沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩397 沖縄からの沖縄移住者のメッセージ 18

2013年01月15日 13時32分04秒 | 政治論
 こう思う。アメリカ合衆国はいつまで沖縄と沖縄県民を捕囚の徒にするつもりなのか。彼らが「軍事植民地」としてここを使用している核心的な理由などどこにもないはずだ。「抑止力」「地政学」「軍略的必然」これらすべてにわたって、民主政権時の政治のトップが、必ずしも米軍基地は「沖縄でなくともいい」と明言した。恐らく彼らの言辞に嘘はあるまい。とすればアメリカ合衆国がここに居座る理由は、核心的でない、極めて良好な副次的な恩典にあるということになる。恩典の最たるものが「思いやり予算」であり、ここから構築され続ける、広大な基地内に展開する軍人生活の快適な継続要素(充実した住環境)のオンパレードであろう。一兵卒から幹部、将校、指揮官に至るまで洩れなくその恩恵に浴して倦むところがないのである。当然温暖なリゾート地沖縄は遠国での殺戮と殺伐たる間化訓練に明け暮れる兵士たちの格好の癒しの地になっているはずだ。ここを離れたがらない者も多くいるという。勿論個々の米軍兵士に対してむき出しの敵意を示す県民はまずいないし、兵士たちの兵役以外の日常生活は至って平和そのものに違いない。我々はアメリカ人サイドから沖縄を眺望する必要がある。彼らの中に沖縄忌避感がないことが問題なのだ。ある意味色とりどりの抗議旗や時折聞こえるシュプレヒコールは、彼らの目には単なる特殊な沖縄の一風景としか映ってないのかもしれない。そこに介在する「人間」は彼らには見えてない。その「人間」が抱える憤懣や嘆きを想像する悟性の働きが欠けている。「人間」が「真空化」する軍隊生活にそれを望むのも無理がある。ひと塊の機能集団である海兵隊に対し「人間」に関する個人的な感懐を増幅させるべき手立てはない。残るは自然発生する厭戦感であり、彼らにとって快適でない反軍意思の突き上げ状況を日常的に作り出すこと、「招かれざる客」であることを印象させること、軍民共存は決して「良き隣人」関係にならない現実を認知させること、軍隊と一般人は決して友好交流の基盤を作れない本質的反発感情に満ちていること。一方軍関係上層部においては何が彼らを沖縄に固執させているのか。彼らはどうして沖縄県民に同情的にはならないのか。遡れば1945年3月26日に将軍ニミッツが沖縄戦(アイスバーグ作戦)に先立って発した「ニミッツ布告」なるものは返還以後も沖縄に対するアメリカ合衆国軍人にあって未だに主調音のように鳴り響いているかのようである。国際司法上禁止されている特定占領地への集中的な軍事的介入を戦後一貫して継続している異常さはさながら世界には厳粛な国際関係思想が欠如しているのではないかと疑わせるものがある。そしてこうしたアメリカ合衆国の軍事方針に世界常識的な反応を示すどころか絶大なる歓迎ムードで接する日本国政府、政治家は殆ど狂気じみて見える。この国の官僚政治家には未だに敗戦国現実主義の吉田ドクトリンが息づいているのだろう。しかし彼らの頭の中に作り上げた「軽負担経済優先主義」の幻想的風景は阪神淡路や東日本震災の、あの瓦礫の山と仮設住宅、到底帰還ならぬ汚染地帯が象徴的に示すように、所詮砂上の楼閣、だったとしか言い様もない。そうした彼らのメインとなる消化不良な国策である日米同盟が、「仮想敵」をでっちあげて産軍複合経済立国を危うげに運営するしか方途のない極めて病的な傾向にあることを彼らの何人が知っているのか。尖閣を巡る日米中3すくみ軍事危機は徐々に現実味を帯びてきた。こいつらの狂気が沖縄を火の海にする。(中断)


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