ステーキ・ハウス・レストランの仕事の話~シドニー滞在

2017年06月20日 | Yoshiの果てしない旅 第11章 オーストラリアの旅

*ステーキ・ハウス・レストランの仕事の話

 1969年4月9日(水)にシドニーのジョージ・ストリートにあるステーキ・ハウスで仕事を見付け、4月13日から皿洗いの仕事をする事にした。時間は、午後5時から9時45分までであった。この仕事は、ロンドンで既に経験済み、行ったその日から1人でこなした。本番の従業員がいるが、日曜日が彼の休みの日なので、私はその代わりであった。皿洗いと言っても、ほとんど皿洗い機があるのでその操作と、食器類を拭くのが主な仕事であった。

 この店は、月曜日から日曜日まで休まず営業していた。店の規模は4人掛けのテーブルが20程、他と比較して大きくないが、小さくもなかった。店の奥に調理室があり、その脇を通って更に奥へ行くと、私の仕事場になっていた。そこは、食器洗い場とビールやワインの貯蔵庫があり、ウェイトレスが貯蔵庫にワイン等を取りに来る他に用がない所であった。

 「ビール1本程度なら自由に飲んでも構わないよ」と言われていた。後日、慣れたあたりから、ビールを飲みながら仕事が出来るのであった。時にはワインも摘み飲みした。勿論夕食は、コックに好きな料理を大盛り注文して食べていた。

 

・4月13日(日)~この店は、繁華街のメイン位置にあるので、午後6時半頃から7時半頃まで特に忙しかった。コック2人の内の1人、26歳のドイツ人が、経験があるとは言え、この店の仕事の流れや要領等が不慣れな初日、私に何かとうるさかった。彼は、不親切で嫌みたらしかった。

 

・4月20日(日)~その日の終り頃、私は言われっ放しでなく、ついにコックのドイツ人に反撃に出た。そもそも西欧人とやって行くのには、『彼等と対等である』と言う意識、考え方が大事であった。それには、自己主張する事が大切であった。何も言わないより間違っても良い、主張する事が大事であった。何も言わなければ理解されないし、余計に彼等は付け上がり、私を下目に見る様になるのだ。

 そんな訳で、彼に「君はボスでもなければ、マネージャーでもないのだ。私に一々つまらん事を言うな。君は君の仕事をしていればそれで良いのだ。決して私の仕事に口を挟む事のないよう、忠告しておく」と、きっぱりと言った。

そうしたら、「私がボスに君の事を話したら、君は首になるよ」と首を手で切る様なジェスチャで彼は言った。

「君がボスに言い付けたければ勝手にどうぞ。私は全く気にしていませんから」と私は彼に言ってやった。

 週一、しかも午後5時からの仕事、誰が喜んで来る人がいるものか。それに私は貨物駅の仕事が見付かり、気が楽になっていた。そしてこの事があって以後、彼は私にうるさい事を言わなくなり、寧ろ親切になった。

 帰り際、ボスから6ドル25セント貰った。ついでに話すが、ここのボスはロシア人であった。「共産国家を嫌いロシア革命前後、ここオーストラリアに家族で移住して来た」と彼は言っていたが、両親はブルジョアジィー系と考えられる。したがって未だに彼の英語は、ロシア語訛りの英語であった。私もはっきり言って、日本語訛りの英語であるから、他の人の事を言えません。 

 

・4月27日(日)~その日の終了時に、「5月4日の日曜日は11時45分に来てくれ」と言われた。仕事の時間が向こうの都合で変わる様になって来た。

 

・5月4日(日)~今日は2時頃まで仕事をし、それから一旦帰宅した。バスを浴びて時間を見計らってから夕方、再びステーキ・ハウスへ出掛けた。

 仕事が終り、私はボスに「話があります」と言って、私とボスは店のテーブルを挟んで席についた。

「日曜日はホリデーで働く者の休みの日なのです。しかし、私はホリデーに働いているのです。その割に私の賃金は安すぎる。ホリデーを加味した割増の賃金が欲しい。それに労働時間が一定していないので、一定にして貰いたい」と、私はボスに直談判した。『どう考えても当然の要求である』と私は思っていた。ボスは私の要求を納得してくれた。その結果、労働時間は12時~14時30分までと17時~21時45分まで、賃金は3ドルアップの12ドルになった。私はそれで納得した。

「最初に会った時より、君は英語が上手いね」とボスに褒められてしまった。ボスと話をしていると、ロシア人であるのにどうも彼の出身は、満州のハルピンらしかった。実は、彼が私に何人かと尋ねたので、ふざけて、「モンゴル人」と言った。すると彼は、「ハルピンを知っているか」と言うので、「知っている」と答えた。そうしたら彼は昔のハルピンの事を言い出したのであった。

 今日は9ドル受け取り帰った。来週5月11日からは労働時間が一定し、3ドル上がって12ドルとなるのであった。正当な要求であったら、はっきりと主張する事が大事であると感じた。

あれ以来、ドイツ人のコックは何も言わなくなった。週一であるが、栄養とスタミナは、このレストランで摂っていた。そして、ビールやワインも飲めるので、まあまあの職場であった。ウェイトレスのかわいい子もいたが、お互い仕事中、しかも離れていたし、仕事が終ると皆忙しく帰るので、話す機会さえなかった。

 

・6月8日(日)~今日は、この店での最後の仕事になった。そして、いつもと変わりなく終った。

私の後釜に“杉本さん”(仮称、以後敬称省略)がする事になった。彼をボスに紹介し、了解を得ると共に、見習という形で何時間か彼に仕事の仕方を教えた。杉本は、岡本と知り合ったらしく、岡本から私の仕事が今日で終りと聞いて、「後を引き継ぎたい」と言って来たからでした。

 杉本は、川崎のトヨタ自動車に勤務している人でした。1ヶ月間の休みを取ってオーストラリアに来たのであるが、もっと当地に滞在したいらしく、私の後釜になったのだ。しかし、『彼の会社の方は大丈夫なのか、首にならないのであろうか』でも、私が案じる事ではなかった。

                                       (レストランの皿洗いの話は終り)

『海外旅行』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 生まれて初めて『ナニ』の検... | トップ | Kと共に貸し部屋で暮らし始... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL