沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩323 その5

2011年05月21日 14時14分08秒 | 政治論
 「仮託」という場合褒貶相半ばし仮説演繹に似て多少のメリットはあるのかもしれない。但し国政における仮託は必ず完全な保障機能を準備しなければ決して実行すべきでない。国家の先行投資は国民の基盤的生活が賭けられているという前提でしか実行可能なものでなく、政治がこれを超えるときには国民の統制機能が稼動しなければついに自らの首を絞めることになる。当然のことだ。が、この国は「民衆不在」の近代化によって明治維新以降、こうした統制機能がマヒし機能不全を起こし、あり得ない「仮託」的暴走を許したのだ。これを一般に「無責任仮託的ケセラセラ政治」という。笑うところではない。これがこの国の政治の実態だ。先の大戦も戦後の日米安保体制も原発も決定的に重大な国家的誤謬の実質がこの無際限に無責任な先行投資的制御不能国政であった。官僚の業務的優秀性を生かしきれずむしろ理念なき事務処理的政治に堕した機能しないサラリーマン代議士どものふざけたお遊びが現今日本政治の正体だ。こうした、政治技術を有しない有象無象を飼い込んでこの国の似非民主主義は進行してきた。(中断)