沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩626 偽物横行の世界的現象と沖縄の闘い 13 私見 14

2017年06月17日 07時27分35秒 | 政治論

 安倍晋三は人もうらやむような一大有名家系の末裔であり、その太祖は口伝では安倍宗任や佐藤忠信などにまで遡るらしい。いずれにしろ吉田茂、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、麻生太郎などを親族姻戚とする稀に見る知的ブルジョアの集合体に属し、一種の派手派手しい勢力図を描く一族の中の、家庭環境的にはかなりの裕福さに安んじたドラ息子坊ちゃん(学業の出来は悪かったらしい)だ。従って、彼の言動の基本には明らかに一般庶民の感覚から一段とかけ離れた正体が垣間見られる。彼が屡々見せる野党嘲笑の薄笑いや軽蔑の姿勢には本来彼が持っているその眷属威力を背景にした傲慢さがにじみ出ている(勢力を得たチンピラが肩で風切って歩く恰好)。毎時毎夜美酒美食に酔い痴れ暇さえあればゴルフ三昧と、その典型的なプチブル的生活はある意味庶民の反感軽蔑嘲笑を買うこと間違いあるまい。

 反知性、非論理、非倫理、非理念と、この宰相を揶揄する讒言には事欠かないが、実際その公然化されている言動にはこれがそのまま当てはまるようなまことに恥ずかしい実態が露出されて止まない。その参謀たち、取り巻き、内閣、応援団連中の中にもこうしたボスのそれを引き写したような言動で唖然とさせる者どもがいる。今更実例を並べるまでもないが、史上最低劣悪政権、下司内閣という誹りも聞こえてくる。

 今や森友、加計事件で当然に立件され弾劾されるべき安倍晋三一派の国民に対する背信、裏切り、政治の私物化だが、こういう極右宰相が戦後70年を経て、その正体の醜悪さを隠すこともなく何食わぬ顔で立ち現れた事実においては、実は、これこそこの国の、戦後民主主義が包摂する重大な欠陥そのものが指摘されるべき事態だということになる。

 しかもこの国の民にあっては、こうした宰相を直ちに弾劾し追放するだけの民力がないという、(現職大統領を権力の座から引きずりおろした韓国国民に比して)明らかに絶望的な実情にあることを指摘しておかねばなるまい。

 少なくとも公職選挙において「他に適当な候補がいないから」といった理由で無責任に投票する姿勢には、主権者としての何の緊張感もないだらけた国民性を予感せざるを得ない。勿論、棄権という「沈黙」を選ぶ背景にある無関心、あるいは無知な性向、放任性、諦観などは、そのまま、例えば沖縄基地問題に対する極めて情けない、同胞としての態度に通底していく。原発問題も同断であろう。問われているのはもしかすると、こうした現今日本国民に顕著な、その精神性の在り様に見られる特徴そのものではないかと思えてくる。

 このことは、あの大戦へ至る過程における一般の日本人の特性について、丸山真男や朝河貫一が指摘していることと共通する点だが、しかしながら返す刀で眺めると、ハンナ・アーレントがあのアイヒマンを解剖したところのもの、つまり現今安倍晋三一派に見られる一強独裁的糾合の異常性を構成する各議員、党派、関係者、ネトウヨたちの「無批判な非人格性」もまた同じ穴の狢だ、といわざるを得ない。アイヒマン批判の内容は沖縄高江辺野古市民運動に対する官憲の非情な弾圧という現実においても遺憾なく実証されていた。県警、警視庁機動隊、海保などの面々は結局上意下達の命令系統から一歩も逸脱できない、まさに無批判な非人格でなければできない業務に勤しんでいた。

 (沖縄戦を体験し培った非軍事的意思に逆行する日米安保体制下米軍基地に占拠されている県民から見ると)一体あの未曾有の惨禍を齎した戦争とその敗戦の反省はどこを見ればあるのだろうか、ありはしない。これが、現今戦後民主主義の包摂する最大にして決定的な本質的欠陥として見る必要がある理由だ。つまり、あの大戦と敗戦のことを徹底的に検証、洗い直ししない限りこの国は安倍晋三一派のような好戦的軍事意思に満ち満ちた極右集団の何気ない跳梁跋扈を到底押しとどめることはできないだろうということになる。それが、折角敵が態々森友加計事件を惹き起こし、多方面からすっぱ抜かれた状況においてさえ、オウンゴールに近いまっくろくろすけの彼等安倍一派をうまく排除できない隔靴掻痒のていたらくに現れている。(つづく)

 



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