沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩418 事態の正確な見方

2013年07月22日 11時54分03秒 | 政治論

 安部晋三内閣総理大臣以下、有象無象の「憲法改悪、再軍備、核武装、軍国主義復活」路線一列大行進(維新、みんな含め)は、全体主義の色調を色濃く見せながら、「国際紛争の解決手段として国家が戦争手段を採用でき」「若者が美しく死ねるような」「誇りある日本を取り戻す!!」と息巻いている。この集団の首魁安部晋三の脳裏には究極の美として特攻精神が過ぎっているに違いない。彼自身が特攻隊員として敵艦に捨て身の体当たりを敢行する可能性はゼロだが、政治家としてあらゆる諸外国の反発批難抗議に体当たりする可能性はなくもない。ただこの中途半端な軍国主義亜流は21世紀のヒトラーとしてどれほどのことができるのか、殆ど醜態をさらすこと必至の人物像を予感するのは、21世紀のヒトラーを想像する我々の中に、明らかに「独裁者」を揶揄したチャップリン的冷笑が漲っているからだが、その「裸の王様」的な滑稽さに関わらず、歴史事実の酷薄さにおいて、ゲットーのガス室に一民族全体が苦悶の引っかき傷を無数に残していた有様を、どこまでも否定し得ない現実に眼を凝らさねばなるまい。つまり人類はつい最近までこのような悪辣非道の行為も計画的に国家的にやってのけてきたのだ。アメリカ合衆国が如何にごまかして見せても、原子爆弾を子供や女性、老人の殺戮に利用した事実に向き合えば「その他の多くの人々を救った」と言いのけられる厚顔さを黙して赦すどんな度量も人民に要求できやしない。「全体主義」が個人の自由判断を暴力的に淘汰する20世紀的蛮行を、この21世紀に持ち込もうという、安部晋三以下軍国主義亜流どもに決して気違いじみた愚昧な独走(戦前の旧帝国陸軍のように)をさせてはならない。残りの棄権無効票が「物言わぬ」階層にあってしかも半数を占める事実に、現在の日本の世相を見なければならない。「政治的絶望」や「反権力」の意思を。(つづく)



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