている人材なのですよね。
文章も絵も全てにおいて。
だから、ある意味、お役目でツライところもあると思うのですが、今後もずっと応援しています。
ありがとう。
たとえば読んでいて腹が立つのなら途中で読むことをやめることも出来るし、しばらくブログに立ち寄らないことも出来る。
子供ではないのだから自分一人で感情の処理は出来ると思うのです。
タダ、ですからね。
講演も本も有料。ブログはタダですよ。しかも、読んでどう思ったか黒斎さんに伝えることも出来る。
これを当たり前ととるか、ありがたいととるかで読む側のモラルが知れるのではないでしょうか。
て、わたし物わかりよすぎるかしら。
ラザロの復活(のSTAGE)と考えていいのでしょうか。
潜在・顕在意識の割合は
分母が個人の意識なのか全体の意識なのか
あれ?いっしょなのか・・・頭がクラクラ(笑)
がんばって!黒斎さん。
この部分、とても参道です^^
あらら、賛同ですね^^
全が発動していない一は、論争が好きです
だから愛の名のもとに指摘することが多いですね^^
全が発動したら指摘はしなくなりますものね
一はとても頭がいいので
全が発動すると、脳味噌をフル稼働させます
脳味噌がフル稼働しているとき
人は気持ち良くないことができなくなるみたいですね^^
近いうちに阿部さんや雲黒斎さんにお会いして
全を共鳴させたいです^^
全が発動している一は愛になります
愛は転写されるもの^^
2012年に入り
思考で愛を知ることは無理だとわかるようになれました^^
これからの展開がますます楽しみっ♪
更新、待ってま~す(ノ´∀`*)
そして皆様、あまり以前の方のお名前を見つけることが出来ずに、寂しく感じられます。
久しぶりにお伺いして、今の気持ちになれたお礼を申し上げようと思っていたのですが、ちょっと感じが変わってしまったんですね。この記事を見ると、何か指摘されたことで黒斎さんの意にそわない事があったのでしょうか?
以前、こちらに伺って、私はアドヴァイスも受けましたし、指摘もされました。でもどちらの方も私を上下関係で見てはいなかったです。また私は黒斎さんを信頼してあの時のことをお話ししたのですが、黒斎さんは私やこの欄の方たちを信頼関係なしでご覧になっていたのでしょうか。
黒斎さんにとってはコメントを寄せる人からは、とても為になりましたありがとうございますをお受けになりたいと言うことなのでしょうか。
あるいは、講演に、しばしば通い顔なじみになってはじめて黒斎さんから信頼関係を持って頂けるという仕組みなのでしょうか。
私はあのころ、自由に話させていただき私の話をはじめて信頼していただけたと思っておりました。
それまでは誰にも虐待されていたことを信用されず、悲しく悔しい思いでおりました。
信頼によってとても救われたと思っておりましたが、私は本当に愚か者でした。
これも信頼関係のない黒斎さんにとっては、失笑物の指摘に当たることと存じます。
ワンネスがこの様なものだと今わかってよかったです。
割り箸メソッド、たまにですがやってます
んで、気付いたんですが、これやってると笑える事が次々起こりません?…私だけですかね
笑えるのも種類は色々ありますよね、内輪ネタだったりお笑いのギャグだったり。
何て言うか、思いがけず笑っちゃう場面が増えてきたような…
例えば街を急ぎつつ歩いてる時だったり、駅で電車を待つ間だったり、または電車の中だったり…。
たまたまテレビ見てたら真面目そーなアナウンサーが冗談をアドリブで言って、それが私のツボにはまっちゃったりとか、すげー下らないですけど
知らない子供が可笑しな行動や微笑ましい行動をいきなりとったり、あるいは動物が可笑しい動きしてる場面にあったりとか…
こういうの見過ごしてただけなんだろうけど、でも気付くようになったのは割り箸知ってからな気がして
でも、本当に思いがけずが多くなったような。
笑うって大切なんですね本当に毎日やればやはり福が来る気がしてきた…毎日やろうかな(しかし忘れがち…)
自分としては、瞬間的に空に飛んだり、あちこちなので、どの辺りなのかは分からずにいます。最近自我と全体意識の境界線が非常に曖昧になりつつあるので、これが「馴染み」なのかも知れませんが、正直分かりません。生活上ではデメリットも感じます。
自灯明と思いつつも、手探り状態で色々迷っていたら、自由自在っぽい師が現れました。言葉での交流より、ほぼ感覚での交流です。言葉になると流石に100通り発信受信もあれば、カモフラージュが出来る(されてしまう)世界でもありますよね。
また一歩進めそうです。 今は黒斎さんのこの記事を読んで、行間を読み込んでおります。あのことかな、このことかなと(楽)
キリストの奇跡の話ですが、私も実はあり得るのではないかとひそかに思っていたひとりです。子供のときに聖書の文章に触れて、「山に向かって海に入れと念じるならばそのとおりになる」といったような一説をはじめて読んだとき、ああきっとそうなんだろうなと瞬間的に腑に落ちてしまって、そんな自分にびっくりしたことを覚えています。
黒斎さんがその辺に踏み込んで下さること、とても嬉しいです!ありがとうございます!
