いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
死後の世界.5
※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。
********************************************
引き続き、執拗に「Reader's Choice」でのコメント大募集中!
ご協力のほど、よろしくお願いいたします!
*****
「そもそも生まれていないのだよ、ワトソン君。」
…そんなこと言われても、ちっともピンときません。という方も多いことでしょう。
もしくは、「ふ~ん。仏教って、そういう“思想”なんだ~。」と解釈されてしまった人もいらっしゃるかもしれません。
なのですが、このお話は夢物語でも、斬新な思想でもありません。
誰しもが、「実際に確認することが出来る事実」なんです。
と、いうわけで、今日はそんな話をしようと思うのですが、ここでチョット注意点を申し上げておきます。
今日のお話は若干哲学的な解釈が必要となります。
これまでの知識、常識、希望的観測等を取っ払って、「森羅万象をありのままに観る」というスタンスでお付き合いください。
また、文章や単語の意味に惑わされず、その言葉の向こう側にある「ニュアンス」をつかみ取れるよう努力してください。
では、まいります。
誰一人、何一つ、生まれることはありません。
それを証拠に、あなたも何かの「誕生」を発見することはできません。
「誕生」という概念自体が、実在しない「妄想」だからです。
人は、「出産」を見ることは出来ますが、「生命の誕生」を見ることはできません。
その子は、誕生したのではなく、母親のお腹から出てきただけです。
受精の瞬間を電子顕微鏡で観察しても同じです。
そこに「雌性生殖細胞の卵に雄性生殖細胞の精子が融合し、両者のもつ核が合体する」という変化を観察することはできても、「生命の誕生」を捉えることは出来ません。
植物の種から「芽が出る」という現象を見ることが出来ますが、それイコール「生命の誕生」ではありません。
その芽は、誕生したのではなく、種から変貌を遂げただけです。
そこにあるのは、「生命の誕生」ではなく、「絶え間ない変化」なんです。
その絶え間ない変化の中に、無理矢理「誕生」という実在しない概念を入れ込んでいるだけなんです。
「生」に対して「死」にも同様の事が言えます。
私たちは、「死体」を見ることは出来ても「死」を発見することはできません。
花が枯れゆく様子を見ることは出来ても「死」を発見することはできません。
「存在」は、存在している以上「消滅する」ということができません。
そこにあるのは「消滅」ではなく、「状態の変化」なんです。
ですから、「存在が途中で無くなる」ということはあり得ません。
例を出します。
コップに水を入れ、それを一定期間放置しましょう。
すると、いつの間にかコップの中から水は無くなります。
ですが、その水は「存在が消滅した」のではありません。「気化(液体が気体に変わる現象)」して、その存在状態が変化しただけです。
昼食を作りましょう。
お椀や器に沢山の料理が並んでいます。
そのご飯を食べれば、当然お皿の上の食料は無くなります。
ですが、ご飯はその存在が消失したわけではありません。
あなたのお腹の中で、その状態を変化させて存在し続けています。
つまり、「存在」=「変化の連鎖」=「生命」なんです。
存在は、これまでも、これからも、ずっと存在し続けます。
その存在は常に変化し続けているため、「固定された実体」になることはできません。
それが、「諸行無常」という4文字に込められた意味です。
ですから、ここで使われている「無常」は一般的な「儚い・虚しい」といった意味ではありません。
さて、ここで。
私たちは今「存在」しています。
故に私たちが認識出来る全てのモノは「存在」しています。
つまり、全てのモノは「絶え間ない変化の連鎖」を続けています。
何か1つでも「変化していない存在」「動いていない存在」を発見してみてください。
もし発見出来たとしたら、あなたはお釈迦様の論理を覆すという快挙をなしとげられます。
←ここのところ、ずっとこんな感じです。両手に花、ならぬ、上下に阿部。
********************************************
引き続き、執拗に「Reader's Choice」でのコメント大募集中!
ご協力のほど、よろしくお願いいたします!
