抵抗戦線

ブログを使用しての種々の論考

詩623 かつて独立国であった琉球国の主体性を回復すること 14 下等な存在

2016年10月19日 10時23分29秒 | 政治論

 カフカは若いヤノーホに確かこう言っていた、こうした汚い言葉を発する時、人は自分をこのうえなく下等な存在に貶めている。

 イエスは言う、口に入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚すのである。

 言葉の暴力について「心理的暴力も物理的暴力と同様に、その行使者は傷害の罪などに問われる場合がある」(抜粋)とウィキペデアにある。

 大阪府警の警察官が、沖縄県国頭郡東村高江のヘリパッド建設工事準備工現場で、作家の目取真俊氏にむかい吐いたヘイトスピーチ(県民を土人と呼んだ)が地元新聞、ツイッターなどで大きく報道、発言、糾弾されている。これが若い1警察官の勢い余った暴言、ということで済むようなものなら現場で何気に解消されてもおかしくないのだが、ここのところ地元では官憲の、権力を笠に着た不法、違法、無法、過当、不当行為が頻繁に見られるようになり、しかも地元警察ばかりでなく、他府県の機動隊が数か月にわたって沖縄県名護市の高級ホテルに血税を使って滞在し、ある意味リゾ-ト気分を満喫しながら、県民抗議活動への暴力的対応弾圧行為に勤しんでいるという、県民にとっては実に不愉快な状況にある中、封建時代の代官まがいの行為や薄汚い暴言を吐くようになってからは最早堪忍の限度を超えるであろうと、筆者は移住者ながらそう思う。かといって日本国の中央の大新聞はこのことには一切触れておらず、沖縄が前代未聞の非近代的差別処遇を受けているというのに、恐らくは見て見ぬふりを決め込んでいるまさにジャーナリズムの堕落ぶりが目に余る事態となってきた。

 少なくとも、沖縄にいてこの安倍政権の対沖縄施策を具に見ていくと、琉球沖縄マブイの気高さに比して如何にも下等な人種を見るようでやるせない。しかも一向に恥じないと来ているから益々日本人であることが嫌になる。勿論筆者の個人的な感懐に過ぎないが、沖縄で日本が嫌になるということの意味は、沖縄が日本ではないこと、日本人とは気組みが違うこと、下等さが目立つ安倍晋三を通じて沖縄の高踏さを実感する、ということだ。

 離れ小島にありながらなんで琉球の気質は大陸的な気宇広大さが際立つのか、古来からの諸国との交流が培った世界観、国際感覚のなせる業かもしれない。

 日本よ。日本人よ、此処から見ているときみらはなんて情けない国民だろう、明治維新以来進歩発展したはずの国柄が封建時代のそれから一歩も先に歩んでないことがはっきりとわかる。(つづく)

 

 

 

 

 

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