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
自分の携帯に、PCサイトビューア、という機能があったこと忘れていて、
それを使って、ブログ内の図をなんとか読み取ることが出来ました。
(;‘o‘)
あのイチョウみたいなマークの色は、魂の漂白ぐあいかなのかなぁ?
数は‥自我ちゃん??
などと想像してました。
黒斎さんのアウトプット楽しみです。
(^o^)/
もう気をつかって話してる時期ではないと思いますっ。
本当に魔法使いみたいなことって信念1つでできるはず…
愛知在住のMANAさんと、コラボ講演会して頂きたいです☆
いまここ塾とはまたひと味違った、面白い感じになりそう(´艸`*)
今回自分にとっては少し大きめのウロコポーロ体験をいただけたのでコメントさせていただきました。
少し前の阿部さんとの東京両国での対談を拝聴させていただいた、黒斎さんと同年代の元広報うーマンです。
家族の事情で小3まで旧西ドイツ(現地校)、その後帰国しまして、カルチャーギャップを緩和するために地元のプロテスタント教会に通いました。別にクリスチャン家庭じゃなかったので、独力で西洋とにっぽんの精神性の違いを学ぶハメになったのでついつい文化の違いに関心を寄せてしまうのですが、
今日気づけたのは
「西洋人は自分達が謙虚という前提に立つから指摘がへっちゃら、という体をとれるのではないか」ということ。教会の先輩の言葉を借りるなら「私たちは神様だけが完全で人間は小さいと思えるから、クリスチャンじゃない人が何でも自分でしようとしているのを見ると傲慢に思えてしまう」という角度です。
別にどっちの精神性がいいという話ではなく、どのパーツから組み立ててワンネスに近づくかということにすぎませんが。
要するに「(日本人からすれば)傲岸不遜に思える西洋人は実は指摘を受けやすい構造をもちあわせている」という逆転が面白かったのでつい聞いていただきたくてメッセージしてしまいました。
私も相手の為に指摘しているつもりでしたが、確かに自己満足だったかも…と反省。これを意識してコミュニケーションをとるだけでも大分違うんでしょうね。
ありがとうございます。
キリストの奇跡の話、ワクワクしますねぇ~
すっごい楽しみにしてます。
世の中の捉え方が、あんなに薄い絵本で、だいぶ変わった。
紹介してくれて、ありがとう!!
どこかの本で、
「キリストは自分の願いが叶わないなんて夢にも思わなかった」
って書いてあったな。
http://blog.goo.ne.jp/tatuhiko1952
↑ここのブログの整体師のたっちゃんは、
腰痛、肩痛み、膝痛み、肉離れ、ぎっくり腰、手足のしびれ、など
目の前の患者さんの治ってるイメージを心の中で作ると、痛みは”一瞬”で消えるみたい。
仕組みは一緒なんだろうね。
これからもブログ楽しみにしています。キリッ ( ̄Д ̄)ゞ
心が折れそうになっても、黒斎さん、雲さんの言葉や、やり取りを見て元気が出たり、全ては一つなんだなーとか、神様からのご褒美や奇跡はいつだって受け取れるんだ、それは予想以上なんだーとワクワクしたり。
いつだって、いま。そこから扉が開くんですね。目の前には受け入れがたい現実が沢山あります。でもそんな恐れや不安も越えてしまうソースへの信頼とか。。。守護霊さんが気づけ!ってやってることだから絶対に乗り越えられることだったり。長々と支離滅裂な文章スイマセン;
コメントさせていただきました。
ご指摘やご質問等も多数頂いておりますが、その一つ一つにお答えしていくのは難しいので、ここでは控えさせていただきます。
また、特に反論等ではなくとも、表示を控えさせていただいているコメントもございます。
なにとぞ了承ください。<(_ _ )>
ψ(`∇´)ψどなたでも構いまへんが、顔見たいですなっ! まぁ冗談です。これすらマジに受け取るんでしょう。もー可愛くないんだからぁ~♪───O(≧∇≦)O────♪
あ。話し変わり、最近ね自分でいうのもてへぺろなんですけど、瞑想の入り方が上手になってきたんですよっ!いつでもどういう環境でも無になる時間持つのはいいですなぁ
