こんにちは中山いくみです

日本共産党の福岡市議会議員(早良区)の活動や日頃感じていることを書きます。

速報!福岡市は「つくる会」教科書を採択せず!

2011年08月01日 | 日記
本日、福岡市は教育委員会会議を行い、来年度の中学校および特別支援学校等の教科書を採択した。「つくる会」教科書は歴史、公民ともに採択されず東京書籍版が採択された。詳細は後述する。
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東日本大震災ボランティア報告5 日目

2011年07月09日 | 日記


   

塩釜の小高い住宅街で軒並み訪問し、一部損壊でも罹災証明をとっておくことの大切さを伝えてまわった。やはり家財道具が壊れたり、クロスにひびが入ったりという被害はほとんどの家で受けている。中には離島で津波の直撃を受け、命だけは助かったお父さんを引き取った家もあった。他にも、お兄さんが仙台で家を無くしたという方も。仮設住宅には女川で被災したおばあちゃんがおられた。故郷への思いを聞いたが、「怖いから戻りたくない」と。故郷に対して怖いという感情しか残っていないお年寄り。被害の重さを実感し涙がこぼれた。小高い丘から眺める塩釜の街並みと住宅街に咲く花は美しかった。
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東日本大震災ボランティア報告4 日目

2011年07月08日 | 東日本大震災
   

津波被害が大きかった多賀城市に入った。多くの家屋が一階部分は水没した。この地域では、店舗被害や一部損壊に対する支援策は今のところ何もない。周辺自治体と比べて遅れている。地元の都津川議員と共に、署名で軒並み訪問した。避難中で不在のところ、家の改修中のところ、ボランティアの大工さんたちが解体準備をしているところ等まだ痛々しい街並みだ。ある男性は入院していた父親を病院で亡くしていた。停電で暖がとれず低体温症に陥ったとのこと。ある女性は、警報が届かず犬を避難させることができず救えなかった無念を語られた。
ある魚屋さんは、必死で再開した店舗にて、制度充実の署名を数十筆集めておられる。
写真は被災直後の様子。「多賀城民報」より
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東日本震災ボランティア報告3 日目

2011年07月07日 | 東日本大震災
6日は午前中利府町入り。午後は塩釜の商店街の聞き取り、支援制度の広報にまわった。地震被害と津波被害で多大な損害を受けた店舗でも「まだうちは軽い方です」と言われる。塩釜では被災店舗への支援金もつくられており、額は30万円など不十分でも大変感謝されている。ある薬局では、被災直後、ヘドロをかきだしながら営業を再開し、お客さんから「ありがとう」といわれたものの、一方で「うちだけ営業して良いのか」との思いにさいなまれた事を奥様が語ってくださった。しかし、明かりが灯らないなかで店の再開は間違いなく住民に希望を示したはずだ。
中には被害は軽く1000万円を超えたという店もあり、復興への懸命な努力が続いている。
夕方は海岸近くで津波被害が大きかったところに、福岡県からの救援物資を届けた。1階部分はかなりやられ、解体する家屋も少なくない。中には、先祖代々の蔵が流されたところや、ストレスで帯状疱疹を発症された方もおられた。
かなりの地盤沈下で、住み続けることへの不安も広がっている。
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震災ボランティア報告2 日目2

2011年07月07日 | 東日本大震災
仙台市の海岸部に足を運んだ。あまり報道されていないが、その被害は凄まじい。家は跡形もなく、広大な仙台平野が長く続いている光景は何とも言い難い。かろうじて残った松の木も大きく傾き、倒れた電柱が放置されており、津波の破壊力を物語っている。遺体が200体あがった浜もある。もともと一面が平野だった地域だけに、突然襲って来た津波から避難する場所は無かったに違いない。
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