沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩210

2010年10月13日 12時21分58秒 | 政治論
 昭和天皇訴追が争われないことは昭和天皇の免罪符ではなく、逆に天皇の決定的な戦犯性を立証している。つまり戦犯かどうかは別として天皇の戦争責任は明白な事実といえる。このことに疑問をはさむ余地はない。しかも戦犯として裁かれなかったがために沖縄は誤った認識と判断に基づく戦後処理に付され、本土との決定的乖離を余儀なくされた。それは琉球処分以来の沖縄の近代化、及び戦後民主主義、現代不当地位まで一貫した歴史的真実である。今更昭和天皇の戦争責任を追及する必要はない。問題は彼が沖縄に関して抱き下した認識と判断が暗に陽に戦後の日本における沖縄の差別的状況を醸成した許しがたい事実だ。従って沖縄が天皇に対し又天皇制に対して持つ本土感情認識との相異は天地ほどの差がある。エンペラーが帝王が国家的決断を下したときそこには国民の介在はない。この帝国主義の時代に即した沖縄処決は正されなければならない。それがアメリカに対するメッセージとして伝えられる必要がある。基地問題に関する沖縄偏重は明らかに昭和天皇の恣意に基づく本来無効な国家意思としてあらためて再考を促すべきだ。(中断)


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