てな感じで毎日仕事&わずかな無&日常生活続いてまーす(^ ^)
いつも、ブログ更新お疲れ様です。
本当に、ここのコメントを見ると、色々な考えの方が
いて、楽しいですね。
ここまで、自由に否定的な意見も含めて言えるこのジャンルのブログは貴重だと思います。
色々と大変だと思いますが、是非、これからも
よろしくお願いいたします。
宇宙(神)は今ふるいにかけている。
いわゆる、二極分化が速くなっている気がします。
なので、悠長なことをしてたら間に合わない…
そんな感じがする、今日この頃です。
いつも有難うございます。
すでに報道されている話ですが、ギリシャの方でA.D.1ぐらいのころの聖杯が見つかり、それにはギリシャ語で「マジシャン・イエス」と書かれてあったそうです。
その後、この情報がバチカンによって握りつぶされたのか、あるいは作り物だったのかは分かりませんが、この報道を聞いた時、私もイエスは物質化ができたたぐいまれなる霊能者だったのではないかと思いました。
こういう霊能者が最近は出てこないという話を某霊能者から聞きましたが、現代にもしいるならば、現在の技術でしっかり実証してもらいたいものです(千里眼の時代より検証技術は進んでいるのですから。)
だから、今後の物質化の話は、楽しみです。
それから、もう嫌かもしれないけど、「指摘」のことについて。
指摘するってのは、ふつうは互いのラホール(信頼関係)がないと素直には聞けないよね。
でもね、私の世界では、ラホールなしでも、言いあうことはあるんです。
厳密にはラホールがないわけではない。つまり、「あなたの研究(指摘)は面白い。でも、まだ方法論に穴がある。その研究をより精緻にするために、私は意見を述べているのだ」という前提を少なからず共有していて、これがラホールとなっているわけです。「よりよい××のために!」ということですね。
それに、みんな個人につっこみを入れているわけではないことを知っているし、つっこまれるのは、その人のアイディアや実験結果という成果物に対してだから…
そういう環境で、突っ込み、突っ込まれ、ときには血相を変えるような事態を経験していると、「突っ込みは、より理論や作品を完ぺきにするための儀礼のようなもの」ととらえられるようになるんです。
雲さんのブログは、すで雲さん個人のものではなく、ここに集う仲間(?)のものでもあるのだから、みんなで雲さんを囲みながら、楽しくゼミのノリでやっていきたいものです。
「指摘」、気にしないで。そして、質問とかも書かせてほしいな。
自分のアートはダイヤモンドだと信じている人は、突っ込み返すことだってしょっちゅうです(言い方は謙虚だけどね。)
この21世紀でもヒマラヤに住む聖者は同等のことが出来るようです。
幾つかの書籍にも記してありましたよ~
また、いつも楽しく多くの気づきをもって読ませて頂いております^^
いつも面白い記事をありがとうございます
黒斎さんのブログは私にいろんな事を気づかせてくれるのでとても助かります。
...というと拠り所が『自分』になくなっていますね(苦笑)
もうちょっと『自分』と対話(?)してきます。
最近、黒斎さんのブログを知り、『極楽飯店』から入らせて頂いる者です。正直、、、面白いです。
なんか、納得しながら読んでます。
>絶対的な真理の提示ではありません。
黒斎さんの意図するところ、、、了解です。
ウロコポーロですね。
でも、私個人は真理を知りたい、、、つまり創造主なる神がご自分の分身(人類)を作られた意図、、、非常に知りたいところです。
カルマも結果、、、だとしたらそんなカルマを持つ人類を創造された神の意図はなんだったのか、、、、
>絶対的な真理の提示ではありません
と言われてるのに、すみません。そこが解ったらいろんな事が腑に落ちるかな?なんて思い 勝手にコメントしてしまいました。
ありがとうございます。
今までコメントをするつもりは、なかったんですが!
何やら心を揺さぶられてコメントしたくなりました。
二年ほど前から、このブログを拝見しております。 大変おもしろいです!
価値観が360度変わりましたばいU+203C な~んちゃって 冗談ですたい!
しかし冗談ではなく、コクサイさんのブログやコクサイさんお勧めの書籍&興味をもったスピリチュアル書籍などを読んでインスパイアされそれを実践しました。
(ここまで至るのに苦労しましたが)
確かに、変わりました!自分が変われば皆変わりました! 光の中で自分を磨こうと確信しました。
結局一周したのですが(360度)アプローチが変わったのです。
更に今回のブログで言われている事も、何となく漠然とですが共感します。ちょっと興奮してしまいコメントしてしまいました!
聖書の話!
例えではなく、本当だと思いますので(o^^o)
続きのお話楽しみにしています♪
では、ごきげんよぉ~☆
特に気難しい先輩などになると、仕事上のミスの指摘は胃が痛いです。本当はほおって置きたいのですが、次の作業の方やお客様に不都合が生じます。指摘はやめて祈るべきだったでしょうか。
悩んで疲れ、結局仕事は辞める事にしましたが、次に同じ壁が来た時の為に知りたいなと思いました。
あと、私は対話形式の顔文字が好きです(笑)なんだかリラックスします。
イエスが生き返たように見せるってのも"双子"(もう片方は隠れて生きていたのか)だったら簡単だったと思います。
>イエスが水をワインに変えたり、ちょっとしか無かったパンを増やして、何千人もの人の空腹をみたしたり、等といった奇跡。
奇跡ではなくて、人を信じ込ませだまさせる詐欺師だったのかも知れません。個人的な見方はですが。
今ならばそのようなことは簡単にマジシャンの方なら御出来になられるのではないでしょうか?
だからイエスは人をだます天才だったのかも知れません。
(↑イエス違い)
同じように、いろんなことが出来てしまう人は最初からそれが出来ることが決められているから出来るんであって、そう設定されてない人はどんなに頑張ったって出来やしないと。
ゲームのキャラみたいに。
そういうことですか?
はじめまして。
先日、図書館で「あの世に聞いたこの世の仕組み」についてという本を読みました。
こちらのブログは知ってましたがあまり詳しくは読んでいません。
いわゆる波動の上昇や悟りや覚醒などをサポートする情報のひとつとしてとても素晴らしいものだと感じました。
今回の指摘.2での戸惑いについてですが、これは、ブッダやキリストやいろいろな覚者も、苦労したところかもしれません。受け取り方がひとりひとり違うので、情報を客観的に相手が気づきや洞察を得られるように伝えることは、かなり困難かと思います。
ですが、我々のコミュニケーションツールは言葉が主なものなので、これを使うしかないのでしょうね。
現実的には黒斎さんのように高い意識存在とつながってリアルな経験をすることが覚醒を早くするのかと思います。
ただ、タイミングは人それぞれですので、早くても遅くても完璧であるのでしょう。
瞑想の話、興味があります。最近瞑想を始めました。覚醒や悟りの手段としては昔から用いられていますが、とてもよいと思います。ストレス解消や健康増進などメリットを感じています。
いつもためになるブログをありがとうございます。日々模索しながら、黒斎さんの言っていることを感じ取ろうと努力しています。
さて、「イエスが水をワインに変えたり、ちょっとしか無かったパンを増やして、何千人もの人の空腹をみたしたり、等といった奇跡。」
これは、私も真実だと思います。
その理由は、足立育郎さんが書いた「波動の法則」を読んだからです。(現在、ナチュラルスピリット社から復刻版が出版されています。)
この本は、宇宙からの情報により得られた形態を用いた結果、物理的な現象が起きたことを始め、まだ科学では謎とされることを、主観を交えることない報告書という形で書かれています。
また著者は、形態波動エネルギー研究所を設立し、アセンション後の地球に必要となるモノを準備しているとのことです。
現実界に役に立つものを、来るべき日のためにコツコツと準備するという姿勢は、私の知る限りにおいて、他には見当たらない異色の方だと思います。
ややとっつきにくい感じがすると思いますが、よかったら形態波動エネルギー研究所のHPをご覧になってください。
http://www.ginusen-ifue.jp/indexj-2.html
ここまで(ある意味)メジャーになって、良く天狗にならずにいられて「凄いなぁ」って思う。
「合う」と思う人が、黒斎さんをただ応援する。と言う事だけで良いんじゃないの?って思います。
これから先もこのままなら、素直に読み続けるだろうし、もし「ちょっと変わっちゃったなぁ」と感じれば、自然に離れるでしょうし。
瞑想が深まってきて、なんか周囲とずれてるぞ?
って時に、
あ~この段階で、相手はこの段階なのかも。
って、理解できて。
それがあってるかどうかってわかんないけれども
それでも、不必要に自他を否定する必要がなくなる。
実際に経験してみると
どのステージも面白いですね・・・