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ブログを使用しての種々の論考

詩626 偽物横行の世界的現象と沖縄の闘い 13 私見 3

2017年04月17日 12時28分13秒 | 政治論

 ヤマトゥからの沖縄移住者として、沖縄から見れば半分以上敵に当たる筆者が、沖縄にいるけどヤマトゥにも片足があるといった中途半端な境遇の中で(と言ってもヤマトゥに戻る気は更々ないし戻るべき場所もない....既に墓所もあり新居には伝来の仏壇もある...)、この国の政府が、というよりこの国の国民が事あるごとにこぞって沖縄に対応するその仕方についてみたり聞いたり読んだり考えたりしているうちに、沖縄の市民運動というものが「非暴力不服従」に徹し、暴力沙汰や不穏な騒動に至らず(復帰前のコザ暴動は唯一の例外だがそれへの評価は現行テロへのそれとは全く違っていた)概ね整然とした監視抗議説得などの行動に限定されていることなどから、他ならぬ移住者である筆者が素直に事態を眺望すると、沖縄問題は、明らかに沖縄側の反体制的活動それ自体が引き起こしている問題(ネトウヨが喧伝大騒ぎする無根の事実は引きも切らぬ)などでは到底あり得ず、突出してこの国の国家政府日本国民の手によって、有無言わさず引き起こされている問題だと言わなければならない状況がある、ということだ。

 この問題の真相を突き詰めれば、恐ろしいことだが、同国人による同国人への侵略行為(内国植民地化)ということになる(琉球沖縄がヤマトゥに対して何らか反乱等の行動を起こしたためしは金輪際ない...物事は島津侵攻以来全てヤマトンチュがヤマトゥからこの地に来て始まり、これを継続的に常態化したのである)。これは、事、沖縄に関しては特殊に、先の大戦の敗戦で国際社会から放逐されたはずの日本の侵略性が今なお持続され、(大日本帝国以来の)日本国家の国家エゴの理不尽な餌食となっている、という(国家による国民への)犯罪的実態を示す。しかも狂ったように安倍一派ががなり立てている帝国への復活はこの沖縄ではまさに現実に実施されていることである(高江の蛮行に限らずあらゆる局面でこの国は間違いなく特殊に沖縄の生得の精神性を蹂躙して止まない)。

 筆者は当初、こうした沖縄的現象を戦後日本の国家政府の在り様から必然に導かれた政治的な問題とのみ思っていた(実際辺野古を巡っては、政治的な理由を辺野古唯一の根拠とした発言が元政府要人からさえあった)が、今はむしろこれはヤマトンチュ(ヤマトゥ国民)自体がそのように希望さえしている絶対的な要件であり、決して覆られない決定的な構造だと考えている。ここから、筆者も事実上半分以上でヤマトンチュなわけで、その罪(無関心、不作為の罪)は逃れようもなく付いて回ると認識するに至った。従って現実に、内面も外向も二つに引き裂かれることになるが、逃げ道は学究しかなく、政治的態度の留保という馬鹿馬鹿しい処世しか思いつかない。

 筆者の結論は、見えているであろう。国というのはあってないようなものだが、あいまいで眉唾の国家主義は腐れアベのように今後も歴然として生起され、国民が片隅に追いやられて国家政府が強権的主権を振り回す(既に安倍・菅体制で沖縄はひっきりなしにこれをやられている)戦前的な滅私奉公社会が復活し、誰もが個人の自由を自己規制し言いたいことも言えずやりたいことも忖度で制限し、結果恐怖社会のがんじがらめの窒息状態が延々と続くことになる。これが今後の日本国家というものであり、琉球処分以来そこに半ば強制的に組み込まれている琉球沖縄は再び真っ先にこうした国家の餌食となって本土の防波堤、捨石、太平洋の要石が具現化、具体化し(先島自衛隊配備で先鞭をつけ一気に軍事要塞化していく)、先の大戦での沖縄戦の悲劇が再現される。誰がこれを望むのか。ウチナンチュは誰も望みはしないだろう。だから、ここではっきりと日米安保体制から決別すべく日本国に対し独立を宣言し、その方向性を明確に打ち出していくことだ。(つづく)

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