*****
「そもそも生まれていないのだよ、ワトソン君。」
…そんなこと言われても、ちっともピンときません。という方も多いことでしょう。
もしくは、「ふ~ん。仏教って、そういう“思想”なんだ~。」と解釈されてしまった人もいらっしゃるかもしれません。
なのですが、このお話は夢物語でも、斬新な思想でもありません。
誰しもが、「実際に確認することが出来る事実」なんです。
と、いうわけで、今日はそんな話をしようと思うのですが、ここでチョット注意点を申し上げておきます。
今日のお話は若干哲学的な解釈が必要となります。
これまでの知識、常識、希望的観測等を取っ払って、「森羅万象をありのままに観る」というスタンスでお付き合いください。
また、文章や単語の意味に惑わされず、その言葉の向こう側にある「ニュアンス」をつかみ取れるよう努力してください。
では、まいります。
誰一人、何一つ、生まれることはありません。
それを証拠に、あなたも何かの「誕生」を発見することはできません。
「誕生」という概念自体が、実在しない「妄想」だからです。
人は、「出産」を見ることは出来ますが、「生命の誕生」を見ることはできません。
その子は、誕生したのではなく、母親のお腹から出てきただけです。
受精の瞬間を電子顕微鏡で観察しても同じです。
そこに「雌性生殖細胞の卵に雄性生殖細胞の精子が融合し、両者のもつ核が合体する」という変化を観察することはできても、「生命の誕生」を捉えることは出来ません。
植物の種から「芽が出る」という現象を見ることが出来ますが、それイコール「生命の誕生」ではありません。
その芽は、誕生したのではなく、種から変貌を遂げただけです。
そこにあるのは、「生命の誕生」ではなく、「絶え間ない変化」なんです。
その絶え間ない変化の中に、無理矢理「誕生」という実在しない概念を入れ込んでいるだけなんです。
「生」に対して「死」にも同様の事が言えます。
私たちは、「死体」を見ることは出来ても「死」を発見することはできません。
花が枯れゆく様子を見ることは出来ても「死」を発見することはできません。
「存在」は、存在している以上「消滅する」ということができません。
そこにあるのは「消滅」ではなく、「状態の変化」なんです。
ですから、「存在が途中で無くなる」ということはあり得ません。
例を出します。
コップに水を入れ、それを一定期間放置しましょう。
すると、いつの間にかコップの中から水は無くなります。
ですが、その水は「存在が消滅した」のではありません。「気化(液体が気体に変わる現象)」して、その存在状態が変化しただけです。
昼食を作りましょう。
お椀や器に沢山の料理が並んでいます。
そのご飯を食べれば、当然お皿の上の食料は無くなります。
ですが、ご飯はその存在が消失したわけではありません。
あなたのお腹の中で、その状態を変化させて存在し続けています。
つまり、「存在」=「変化の連鎖」=「生命」なんです。
存在は、これまでも、これからも、ずっと存在し続けます。
その存在は常に変化し続けているため、「固定された実体」になることはできません。
それが、「諸行無常」という4文字に込められた意味です。
ですから、ここで使われている「無常」は一般的な「儚い・虚しい」といった意味ではありません。
さて、ここで。
私たちは今「存在」しています。
故に私たちが認識出来る全てのモノは「存在」しています。
つまり、全てのモノは「絶え間ない変化の連鎖」を続けています。
何か1つでも「変化していない存在」「動いていない存在」を発見してみてください。
もし発見出来たとしたら、あなたはお釈迦様の論理を覆すという快挙をなしとげられます。
←ここのところ、ずっとこんな感じです。両手に花、ならぬ、上下に阿部。
コメント ( 29 ) | Trackback ( )
« 死後の世界.4 | 小休止 » |
全ては一つながりで、決して滅することなく、絶え間無い変化を続けるだけ。
でも、これを頭で理解しただけでは死の恐怖は拭えない。(世の中の大半の人は、頭では理解しているはず)
となると、やっぱり体感の理解(預流果)を得て、さらに有余涅槃に到達するしかない。
悟ってなくても死の恐怖に囚われていない人が大半……と思いきや、潜在意識的にはまず間違いなく死の恐怖を抱いている。
恐怖からの解放よりも、悟った時の歓喜と、悟後の充足感に満ちた甘美な生に興味があります。
なにも難しくない、解りやすい内容ですよ。(書き方がいいのもあって
今のところは、黒斎さんのおっしゃってることは100%理解できてるつもりです。
今日の落ちは、 もう、お涙ちょちょ切れものです。上下に阿部さん!!うっひゃっひゃ。昨日のプリキュアも良かったですが。今日のにはかないません。やりますね。
すいません。(涙)
内容も解りやすくて楽しみです!それでは、失礼致します。
私のトコに来てくれたって思ってます
「どこから来たの?」って聞くと
「そんなの忘れた」って面倒くさそうに言うけど
「来てくれて本当にありがとう」って言うと
ちょっと嬉しそうです
なんとなくわかった気がします。
>何か1つでも「変化していない存在」「動いていない存在」を発見してみてください。
死体を見た人は「この人は動かない、もう二度と・・・」というのが見た人全ての共通の認識であって、
死体は腐食や火葬などで変化はするけど、
「もうこの人は・・・」という考えは変化しないのでは?
