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詩596 dot.com記事 菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」

2017年05月06日 08時30分31秒 | 政治論

菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」

https://dot.asahi.com/aera/2017050100063.html

日本会議を考える時に忘れてはいけないのは、集票力は少ないという冷徹な現実。創価学会800万票に比べて、50万票。労働組合より少ない。しかし影響力はある。それは組織の力ではなく、言論の力なんです。

左派の人たちは、運動にすぐ答えが出ると思っている。出ないと拗ねてやめる。でも日本会議の人たちは、早く答えを出そうとは微塵も思っていない。それは学生運動の頃に自分たちの運動がマイノリティーだったという、強烈な原初体験があるから

今回、マスコミの報道で明らかになったのは、言論として政権に対峙するスキルを日本のメディアは失ってしまったということ

(以上抜粋)

右翼というのに論理的理念性は一切なくあるのは情動、情念、あるいは雰囲気、空気、「何となく」といったあいまいなものにほかならないが、今日本はじめ世界ではそういうものがそこら中に理由もなく氾濫し始め、呆れるほど平然と極右などという文言が出回ってそれが一大勢力を構成している感がある、これも勿論感覚的な印象に過ぎないが、そういう印象を政治的意図的に操作しうる政権など権力の策動でいくらでも「熱狂」を演出することができると、かのヒトラーナチスは証明して見せた。辺野古高江を巡る政権と沖縄の対決を具に見ていくとまさに安倍・菅(ヒトラーゲッペルス)体制がこれをしてのけたことを実感させられる。彼等安倍一族は悪の総本山であり、歴史は間違いなくこれを狂気の政治集団と位置付けるだろうが、今我々がこれに対して徹底的に抗戦しなければあのユダヤの民のようにむざむざ彼らに殺される運命に身を任すことになる。愚かしい。ガンジーは「非暴力不服従」を最良としながら(わたしの信念によると、もし、臆病と暴力のうちどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしはむしろ暴力をすすめるだろう)と言う。目の前で愛する者が殺されるのを臆病のために目送するなら。

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