壁際椿事の「あるくみるきく」

都内在住の男性。約10年の編集プロダクション勤務後、フリーライターに。日々感じたことを書きます。

『女子大生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房)

2012年02月14日 | よむ

『女子大生、渡辺京二に会いに行く』を読んだ。津田塾女子大の三砂ちづるゼミの学生が、熊本市在住の在野の評論家、渡辺京二を訪ね、自分の卒論の内容を発表。それについてコメントをもらうというもの。1泊2日の合宿を1冊にまとめた。

三砂ちづる氏は、『オニババ化する女たち』(光文社新書)などを著した社会学者。渡辺京二氏は1930年生まれ。戦中派らしく波乱万丈の青年時代を送り、その後、河合塾で教えるなどした。『評伝宮崎滔天』『北一輝』らの著書がある。宮崎滔天には関心があり、いずれ評伝を読んでみたいと思っていて、僕のアンテナに引っかかった。

感想を書くのは大変なので、以下、興味を引いた部分を要約します。(●は僕のコメント)

中世は、子どもは成長し、6〜7歳になると働いていた。子ども→即大人だった。現代は、子ども→宙ぶらりん→大人となる。

子育てには、本能がある。子育てをしている過程で、子どもに対する愛情が解放されるようなメカニズムがある。

日本が戦後、経済的な急成長を成し遂げられた理由。敗戦でまっさらになり、最新鋭設備を入れられたから。(何か残っていたら100%の設備更新なんてできない)。

教育は、年齢が違うもの同士を一緒に行うべき。同じ年の子は、共食いになってしまう。放っておけば伸びる能力も、これじゃ伸ばせない。

私の家にはヘルパーさんが来ます。ヘルパーさんはいろいろな家庭にお邪魔する。一番タチが悪いのが教員夫婦。いばりちらして、やりにくい、と。

福祉というのは、基本的におせっかい。いくら高邁な理想でも、福祉を実現しようとすると、管理社会になってしまう。
●これは憲法の勉強でも学んだことですね。

人間は、周りから嫌われたっていいんです。(嫌われたらどうしようなんて悩むのは、心の使い道として、無駄の極致)。いちいち反省する必要はありません。人間はお釈迦さんじゃないんですから。

(社会改革は)小さなところからでいいんです。大きな社会改革をやろうと思ったら、反対するやつは投獄しなくてはいけない。理想的な社会を作ろうと思ったら、権力を握らないといけません。理想の法律、経済、あらゆる面を作り直そうとしたら、反対する者を排除しないと、実現しません。だから強制収容所が必要になるんです。(だから小さなところからでいいんです。)
●小さなところとは、元気な声であいさつする、とか、そんなことですね。神は細部に宿る。

(心理相談に乗るカウンセラーのようなことは)僕には向いてないんですよ。僕は非常に論理的な人間ですから、具体的にこういう悩みですと打ち明けられると、こういう解決法があると助言できるけど、抽象的な悩みには答えられない。人の心のひだに入り込むような、そういうカウンセリングのようなことは全然できない。ですから、若いあなたたちにも、非常に冷酷に突き放したようなことしか言えないと思います。

(例えば世界平和なんて高邁なことを言っても、ウソっぽい。)生物を見てごらんなさい。自分が生きていく。自分の子どもを生かす。自分の所属する群を生かす。それだけです。
●おお、なるほど。その通りです。例えば、津軽の恐山の猿が、長野の地獄谷の猿の心配をするか。しない。彼らは、自分の群のことは考えても、猿全体のことなど関係ないんです。

(前段からの続き)人間もそうです。まず自分が生きることが大事で、社会からどう評価されようが、その個人には関係ない。「社会の役に立つようになりなさい」というのは、昔なら「天皇陛下のために働きなさい」というのと同じだ。この考えは近代の一種のヒューマニズムの考え方でもあるけど、それで評価されないと、落ち込む。社会の役に立つ人間でないと烙印を押されると、もう生きる価値がないと思う。そもそも出発点が間違っている。まずは、自分のエゴイズムを肯定することから始まる。

誰も、人は、いずれ死ぬんですよ。だから、「今年も梅の花がきれいに咲いたな」と思う。毎年、毎年、そう思って、一生を終える。それだけで人間の存在意義はあります。

人生はいろいろな苦しいに満ちておりまして、その苦しみは「我」から発しています。この我は、好き嫌いを持っている。誰にも優しくというのは幻想に過ぎない。あいつは嫌いだとういのはあって当然なんです。

人間は常に「俺が、俺が」というのがある。表面では「そうだね」と相槌を打ちながらも、心の中では「違う、俺は〜〜だ」と思っている。僕は常にそう思っていた。もう年の功で反論しないけどね。これは、小さな我だよね。小さな我があって、大きな我に通じるんだから、小我というのは「しょうが」ないんだ。

●ここ、渡辺先生がギャグを一発かましたところです。オチャメです。「一堂(笑)」と入れたいところですが、本にはありませんでした。残念。

(前段からの続き)人間には我がある。だから人付き合いは難しい。だけど、人との出会いは喜びでもあります。いろんな人と出会いなさい。いろんな人とで会って、なによりそのよさが分かるようになりなさい。

●「そのよさ」の「その」は何か? 人の良さか、人との出会いの良さか。前者だと思う。馬には乗ってみよ、人には添うてみよ、ですね。

うんと傷つきなさい。で、傷つきながら悔し涙を流したりするんだよね。要するに、人知れず悔し涙を流したことのないヤツなんてのはダメ。そして立ち直って、ある日そういう自分を笑えるようになる。すべてのことが喜劇のように笑えるようになる。

自分自身のことや世の中で起こっていることを、そんなふうに高いところから見てごらん。

●以上です。要約ばかり。長くなりました。失礼しました。




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三砂ちづる 生きること 強制収容所 1930年 光文社新書
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コメント

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Unknown (椿事)
2012-02-17 09:53:21
書名に誤りがありました。『女子大生、』でなく、正しくは『女子学生、』でした。お詫びして訂正いたします。

それにしても、固有名詞、しかも書名(タイトル)を間違うとは、焼きが回りました。頭を丸めて出直します。

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