インド人とのトラブルと荻との別れ~アジャンタ、エローラ見物とインド横断鉄道の旅

2017年05月19日 | Yoshiの果てしない旅 第10章 インドの旅

・昭和44年2月23日(日)晴れ(インド人とのトラブルと荻との別れ)

 久し振りに10時までユックリ寝ていた。今日も昼食時、インド人と張り合った。食堂で私と荻はコカ・コーラを頼んだ。いつもは、ビンのまま持って来たが、この店は、コップに入れて持って来た。飲んでみると、水っぽい感じがした。『インド人め、人のコーラを飲んで、その分量だけ水で薄めたな』と我々は1口飲んで直ぐ分った。しかし、私と荻は全部飲んでしまって、これが失敗であった。しかも、生水を飲まない様にしていた私は、飲んでしまった。これは、油断であった。

払う時になって、「貴方達は注文した我々のコーラを半分飲んだから、半分の代金しか払わんぞ」と我々は言った。

「コーラ全部飲んで、如何して半分だけなのだ」と店員。

「人のコーラを飲んで、その分、水を入れたコーラなんか全部払えるか」と我々。

「飲んでいない」と店員。

「飲んだ。水を入れて補充したのだ。薄くなってコーラの味がしなかったぞ。だから半分しか払わない」と我々。

「否、飲んでないし、水も入れていない」と店員。

「ボトルでコーラを持って来てくれ。もう一度試して見るから」と我々。

「コーラは売れ切れて、もう1本も無い」と店員。

「無い事はないだろう。おかしいではないか」と我々。

どう考えてもインド人はおかしい。これは証拠隠しだ。それにしても、如何してコーラを飲んでしまったのか、しかも全部。これでは我々としても、証明する事が出来なかった。

我々は、『インド人に負けてたまるか』の一念で店側と、「飲んだ」「飲まない」、「半分払う」「全部払え」、「ボトルを持って来い」「売れ切れた」と英語で完全に通じ合わなかったが、押し問答を繰り返した。そして最後は、インド人に負ける運命にあった。時間を費やすし、疲れるし、最後は『1ルピー位、まぁいいか』と思ってしまったのだ。思ったら負けなのだ。現実には、「たかが1ルピー、されど1ルピー」と思って戦っても、敗れるのであった。(闇両替で1ルピー39円。)

 ずるいのは、お昼の事だけではなかった。今日、“バナナ1房”(一本の大きさは、日本の輸入バナナの半分。食事代わりに私は、度々買っていた)を買った時もそうであった。1ルピー出して買ったのであるが、ボンベイでは12本付いて来たのに、9本だけであった。そこで又も、「3本少ない、3本よこせ」、「駄目だ」の繰り返しの応酬であった。インド人は、ガメツイ、ズルイのだ。外国人旅行者は、彼等の鴨になっていた。

 そうこうしている内にこの時は、“英語が話せる人”が現れて、「如何したのか」と尋ねられ、事情を説明した。シーク教徒のその方が今回、私を助けてくれて、バナナ3本取り返してくれた。英語を話せるインド人は、カーストの上層部に位置する人、若しくは“シーク教徒”の人達であった。彼等は我々の様な貧乏旅行者を公平に見てくれた。特にシーク教徒の人達には、インド滞在中、随分助けて貰った。 

 午後、何もする事が無かった。今夜の11時、荻はマドラスに向けて旅発つと言う。彼は、マドラスから船でペナンに渡り、マレー半島を南下し、シンガポールから日本に帰る、と言っていた。渡辺も明日の早朝、旅立つ、との事。

 夕食の後、私は何だか寂しい、落ち着かない感じになった。そして夜の11時過ぎ、荻は去って行った。荻とは2月11日、ボンベイの食堂で偶然逢って以来2週間弱、共に過した。私は彼と出逢えた為、ボンベイの滞在やアジャンター・エローラの旅が楽しく出来た。そんな荻と言う旅人と別れるのは、淋しかった。彼とは色々な所で出逢ったが、もう逢える事はあるまい。『達者で、そして、無事に日本に帰国してくれ』と願った。

 その夜、私は変な夢を見た。ホモに襲われ悲鳴をあげ、そして目が覚めた。薄明かりの中、時計を見るとまだ未明であった。

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