沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩550 辺野古 2

2014年08月02日 07時57分30秒 | 政治論

 爆心地広島原爆ドーム(産業奨励館)と平和記念公園、資料館といった重要な歴史的遺産のある地域一帯は明治以来の広島市の中心的役割を担った土地柄であったらしい。この近辺は三角地帯(デルタ地帯)を成す数本の河川が河口(広島湾に開く)となる場所で、地形としてはなかなか興味深い形状を示している。山陽本線と宇品線を基幹として市街電車が縦横に走る交通網で、爆心地の物語にはこうした電鉄を配した話が多く見かけられる。

 来日する米国人が一様に、こうした場所での現実の二次的「広島体験」を通してさえ「あの原爆は戦争を終わらせ数百万の同国人兵士の命を永らえた」といってこれを肯定することに躊躇いがない。せいぜいが「仕方が無かった」という表現に終始するのである。しかしこれはそういうものだという米国の歴史教育が作り上げた永年の一般的な教育的成果であり、その伝では大日本帝国「皇民化教育」と何ら変わりはない。しかし、彼らの戦争に対する考え方の基本姿勢は、戦後その反証を突きつける事例に事欠かないのだが、これについて彼らはどこまで本気で自身納得できているのだろうか。ただオリバー・ストーン氏の話からすると、「あの原爆は戦争を終わらせるために、絶対に必要なものではなかった」証拠が示されており、為政者の机上の決定が如何に残虐な結果を引き起こすかをあらためて知らしめるようになってきてはいる。だがこれもごく小数の知識人においてである。

 例によって駐日大使ケネデイ女史の広島慰霊の日8月6日訪問があるようだが、まことに、頗る片腹痛いものがある。沖縄慰霊の日6月23日もまた同様であった。彼らは彼らの祖先がしたことについて柔軟な心臓で感じ、考えなければならないし、そこにおいて彼らの見聞きした事柄が本当の「悲劇」「悲惨」「過ち」をまざまざと表していることに思いを致さなければならない。所詮彼らはその権力者どもの自己欺瞞に従ってありきたりな感想をひけらかすのだが、その度に現実の「被害者」の心魂を汚し繰り返し痛めつけている、ということを知らなければならない。

 筆者は反米主義者ではないし、本国英国からの独立を勝ち取った偉大なフロンティア・スピリットを、ヒューマンなストーリィに満ちた西部開拓史(先住民追い出し実態はあるにしろ)を普通にぼんやりと憧憬するのだが、現今の「病める大国」米国を決して見す見す見逃してしまうことはできやしない。「ヒロシマ」も「オキナワ」も「フクシマ」も、この異常な大国の日米関係における近代現代史に刻んだ、上部構造による重大な罪過であることを繰り返し何度でも言い続ける。この「辺野古」のことはこうした米国「未必の故意」そのものである。バラク・オバマは直ちにこの欺瞞的な軍事的暴虐を中止しなければならない。これは、沖縄県民が誰しも切実に願うことである。言葉足らず、だが、筆者は本土からの移住者として、そう思う。思わずにいない。(つづく)