裁判は勝ち負けがあって、辰巳ダム裁判は敗訴となったが、
司法上の判断(違法か適法か)において、辰巳ダム事業は、「違法ではない」というだけで、辰巳ダム事業が社会的に有意義で適切な答えであったかどうかは別問題である。
社会資本の蓄積の面で判断すると、まったく技術的根拠のない、あやふやな幽霊のような存在だと言うことには変わりない。
平成7年型の降雨パターンで基本高水を決定しているが、平成7年8月30日にこの2日雨量150mmほどの小さな雨が無ければ、基本高水は1750m3/秒から、昭和36年7月10日型の1312㎥/秒まで小さくなって辰巳ダムの根拠はなくなる。ある日の小さな降雨の有る無しで辰巳ダムが左右されるから幽霊のようなものだ。あるいは、呪術師が「平成7年8月30日の雨は大洪水の予兆だ。」と宣うようなものか。科学技術ではない、迷信だ。
ただ、常識的な判断から、技術的根拠がないと指摘しても、事業者は事業者の論理があり、これを否定するのはなかなか大変である。
有史以来発生したことのないような過大な基本高水だと正面から、技術的観点で争った。今回の治水に関して示された司法判断の重要部分について、弁護団の治水担当の方から、2点あげていただいた。
① 新基準が規定した「異常値の棄却」について
行政が河川工学等における一般の科学的知見において「発生し得ないとまでは言えない数値」(一般的な確率分布モデルのうちSLSC0.04以下でジャックナイフ推定値に同推定誤差を加えた最大のもの)を棄却基準値に設定することは裁量の範囲内で適法である。
② 新基準が規定した「流量確率評価による検証」について
流量確率評価に用いる流量観測記録の質ないし量に問題があると判断される場合には、行政が流量確率評価による検証を行わずに基本高水ピーク流量を決定しても、裁量の範囲内で適法である。
この2点をあげていただいた上で、
「新基準の①②の規定は、過大な基本高水を予防するためものだが、司法の判断はこれらの規定を骨抜きにすることを是認しているので、新基準で過大な基本高水を予防することはほとんど不可能であり、正面から争って住民が勝訴する余地はない。」
という感想でした。
①については、立証責任、つまり、訴ったえた方が、「発生しない」と証明しないといけない、これをしないと「発生し得ないとまでは言えない」ということになって、負ける。確率統計学の世界で100%発生しないと証明することはいかなる権威をもってしても難しいだろうし、そして、負けた。だが、この議論の過程で、当初に設定した目標値の1/100確率のものではなくて、1/400程度の確率の雨による洪水量だということを双方が認識することになった。明らかに過大だ。
また、②については、雨から間接的に洪水量を計算しているので、あっているかどうか、確認する作業がいるというものだ。これを新基準ではするように規定しているが、必ずやれとまでは記載されていない。それで、石川県はやらなかった。原告側で計算して、県が雨量から計算した洪水量(基本高水)が現実の洪水とまったく合っていない、と指摘したが、司法では採用されなかった。石川県は合っているかどうかを計算して評価できるのにやらなくて、結局、こちらが示した数値については、「独自の考えだ」と拒否しただけで、誤った数値だとは反論していない。つまり、基本高水は過大だということを指摘した「数値」については、暗黙に認めているのだ。
だから、司法判断では、しりぞけられて負けているが、実質的には、基本高水が過大であることを認めているので原告が勝っているのだ。
司法上の判断(違法か適法か)において、辰巳ダム事業は、「違法ではない」というだけで、辰巳ダム事業が社会的に有意義で適切な答えであったかどうかは別問題である。
社会資本の蓄積の面で判断すると、まったく技術的根拠のない、あやふやな幽霊のような存在だと言うことには変わりない。
平成7年型の降雨パターンで基本高水を決定しているが、平成7年8月30日にこの2日雨量150mmほどの小さな雨が無ければ、基本高水は1750m3/秒から、昭和36年7月10日型の1312㎥/秒まで小さくなって辰巳ダムの根拠はなくなる。ある日の小さな降雨の有る無しで辰巳ダムが左右されるから幽霊のようなものだ。あるいは、呪術師が「平成7年8月30日の雨は大洪水の予兆だ。」と宣うようなものか。科学技術ではない、迷信だ。
ただ、常識的な判断から、技術的根拠がないと指摘しても、事業者は事業者の論理があり、これを否定するのはなかなか大変である。
有史以来発生したことのないような過大な基本高水だと正面から、技術的観点で争った。今回の治水に関して示された司法判断の重要部分について、弁護団の治水担当の方から、2点あげていただいた。
① 新基準が規定した「異常値の棄却」について
行政が河川工学等における一般の科学的知見において「発生し得ないとまでは言えない数値」(一般的な確率分布モデルのうちSLSC0.04以下でジャックナイフ推定値に同推定誤差を加えた最大のもの)を棄却基準値に設定することは裁量の範囲内で適法である。
② 新基準が規定した「流量確率評価による検証」について
流量確率評価に用いる流量観測記録の質ないし量に問題があると判断される場合には、行政が流量確率評価による検証を行わずに基本高水ピーク流量を決定しても、裁量の範囲内で適法である。
この2点をあげていただいた上で、
「新基準の①②の規定は、過大な基本高水を予防するためものだが、司法の判断はこれらの規定を骨抜きにすることを是認しているので、新基準で過大な基本高水を予防することはほとんど不可能であり、正面から争って住民が勝訴する余地はない。」
という感想でした。
①については、立証責任、つまり、訴ったえた方が、「発生しない」と証明しないといけない、これをしないと「発生し得ないとまでは言えない」ということになって、負ける。確率統計学の世界で100%発生しないと証明することはいかなる権威をもってしても難しいだろうし、そして、負けた。だが、この議論の過程で、当初に設定した目標値の1/100確率のものではなくて、1/400程度の確率の雨による洪水量だということを双方が認識することになった。明らかに過大だ。
また、②については、雨から間接的に洪水量を計算しているので、あっているかどうか、確認する作業がいるというものだ。これを新基準ではするように規定しているが、必ずやれとまでは記載されていない。それで、石川県はやらなかった。原告側で計算して、県が雨量から計算した洪水量(基本高水)が現実の洪水とまったく合っていない、と指摘したが、司法では採用されなかった。石川県は合っているかどうかを計算して評価できるのにやらなくて、結局、こちらが示した数値については、「独自の考えだ」と拒否しただけで、誤った数値だとは反論していない。つまり、基本高水は過大だということを指摘した「数値」については、暗黙に認めているのだ。
だから、司法判断では、しりぞけられて負けているが、実質的には、基本高水が過大であることを認めているので原告が勝っているのだ。