沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩595 沖縄からの発信 43 没落国家5 県民の闘い

2015年10月28日 07時51分49秒 | 政治論

 先ず、沖縄県の闘いは、ヤマトゥの常民たちに沖縄県の政府による虐待の実態を開陳することである。虐待、という言葉はひどく個人的なものを強調して示すのだが、今沖縄県が受けている精神的な被害こそこの政府による県民個人に対する虐待そのものだという意味で用いた。それは近代以降この国が特定の人群に対して執ることを公には殆ど容認しなかった国家行為により、沖縄県、沖縄県民、あるいは正確には琉球民族に向かって明らかに県民的常識を打ち破ろうとする(まさか国が人民に対してはしないだろうと思われていた近代常識の破壊)、正確には人として堪忍袋の緒を切るような圧力と脅威をもって襲い掛かっている、ということだ。翁長県政に対する代執行宣言はそのまま、国家による県民への敵対行為と受け止められている。何故なら県民の意思を代議的に示した近来の選挙結果は、全て「県内移設反対」に極まって不動だという明確な証拠を日本国に提示したのだから。従って、基本的な人間的なルールを「常識」と称するなら、今、日本国政府が沖縄県に対してしていること、しようとしていること、してきたことの正体は、完全な非常識、一国の政府がその国民に対して執るべきでない行為ということになる。あるいはこれまでまことによくも言われてきた「構造的な差別」を、厚顔にも恥知らずに現代日本人の前に盗人猛々しくぬけぬけと見せつけている、ということになる。この事実を目の当たりにしている県民が、一個の実体としては決してそのリアルな形を示さない「国家」への憎悪感を滾らせるのはあたりまえのことだ。安倍晋三はこの国の事実上の最高責任者かもしれないが、残念ながらその任に堪えない史上最悪劣悪な宰相にすぎず、この、日本の歴史に全く疎い不勉強な出来損ないが、これまたその経緯に関する正確な認識を持たない官房長官あたりと示し合わせて、自分が国民に対してしていることの意味をほぼ理解することなく、とにかくアメリカのために奴隷宜しくやっちまおう程度の見識で、沖縄県民の心根にずかずかと土足で侵入してきている。(つづく)