とパッと思い浮かびました。
あ、でも考えってのは存在とは違うのか。。?
あ~、、やっぱりわかって無かったです。
(笑)o(^o^)o
変化しない物ゎなぃ!
なるほどです!!
私たちゎずっと変化をしてぃる存在なんですねー
こーーんなに大胆になって・・・
っていうありがたいのかありがたくないのか
よくわからない変化もありますね^^;
灰になっても女だそうですよ、女は。
この男と女という区別は取っ払われるべきですかね?
どうしても、出産には役割分担があります。
変化しないものっていうと思いついたのがこれです。
【鍋】
( ´・ω・)v─~~
【鍋】
火火火
【コンロ】
僕の師匠は変化しないものだと自分を言っていましたが、それは私の内側では存在しているけれども、外界(僕以外の接触が出来ないので)なのだと言ってた。なので師匠は自分を“無”(変わる可能性の無いもの)だと。それに反して、僕は“0-ゼロ-”で、数値が変わる可能性を秘めたものと言っていたんですよね。「0なのだから-にも+にもなる。だから観測者で在り続けなさい。それを辞めようとするな。」と。そして「そこから見える結果(世界・景色)を常に俺に教えなさい。」と言われた。
変化しないものはつまらないです。でも僕は師匠が例外に好きです。
その他のモノが変わらないものなのだとしたら、きっと僕は「つまらない」って言います。
想定内想定外がとてもとても楽しい。僕にとっては全てが無で在り、全てが僕です。
色んな意味で価値観が変わる事ができました。
ありがとうございました。
今回は死後の世界なんですね~
楽しく読ませて頂きますね。
親知らずの抜けた穴はまだまだ大きいけど、今を生きればきっと見えてくると思います。(レンコンが穴にはまると新しい歯が生えたみたいだよ♪)
来月は反対側の親知らずも抜くの(ToT)
今を生きている私は違和感なく私だけど目が覚めた時20年後の私がいたら違和感あるだろなぁ~
訳わかんない事書きますた。
私は死後の世界はすべておまかせしようと思います。
ちょっと前より理解できたような気がします。
最近スイスですごい実験施設が動き出したそうですが、そこで「異次元」が存在する事を確認しようと
しているそうな...4次元とか5次元とか。
お釈迦様は、「異次元」の事はどう考えていたんでしょうねぇ。
「異次元」は死後の世界とはちょっと違うような気がするのですが...
「私たちが認識出来る全てのモノは「存在」して
います」...自分で認識できない物は存在しない事になっちゃうのでしょうか???
誰もいない部屋に置かれている物。どうやって存在を
証明するのだろう...
伝えようとされているニュアンスなんとなくわかります。
こんどはホームズですか。相変わらずおもしろいですね~
阿部さんの「いまここ塾」と並行して、
勉強させていただいてます。阿っち黒っち
ランキングボタン押しまくり(^▽^)笑
自分と他人の区別は本当はなく、全ては一つ。
という話を聞いた事があって
考えても考えても理解できなかったのですが、
少し!わかった気がします!
