抵抗戦線

ブログを使用しての種々の論考

詩439 アメリカの犠牲になってたまるか

2013年08月20日 09時47分02秒 | 政治論

 沖縄では、先日、辺野古移設推進県民の会設立を画策する一派が、およそ300名宜野湾市に集って会合を開いている。名護、宜野湾市議会議員などのほか国会議員もこれに同調していて、西銘恒三郎(自民)、島尻安伊子(参)、中山恭子(維新)や島袋前名護市長らが名を連ねている。この糾合は今後全県キャラバンを組んで数万人署名を集め10月に地方議員、国会議員の会設立、11月24日には総決起大会を開催するらしい。この極めて政治的な動きというのは例えば西銘や島尻などは選挙対策で以前は県外移設を唱えていた張本人でありどうしても信用ならぬ胡散臭いものを発しているわけで、普天間飛行場危険性除去のためには辺野古の犠牲は仕方がないという論調から、事態の推移を十二分に観察しないインスタントな空騒ぎを想像する。差し迫っている仲井真知事の「公有水面埋め立て承認」決裁を睨んでのことだが、今や普天間閉鎖の現実性はなきに等しく、あっても恐らく10年、20年はあっというまに過ぎ去るであろう。つまりアメリカは普天間固定化を既に決定しているのだ。これに対し県民総意は辺野古移設反対で決しており殆ど何の意味もない移設推進という政治活動は愚にもつかぬ政府ベッタリの恥も外聞もない、「政治屋」たちの暇つぶしとしか言い様もないことになる。大衆運動の流れは事に即して非暴力不服従を貫く以外手立てはないのであり、その対象が日本政府であったり米政府であったり沖縄防衛局であったり、あるいは工事屋、測量隊、警官隊であるわけで、日米の強権主義が行使する反人民行為を食い止めるための体を張ったものになっている。現状、言ってみればこの決裁がどちらに転んでも実際の普天間閉鎖、辺野古埋め立てはむしろ宙に浮いた形になるに決まっている。というより、県知事が承認したなら直ちに県知事リコール請求となり、全県的反対運動がより過激な局面を迎えるに違いない。いずれにしても沖縄の自然破壊と住民ストレスを倍加する軍事基地の増設など人間の仕業ではない。あの戦争と原爆、原発事故といった、米国の犯罪性を帯びた行為の犠牲になるのはもう御免だ。(つづく)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

詩438 危うい日本

2013年08月20日 06時45分40秒 | 政治論

 何故安倍晋三は敗戦の日に、これまでになかった「アジアへの配慮」を欠く式辞をわざわざ述べたか、答えは一目瞭然なのだが、実を言えばこのことはその肝心のアジアが騒ぐほど意味深いものはないし、彼がその日靖国参拝を避けたことも取ってつけたつまらない理由に拠っていることは誰でも知っている。我々はそこに、この国の保守の牙城が戦前の体質そのままに、敗戦の痛手も一過性の災難に受け止められ何らの悔いもない戦後をどうにか生き延びてきた政治的鵺(ぬえ)たちの「小手先」民主主義を垣間見るわけだ。彼らの度し難い根本的な歴史的誤謬はここに披瀝するまでもないが、彼らが鎮座する舞台には我々もともすれば安易に相乗りしているわけで、彼らが自ら安全弁を彼ら自身のためにのみ用意し、適当な所で籠絡されている大衆は、己の拠って来る安全保障を喪失した状態で天災人災に見舞われ国に捨てられ、路頭に迷い、又適当な所で籠絡されもとの木阿弥に舞い戻る繰り返しを戦後ずっとしてきたのだった。見よ、あの大震災あの原発事故こそこの国を根本的に見直す絶好の機会と目論んだのは全くの空手形であった。これもまたあの敗戦同様に実に一過性そのものの、あと数百年はまずないだろうと踏んだ彼らの「何事もなかったかのように」済ますべき一事件にすぎなかった。ここに彼らの、彼ら自身見落としている重大な歴史的誤謬がある。彼らが現状を維持し同時に復古的戦前回帰をするということは、「リセット」という意味では有り得ないことでもないが、たまさか単純すぎる国家基準の執行(それが戦後の日本が寄りかかった柱である)ということならば結局同じことの繰り返し、同じ過ちの再現にしかならないだろう。そこに大衆のいない国家第一主義が、すんなり通用するには官民打ち揃って発狂でもするしかない。(つづく)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加