旅日記

半世紀前の旅日記です。

その1、浜松への旅の話~小さな旅

2017-07-31 05:31:49 | 私の旅日記~第1章プロローグ
小さな旅

その1、浜松への旅の話
高校卒業後の昭和38年4月○○会社に入社し、その4月下旬のある日、『外国へ行けないのなら日本国内だけでも無銭旅行しよう』と思い立ちました。持ち合わせは、1~2か月分の給料(卒業は3月中旬だが2月から出社していた。)しか支給されてないから、1万円程であった。通勤にいつも利用している直江津発の深谷駅6時15分発の富士行き上り列車に乗り、私はそのまま東京駅から下ってしまった。     
行く目的地もないので、横須賀線に乗り換え、その日は2番目の義兄のアパートに立ち寄る事にした。兄が帰るまで港を散歩して過ごし、その夜は兄のアパートで1泊した。『無銭旅行しよう』と思い付きで出て来たが、特に計画を立てた訳でも、行きたい場所もないので、次の日は目的もなく東海道線を下りました。天気の良い日で暖かく、車窓からの海岸線や海がとても美しかった。
列車は小田原、沼津、富士、そして、清水を過ぎて行った。この列車の行き先は思い出せないが、途中、学生達が乗り降りし、彼等の方言交じりの会話が耳に入ってきた時は、何だか遠い所へ来た様な感じがしてならなかった。私はボクス・シートを1人で独占していた。列車が静岡を出ると、18から20歳位の女性が乗り込んで来ました。私の前の席に座ろうか如何しようかと、迷っていた感じがしたので、「どうぞ」と言って彼女に促した。良い感じがしたので、『この女性と話が出来たら良いなぁ』と内心ドキドキしていたが、何分か過ぎた後に思い切って声を掛けた。
「失礼ですが、会社の帰りですか」と私。
「いいえ、就職の件で静岡に在る本社へ行って、今、家へ帰る途中です」と彼女。
「何と言う会社で、何処で働くのですか」と私の失礼な質問。
「鈴与株式会社と言い、職場は浜松支店に決まりました」と彼女。
「それで、家は何処ですか」又私は不躾な質問をしてしまった。
「浜松です」と彼女。
声を掛け、話し出したら私達は10年の知己の様に色々な話をした。仕事の事、“私の海外文通の事”(実際にイギリスの文通友達の写真を持っていたので、彼女に見せた)、人生の事、“この辺り”(浜松)の地理の事等々話し合った。そして、彼女との話が途切れる事はありませんでした。
彼女は、明るく屈託のない、山や旅が好きな女性であった。静岡から浜松まで1時間30分程だと思うが、この間なんと時間の過ぎるのが早く感じた。出来れば時間が止まってくれれば、と願ったほどであった。私の母校は男子生徒のみで、異性を感じるようになって女性とこんなにも楽しく、そして長い間、話をした事がありませんでした。このまま彼女と何処までも行って見たい心境に成って来て、浜松に近づくのが悲しくなって来ました。
「私も浜松で降ります。何処か無料で泊めてくれる様な所、例えばお寺とか、知っていますか」と尋ねた。彼女ともっと居たいが為、考え出た言葉がこれであったのである。後から考えると何と愚かな質問であった事か。しかし、彼女は私の為に一生懸命に考えてくれた。しかし、彼女には分らず、又、到着したら浜松支店の方に立ち寄らなければならず、私を相手にしている時間がなかったようであった。
私の希望とは裏腹に、列車は浜松に到着してしまった。私は彼女と共に下車した。改札口を出ると彼女は、「それではここでお別れしなければなりませんが、元気でいて下さい」と言ってくれた。「さようなら。でも、又会えたら良いなぁ」と私はこれだけ言うのが精一杯であった。そして、私は彼女が街の雑踏の中へ消えて行くまで見送った。
初めて経験した小さな旅、そして、人との“出逢い”(文中時々、『出会い』を使用)。出逢いがこんなにも素晴らしく、そして、別れの時の寂しさ、悲しさを初めて経験し、又これが旅なのだ、と実感したのであった。
彼女と別れて行く宛てもなく、何とはなしに東海道を下り、そして、郊外に出て、着いた先が舞原駅であった。日が暮れ、辺りが薄暗くなっても泊まる所がない惨めさ。所持金は既に1万円もなかった。言い様もない寂しさが沸いて来て、私の旅もこれまでであった。午後8時頃、上り東京行きの列車に乗って帰って来ました。
数日後、彼女の名前と会社名だけ聞いていたから、浜松支店宛てに手紙を出しました。住所は知りませんでしたが、多分届くと思ったからです。間もなくして、彼女から返事が来たので非常に嬉しかった。文中に『静岡から浜松までの間、とても楽しかった』と書いてあった。又、『貴方と別れ、会社に寄った後、家に帰って母に貴方の事を話しました。母は泊めても良いと言ってくれたので、2人で駅前及びその周辺を探しました』との事でした。彼女の手紙を読んだ時、人の情けを知りました。彼女の家に泊まりたかったが、所詮、旅を続けることは出来なかったでしょう。
(その①浜松への旅の話は終り) 

ジャンル:
その他
コメント (4)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 学生時代 | トップ | その②沼田への旅の話~小さな旅 »
最近の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
初めまして、 (takezii)
2017-07-31 08:23:58
旅の思い出、浜松、卓球・・・、
人柄が伝わってくるご文・・・
読者登録させたいただきました。
私 昭和40年代前半 浜松に5~6年居たことがあります。妻は 浜松出身で 現在 高齢者の卓球サークルに毎週2回 通っています。
私は 後期高齢者ですが 出来る限り 高気高齢者でいたいものだと思っているところです。
どうぞ よろしくお願いします。
Takeziiさん、コメント有難うございます。 (nakayoshinotabi )
2017-07-31 10:33:52
思いでのある昭和38年の浜松までの旅でした。旅は楽しい、そして哀しく寂しい事を初めて体験しました。今後とも私の稚拙な旅日記を御愛読して頂ければ幸いです。旅で知り合った最初の女性が浜松の方でしたが、浜松の女性は素敵ですね。貴方が浜松にいた事、奥様も浜松だとか、何かの因縁ですね。奥様も卓球もしておられるとの事、私は殆ど毎日しています。
 私も読者登録させて頂きます、今後とも宜しくお願いします。
ブログ (tango)
2017-07-31 17:50:13
takejii様の所から飛んできました
ブログを通じて旅のお話や風土のことを
知ることは楽しいです
私は現役で画材店を2店舗経営しています
社交ダンスもNHK文化センターで指導しています
子守りがあったり。。。貧乏暇なしです
楽しい旅行記・思い出の記録など
読ませていただきました

ブログは自分の記録のために11年間書き留めています
私もブログ友とケルンでお会いして感動の旅があります
(平成19年の4月だったでしょうか)
私も読者登録をさせていただきました
どうぞよろしくお願いいたします(^_-)-☆
tangoさん、コメント有難うございます。 (nakayoshinotabi )
2017-07-31 21:24:21
また読者登録して下さり有難うございました。tabgoさんはお店の経営やダンスの指導、子守と忙しいそうですが、バイタリテイーがあって羨ましいです。私の稚拙な旅日記にご訪問くださり有難うございました。これからも宜しくお願いします。私も貴方の読者登録をさせて頂きました。
 なお、気が付かづ返事が遅れて申し訳ありませんでした。
 
      Good night! From Yoshi

コメントを投稿

私の旅日記~第1章プロローグ」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。