嬉しくてコメントしてしまいました☆
これからも応援してます☆
真実と思います。
でも、意味ない。
真実知っても意味無い。
映画が脚色されている造り話で、俳優もただのキャスチングでしかないなんて、誰でも知っているじゃん。
たくさん手を繋いだり、ほっぺにキスしたり
会話を交わしたり、そんな、
個としての身体感覚の感動の為に人間なわけだから。
何の為に分かれたか。
お手手をつないだその感触を沢山味わう為。
一回も手を繋いだ感触を味わえていないのなら、
きっと人生の最後にすんごい感触が待っているんだと思う。
そうですね、質量保存の法則にある通り、食べ物もウンコとエネルギーになりますが前後に質量の上下はありません。
ウンコは大地の糧に、エネルギーは生命の糧に、止まることなく変化してゆくのですね。
そして人間は……体は腐ったり燃やされたりして地に還る。では魂(意識の源?)は?それがこれからの話なのですね。
まだ理解できています、大丈夫です。
・・・・・・関係ないけれど手塚治虫氏のブッダを読み始めました。
お釈迦様を越えたいと思う気持ちが、本来の目的からはずれた世界を創造しようとする。
まず破壊し、そして創造する・・・。
しかし、破壊できなければ、創造できないとするならば、
破壊そのものが実は無意味であることに気づく・・・。
逆にそれに気づけない時それは、自分の理論を守ろうと、お釈迦様の論理を知らない人達に教え、広める・・・なるほどこれこそがフェイクが存在する理由だと思いました。
「捉え方の違い」という事は解りました。
自分が変わるというのは、周りが変わるのではなくて、価値観や定義や基準自体が変わる、という事に繋がる気がしました・・・。
これが、人とか人生とか命の定義、基準までも変わりえるという事で・・。
え~っと・・。混乱しそう・・・。
だけどその捉え方が変わるとどうなるんだろう・・・。世界(自分から見る)が変わってしまいそうな気がウッスラ・・。
んー。でもやっぱり考えるの好きかも・・
でも…物質的質量としては存在自体が消えるわけではないというのは分かる気がするのですが…命の有無はどう絡んでくるのかがまだ腑に落ちません。体温のない肉のかたまりが人間な訳ではないと思いますし、肉のかたまりを暖めても人間にはなりませんしねえ。
お湯の入った湯船の栓が抜けていてお湯が漏れているが常にほぼ同量の水が足されているから総量が変化しない状態が「存在」?
でも…その足している水の温度を上げている何かがないと「お風呂」としては成り立たないように思います。
この湯船でくくられている湯と隣の湯船でくくられている湯はやはり、別の「風呂」だという気がします。
解りにくい喩えになってしまいました。すみません。迷っています(仏教的な意味で?)。
そもそも、そういう「捉え方」を身につけて何か生き方が変わるのかなぁ?とにかく先を楽しみに待ちます。
白状するとトリプルで押しちゃったてるもん。
だから…
動かないねぇ
生命活動・天候等など事象を決めることしか出来ない訳ですし。
酸素・二酸化炭素・水(水蒸気)は空気中に存在するけど生物にもあるから同じだし、鉄・銅などのミネラルも人体には微量ながら含まれている。つまり、山と同じ物で構成されている。
山を広い視野で見れば自然であり地球である。
地球は太陽からのエネルギーを受けているが、呼吸をするように余剰エネルギーは宇宙空間に出している。
私はあなたと同じ。私は地球と同じ。
人が死んでも事象は変わらない。この地球が無くなっても別の地球が存在するし、地球という物体が無くなっただけで構成していた物が無くなった訳じゃない。
難儀なものですなぁ。
接近する大型台風
様々なコトがリアルにパラダイムシフトしてるって感じ(文章おかしいかな?)
でもでも
これらは、ただただ目の前で繰り広げっれてる現象?
これからの、大きな不安と同時に
変わり目を体感?できる幸運?に少々興奮
何だか精神のバランスを崩しそうな昨今です
そう考えてくと過去の人達のつながりや植物、動物へのつながりも自然に感じられますね。
人間も地球上の生命体のひとつにしかならない。
ちっぽけだけど、なんか貴重で愛おしく感じるのはアタシだけかな?
あまりにゆっくりと進むので気付きにくいけど。
それに逆らって、古い文献などが納まってる図書館などは、温度や湿度を調整して風化を食い止めようと苦心してます。
人間が滅亡したら、百年で人類の遺産は消滅してしまうそうです。
CDもDVDもビデオテープも。
家などは人が住まないとすぐに傷むそうで、空気の入れ替えや風雨から守ったり、ものも人が守ってきたんですよ。動植物だけではないんです。
そのことにどれだけの意味があるのかはわからないけど。
私たちが何千年前のことを今学習できるのも、
人類の、残したいという思いがなければ、
できなかったことです。
>今のところは、黒斎さんのおっしゃってることは100%理解できてるつもりです。
100%理解できているとしたら、預流果を迎えたと言うことです。
迎えました?
