中田真秀(なかたまほ)のブログ

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ソフトウェアの自由という利害とフリーソフトウェア運動と日本の利害

2011-01-12 21:01:05 | 日記
リチャードストールマン、この人がGNUをつくり、FSFをつくり、フリーソフトウェア
という概念を作った。この人にはフリーソフトウェア、つまり、ソフトウェアの自由という利害がある。
ソフトウェアは自由でなければならない、そういうことだ。そして利害とは - それが何よりも大切なのだ。繰り返すとソフトウェアが自由であること、それが何よりも、大切なのだ。どういう自由が必要か。それはソフトウェアのユーザに与えられる 4 種類の自由で、その実装がGPLであったり、LGPLであったりする。

あまりにも重要なので、引用すると、

> * 目的を問わず、プログラムを実行する自由 (第 0 の自由)。
> * プログラムがどのように動作しているか研究し、そのプログラムに あなたの必要に応じて修正を加え、採り入れる自由 (第 1 の自由)。 ソースコードが入手可能であることはこの前提条件となります。
> * 身近な人を助けられるよう、コピーを再頒布する自由 (第 2 の自由)。
> * プログラムを改良し、コミュニティ全体がその恩恵を受けられるよう あなたの改良点を公衆に発表する自由 (第 3 の自由)。 ソースコードが入手可能であることはここでも前提条件となります。

である。

意外と単純ではなかろうか。

さて、日本人はソフトウェアが自由でなくて困ったことがあるのだろうか? 自由でなくてはならないのだろうか。ただ単に無料という利害だけであるならば、それは最終的には淘汰されるかもしれない。

歴史的に、我々日本人は自由を求めて戦ったことはあるのだろうか。命をかけたことはあるのか。そして自由を手に入れたことがあるのか。太平洋戦争で、日本人は多くの血を流し、命を失ったが、憲法が自由になるため、命を失った訳ではない。我々は自由とは何かを知らない。だからそのありがたみもわからないのだろう。その必要性すら。

逆に日本人は押さえつけられるのが好きだ。私にはそうとしか思えない。我々はエリート主義や官僚主義が大好きだ。科挙の制度は喜んで古くから受け入れている。現代に至っても例えば国一の官僚、東大卒たちは政治的な力を持つ。上から「ソフトウェアは自由でなければならない」押さえつけるとそれはそれで、意外と自由になるのかもしれない。もちろんこれはまったく冗談でしかないが。

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8 コメント

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OSSが日本で流行らない理由 (鈴木)
2011-01-13 20:57:57
日本でソフトウェアコードを開発する会社はOSS関連の会社でない限り、社員のOSSへの参加行為を禁止します。
主な理由は、自社ソフトウェア資産の保護です。
GNUはソフトウェア著作権に対するライセンス条項が厳しく、仮にGNUのOSSを参照して自社コードに取り込んだ場合、ソフトウェア開示などのGNUライセンス適用の強制が会社にとって脅威となっています。
このようなリスクを排除するため、
1.社員のOSSコミュニティー参加の禁止
2.OSSソースコードの参照の禁止
3.過去または現在OSSコミュニティー参加者の開発プロジェクトまたは入社の拒否
といった対応がとられています。

このような現実を知らないままOSSプロジェクトに参加してしまう学生が不利益を受けているケースもあり、IPAではOSSリスクに関する正しい理解を呼びかけているのも現実です。
Unknown (Nakata Maho)
2011-01-14 09:28:09
コメント、ありがとうございました。

まず聞きたいのが、日本って守るほどのソフトウェア資産ってありますか? 今殆ど日本の会社のプログラム、使ってません。一太郎とか頑張ってるように見えますがアラフォー以上じゃないと使わないんじゃないですかね。

> このような現実を知らないままOSSプロジェクトに参加してしまう学生が不利益を受けているケースもあり、IPAではOSSリスクに関する正しい理解を呼びかけているのも現実です。

学生さんはぜひGoogleに行きましょう。そこで自由に頑張っていただきたい。どうせ日本の会社でまともなプログラム書いているところないですから。プログラマーとして入っても最悪な待遇しか受けないですよ。あんなのは奴隷です。

