旅日記

半世紀前の旅日記です。

私の旅日記~まえがき

2017-07-29 15:13:52 | 私の旅日記~まえがき
まえがき

▲・My pen friend・Miss. Sheila Morgan (1961年当時の文通友達・シーラ・モーガン、高校1年生、ウェールズの自宅居間にて)


 私は昭和43年7月13日の横浜から船で出国し、昭和44年7月6日の実家へ帰るまでの1年間、多くの国を旅して来ました。私はそれぞれの国で見聞した事、体験した事、感じた事、思った事等を日記に書いていました。この本は、その日記帳に基づいて、書いたものです。
当時23歳の若造で世間知らず、且つ、色々な事についての知識、能力、或いは、常識等がありませんでした。従って、その行動は突飛で、考え方の面でも、幼稚な所が多くありました。その様な私でありますので、読者の皆様は、その辺りを十分ご理解して頂ければ、幸いです。
 私が就職した昭和38年の初任給は、1万2千円でした。夏季ボーナスは支給されず、暮れのボーナスは2万5千円支給された。しかしそのボーナスも、キャノン・カメラを購入したら、無くなってしまった。私が海外旅行で退職する23歳の時の給与(基本給)は、2万3千円でした。  
 外国旅行をする為、就職してから退職するまでの5年3ヶ月間、何も贅沢せず、何処にも遊びに行かず、ひたすら貯蓄して50万円貯めました。今、ボーナス支給は、年100万円から200万円は常識的な範囲であり、一回のボーナスで、ヨーロッパ旅行が出来る良き時代になった。
 平成17年9月現在、1ドル110円前後であるが、当時は固定相場の1ドル360円でした。海外持ち出しドルは、500ドル以下、円持ち出しは、2万円以下と決められていた。現金、ドル、又はトラベラーズ・チェック(旅行用小切手)にしろ、貿易外取引の管理に関する省令により『海外渡航の為の外国へ向けた支払承認・許可申請書』を大蔵省に申請し、大蔵大臣(大蔵省)の許可が下りなければ、銀行に行ってもドル交換や、トラベラーズ・チェックを作ってくれませんでした。渡航に関し制限がある時代でありましたので、円持ち出しや持ち込みは、出入国の際に厳しいチェックがありました。又、当時の外国で円使用は、常識外(円に対する信用度、或いは、円価値が低い等の理由)でありました。
 私は、最大限の500ドルの認可が下りましたが、ソ連経由のその諸費用は、『ドル建て』の70ドルでした。ソ連は、円よりドルを欲しがっていたのです。従って、私の持ち出しドルは、現金30ドルとトラベラーズ・チェック400ドル分でした。
 所得は低く、しかも、円安・ドル高の状況下で、一般市民にとってまだ海外旅行は、遠い世界であった。この様な当時の経済・国際状況をもご理解して、この日記を読んで頂きたいと思います。従って、430ドルと2万円の所持金で1年間、多くの国を旅した事は、当然色々な苦労が付き纏いましたが、その反面、色々な経験をして来ました。私は、各国で見た事、感じた事、体験や経験した事をここに纏め、自分の宝物として大事にしたいと思います。
 この本(私の旅日記)は、嘘、偽りのない事をあえて申し上げたいと存じます。尚、文中に――省略――が幾つかありまが、これは私が観光巡りをした話です。読者にとっては、観光案内本やガイドブックを読めば良い事で、その点については、極力省略しました。最後に、国語力(作文力)のない為、誤字脱字がたくさんあると思われますが、楽しんで読まれる事を希望します。
                        平成18年09月吉日



  
  
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