花蓮さん
あ。そこがツボだったんですね。w
えじさん
あはは。ほほえましい。^^
wakingさん
ははは。そんなに裏を読まないでくださいね。
たんに、ホントに「変化していない存在はない」って事を話しているだけですから。
ミリチャン☆♪
>私たちゎずっと変化をしてぃる存在なんですねー
うん。自分が変化している事を忘れがちな存在です。w
ぽんさん
>あんなにいたいけな少女だった子も
>こーーんなに大胆になって・・・
(● ̄3 ̄)・:∴・:∴・:∴・:∴ブブブッ
ふじこーさん
( ̄ε ̄;|||・・・なんて返答していいか思いつかない…
mさん
いえ。その師匠も変化するはずです。
「変化しない」と語るならば、それは実在していない何かです。
kameさん
親知らずの抜歯ってきついよね~。
お大事にどうぞ。
Unknown(2008-09-12 20:45:28)さん
>最近スイスですごい実験施設が動き出したそうですが…
なんだか、小説「神様のパズル」みたいですよね~。
あ、ご存じですか?この小説。
白猫庵さん
あはは。阿部さんと同様、今後ともご贔屓お願いします。
愛さん
ども!はじめまして。
>少し!わかった気がします!
ありがとうっ!
これからもよろしくお願いします。
未都さん
>でも、意味ない。
>真実知っても意味無い。
ん~。これはどういう意味で受け取ればいいんだろう…
rrrさん
>関係ないけれど手塚治虫氏のブッダを読み始めました。
僕は、途中で断念中です。(TωT)
リアさん
>最後の言葉、とてもひっかかりました。
え?そうなんですか?
特にそういう意図はなかったのですが…。
何か理解のお役に立てたのなら何よりです。
ぴーちゃん
うんうん。「捉え方の違い」で世界が変わるんです。
確実に。
ひさん
う~ん。輪廻はそういう事でもないんだよなぁ…
なにかいい例えを探してみます。
愛(゜-゜)さん
へ~。「葉っぱのフレディ」ってそういうお話なんですか?
>黒斎さんのは文字だけで表現されているのが素晴らしいと思いました。
いえいえ。逆に他の表現が苦手なんですよ。^^;
ミィの友達さん
多分、生きる意味、人生の意味って、ないと思います。
あるとしたら、一時的な意味か、個人的な意味。
みんなに共通の意味は見つけ出せないと、僕は思います。
ふ~みんさん
ねぇ。動かないねぇ。w
ナナジンさん
そうなんです。
そもそも定義できないのに、無理矢理定義しちゃってるから、色々おかしなことになっちゃってるんですよぉ。
えじさん
全ての現象は「なるべくしてなっている」んです。
原因の無いところに、結果はありません。
テルキチさん
>人間も地球上の生命体のひとつにしかならない。
そうではありません。
生命体そのものが1つしか存在しないんです。
そこさん
うん。お気持ちはわかるのですが、ぽんさんが書かれているとおり、全ての物質は必ず風化します。
変化に、気付けないだけです。
現に、100年前から何の変化もない家具は存在しません。
引き出しを出し入れすれば、そこに摩擦が生まれます。
摩擦があるという事は、そこにエネルギー(負荷)が加わると言うことです。
金具も、何もしなくとも徐々に酸化します。
木で出来た家具であれば、その日の湿度によって、乾燥度合いも変化します。
日光に当たれば色あせもします。
仮に、家具その物が安定しているとしても、その家具が存在する、地球そのものが回転しています。
家具じゃなくても構いません。
どんなに安定して見える物質でも、原子・分子レベルで観察すると、そこに「動き」「変化」を確認できます。
物質は、動かずにはいられないのです。
とてもわかりやすいです。
球根みたいに種が分裂して増えるものもある。
人間も動物も、卵(子ども)を生んで育てて死んでいく。
物質としては状態が変化しているだけ。
で、生命は内から内から出てくるもの???
でも、進化しながら今日まできたすべての生命はドコから来たの?人になる前はサルでその前は・・・・?
生命の最初は何だったの?それが最初は本当に一つの生命から分かれたものだったの?
そして、誰が何のためにその生命体を生み出したの?
誰がという存在は存在しないの?
書いてあることを理解するのにはついていけていると思うけど、疑問もいろいろ湧いてきます。
まだまだ半分。この先の記事に答えがあるのかないのか。
楽しみに読み進めて行こうと思います♪
人間という状態、あるいは機能を満たすようになるのが「生」、満たせなくなるのが「死」だと思うんです。その途中には「生」とも「死」ともつかない曖昧な状態を多分に含んでいて、境界がどこかをはっきり示せるものではないと思うのです。
そこをとりあげて「生」も「死」もありませんと言われても、今の僕にはピンとこないです。
「諸行無常」や「因縁」のお話はよくわかったので、そこはすごくよかったです。