チームMONOKY

山好きのロートル(老頭児)な仲間です。チーム名はメンバーのイニシャルです。

倉岳山2006/09

2006年09月27日 | 秋山

倉岳山(標高990m)

 

---(連合いハイキング)---

 

 

山行日 :2006/9/24

 

メンバー:中山好正、連合いKuratakeyamatyoujyou

 

・記録

 

 上北沢(9:00)--高尾(10:30)--梁川(11:02)--水場(12:30)--立野峠(12:55)? 倉岳山(13:25)--穴路峠(14:00)--大トチノキ(14:20)--鳥沢(15:54)----高尾(16:32)-上北沢(18:00)

 

 

・本文

 

朝起きると、すがすがしい空模様なので「鎌倉の天園ハイキングコースに行って海でも眺めようか」と連合いを誘ったが「今日は、お彼岸で混んでいるよ」の一言であっさり却下された。

 

それではと、近郊の山の地図を引っ張り出して電車でいけるところをさがした。

大月市の南部で最も高い倉岳山が中央線の梁川駅から歩いて取り付けるし、面倒なバスに乗り換える必要もないので、倉岳山に決めた。

準備をして家を出るのが9時を過ぎてしまった。

 

 

京王線の各停から準特急に乗り継ぎ高尾に着いた。中央線ホームの売店でおにぎりとお茶を買っていたら電車が入線した。ほとんど待ち時間はなかった。

高尾から4駅で梁川駅に着く。駅は無人駅で南側は大きく開けて景色がよく、明るい駅だった。ホームから、南の山並みを眺めると正面に目指す倉岳山が見える、なぜか、ものすごく高く・遠くに感じる。「え~あそこまで行くの」連合いが驚きの声をあげた。

 

駅から桂川にかかる大橋をわたり車道をしばらく歩くと、右に倉岳山への道標がある。連合いの歩くスピードは早く、とても追いつけない。山道に入っても歩きやすい山道だが、ますます離される。ときどき立ち止まっては私を待っている。

 

月屋根沢に沿った道になると、親子連れに会った。小学生高学年の男の子と父親である。二人で電車の話をしながらゆっくりと歩いていた。なんともほほえましい親子だった。Kuratakeyamamizuba

 

相変わらず、連合いに離されながら、いいかげん疲れた頃に水場に着いた。ベンチのある整備された水場で、たまらず休憩し、おにぎりを食べる。

 

水場から沢を離れて左の尾根へと登る。登りついた所が立野峠である。若いカップルが1組休んでいた。聞こえる言葉から察すると韓国の人のようだ。峠を通過し、倉岳山に向かう。急斜面の尾根道をあえぎながら、ひと登りすると頂上に着いた。

 

頂上には、標識とベンチがあり、北は比較的ひらけて大月の町並みと中央線・中央道が見える。南はあまり開けていなく、木々の間からかろうじて富士山が見えた。

 

頂上には、中年の夫婦と単独の若い女性がいた。若い女性はアナログカメラとデジカメの2台を持っていて写真を撮ってと頼まれる。2台のカメラで4枚写真を撮ってあげた、そのお返しに我々2人の写真を撮ってくれた。Kuratakeyamafujisann

 

頂上でしばらく休んで穴路峠へと下り始める。しばらく行くと5~6人の男女混成の外人(西洋)グループが登ってきた。全員ダブルストックを使っている。ダブルストックが彼らには一般的なスタイルなのだろう。さらに下ると、17名の中高年グループが登ってきた。これまた、絵のような日本人ハイキングスタイルだ、帽子にベスト・軽登山靴で全員決まっている。立ち止まって待っていると、先頭の初老の男性が「登り優先のルールを守ってくれてありがとう」「全員で17名です」と言ってすれ違った。数えはしなかったが大パーティである。女性の数が多かったような気がする。

 

この山はマイナーな山だと思っていたが、結構人気があるようだ。特に逆コースの高畑山から倉岳山のルートが一般的なのだろう。

 

穴路峠は狭く休めるような広場はない。時間も遅いので高畑山はパスして鳥沢へと下ることにする。Kuratakeyamaoototinoki

 

しばらく尾根を巻くようにくだり、沢に出る。沢沿いにごつごつした岩の間の道を下っていくと大トチノキがあった。小さな看板に大トチノキを書かれている。ここで写真を撮り小休止する。さらに下り始めると若い女性が登ってきた。もう時間は15時を過ぎている「今から登ってどうするのだろう」「倉岳山まで1時間以上かかる、暗くなるのではないか」などと連合いと二人で心配する。振り返ってみると、連合いもそうだが登るスピードがおそろしく速い。女性はなぜ早く歩けるのか、いまだに理由がわからない。体重差だけではないような気がする。連合いの場合、私と登ると脳内ホルモンが活性化し、マラソンランナーに化けるのではないか。

 

さらに下って道が平坦になると、今度は中年の夫婦が登ってきた。「梁川から来たのか」とたずねるので「そうです。11時に梁川を出発した」と答えると夫婦で相談をしていた。この時間では途中の大トチノキを見て引返すのが精一杯だろう。

それにしても、さっきの若い女性といい15時を過ぎて登ってくるのは理解できない。

 

沢道から貯水池に出て鳥沢駅への道路上を歩く、鳥沢駅は梁川駅と比べると大きな駅でホームにも多くの人が電車を待っていた。一駅違いの無人の梁川駅の雰囲気がますます良いものに思えてくる。朝、梁川駅に着いたとき写真を撮ればよかったと今さらながら悔やまれる。

鳥沢駅でも、待つことがなく電車が来た。高尾で京王線に乗り換え帰宅した。

 

久しぶりに登山靴を履いたためか、それともオーバーペースで歩いたせいか、両足の裏が重く痛い。夕食の準備をしている元気な連合いをしりめに、テレビを見ながら両足裏マッサージを続けた。

 

 

 


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