Unknown (Nakata Maho)
2011-01-14 09:30:07
鈴木ひろのぶさんですか? 多分IPAで鈴木とOSSとなると鈴木ひろのぶさんしか思い浮かばなかったので。
Unknown (鈴木)
2011-01-14 17:36:12
いいえ、IPA関係者ではありません(笑)
IPAのOSS講義には出席しましたが。

日本のソフトウェアで代表的なものは
・組み込みソフトウェア
・ゲームソフトウェア
・パッケージソフトウェア
・顧客に開発提供する適用業務プログラムなど

これらソフトウェアの知的財産を守ることは会社として当然のことです。
「OSSリスク」で検索すると無数に情報が出てきますが、特に以下についてお勧めします。


オープンソース・ソフトウェアに潜むリスクを知る(前編・後編)
http://www.ciojp.com/contents/?id=00006292;t=0
http://www.ciojp.com/contents/?id=00006299;t=44


IPA資料
http://www.ipa.go.jp/about/jigyoseika/04fy-pro/open/2004-741d.pdf
http://www.ipa.go.jp/software/open/ossc/download/applied_guidance2.pdf


GPLが検出されたら製品出荷は中止! バンダイナムコのOSSリスク管理
http://journal.mycom.co.jp/articles/2010/11/26/oss/
Unknown (Nakata Maho)
2011-01-14 17:41:49
いずれにしても鈴木さんのコメントはこのブログの趣旨である、日本の利害とはずれてます。

FLOSSの自由を追求する、日本人にソフトウェアの自由の利害があるか、ということを問うているのに、そもそも自由の利害が無い人たちへのGPLリスク注意喚起してもそりゃ利害が無いで、終わりです。


お話の趣旨とははなれますが (松岡)
2011-01-15 07:24:38
確かに日本人は押さえつけられるのがすきなのですが,歴史的にみてそうでもない事例は結構あります。

明治維新は,所詮武士の外圧による革命とひょうされますが,フランス革命だってプチブル革命。

坂本龍馬のような下級武士が志に燃えて大胆な行動にでて,幕府の世の中,武士の世の中を変えた。あのころ,アジアでそれができた日本は地理的有利さがあったとはいえそれはすごいことだと思います。

また,大正デモクラシーにおける普通選挙権の獲得の歴史や自由民権運動の歴史は上からの押さえつけではなく,下からの突き上げです。

そのあと,道を見違えて戦争に突っ込んでいったのは,中田さんいうとおりの上からの抑圧のせいかもしれませんが(苦笑)。

最近,地方自治の首長に個性的な人物が多くなり,中央との関係を変えようとしている。このあたりも私は期待しています。

欧米があれほどの権利意識を持つのは,古代ローマ帝国という奇跡とも思える非常に近代の感性に近い大帝国があったのが関係していると思います。中世という空白の時代がありましたが,ルネサンスにより,古代ローマの思想の復活により,あのような文化を築きあげていったのが大きいと思います。

欧米人より自由に対する意識などが,弱いのはあると思います。また,FLOSSに対する日本人が寄与や理解の少ないのは確かに閉口することはありますが,すこしずつぼちぼち頑張っていくことで状況を代えるのに貢献できればと思います。

雑駁になりましたが,ここはこれで。
訂正(それた話ですみません) (松岡)
2011-01-16 01:49:01
あいまいな表現まま先のコメント書いてしまいました<m(__)m>。

大正デモクラシーと自由民権運動は時代ががちがい,後者は,明治維新からそれほどたっていない時期で同時代とも取れる表現になっていました。

自由民権運動では「板垣死すとも自由はしなず」という有名なせりふがあります。したがって,日本にも生死をかけて自由のために戦った歴史があることは明記しておきます。

問題はどちらかというと「フリーソフト」=「公共財」という考え方とノブレスオブリージュの思想が戦後の日本には弱くなったことにあると思います。(戦前のほうがむしろ強いような気がします。)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5
Unknown (NakataMaho)
2011-01-16 08:12:59
坂本龍馬まぁエリート層(我々の言葉だとポスドク!?!?)の気がします。

太平洋戦争後はもう見る影も無いという...

ま、我々も、MS Office買おうやと言われて買えない人たちではないですから、なんともアレですが。

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