船旅を楽しむ~船内の様子(その2)

2017年07月10日 | Yoshiの果てしない旅 第12章 船旅

 ・昭和44年6月24日(火)~7月3日(木)(船旅を楽しむ)~その2

▲ブリスベンの絵葉書

▲Royal Interocean Lines Tjiluwah Voy. 149-A(チルワ149号、オランダ船)

▲ダンス・パーティーにて~股にオレンジを挟みマドロスパイプをしゃぶっている私と同じ食事テーブルのおばさんと

 船旅は、退屈するのでダンス・パーティー、映画、ビンゴー・ゲーム、デッキ(甲板)での“ホース・レース・ゲイム”(競馬遊び)、卓球大会等、色々な催しがあった。私はダンスが踊れないので、見ているだけでした。船で横浜からソ連のナホトカへ行った時も、ダンス・パーティーがあったが、つくづく習っておけば良かった、と思った。

デッキに卓球台が置かれていて、華僑のタンと時々卓球をしていて、大概私が負けていた。そんなある日、卓球大会が催され、決勝に勝ち進んだのが私とタンでした。3セット21本勝負で21対13,21対18の2連勝して私が勝ち、優勝した。その日の夜、ホース・レース・ゲイムと合わせて表彰式があり、船長から優勝賞状と賞品としてクリスタルの灰皿を頂いた。

この船のエコノミー・クラスの乗客は、60人位でその中に日本人は、私1人であった。年配の日本人に気を使うのが嫌で、私の場合は居ない方が良いので、お陰様で気を使わなくて済んだ。乗客の幾人かを除いて、皆45歳以上の年配者であった。その幾人かとは、この船で初めて会ったタン、“フィリップ”(中国名Tung Shui Cheeマレーシア出身)、“フレッド”(中国名Yee Yun Sang香港出身)、そして、アメリカ人のメアリーであった。

横浜からナホトカまでのソ連船・ハバロスク号は、日本人の若い人が殆どであったが、この船はオーストラリア人の紳士淑女の年配の方が殆どであった。歳をとってからでもこの様に気軽に海外に出掛け、優雅で豊かに一時の人生を過している。やはりオーストラリアは、豊かな国なのか。 しかし、折角寛げる時間を持ったのだから、ノンビリ過ごせば良いと思うのに、編物をしている多くのご婦人方を見掛けた。豊かに生きる一方、堅実的なオーストラリア人気質を垣間見るのであった。

私は、“何もする事が無い時”(いつもそうであるが)、卓球をしたり、小さなプールで泳いだり、デッキに出て大海原、或は、紺碧色の海に浮かぶ南洋諸島の過行く小さな島々をぼんやり眺めていたりしていた。私は、ノンビリと過ごせる船旅を楽しんだ。私はやはり空の旅より、船旅が好きだ。その理由は、ナホトカへの船旅で書いたので省略しましょう。将来、ノンビリした気分で再び船旅が出来るその時が、又来るであろうか。漠然と思うに、2度と無いであろう。それでは若い時に、この様な経験をしても良いではないか、と私自身を納得させて、船旅をしているのであった。

話は全く変わるが、この船会社はオランダ人が経営しているが、下級船員は全て中国人(華僑、台湾人)であった。彼等に聞いたところ、月A$50(2万円チョット)であると言っていた。これは低賃金であった。

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2 コメント

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給料 (jimmy)
2017-07-11 11:16:00
確かこの時代、私の給料は(TEPCO)で3万位と記憶してマス、中小では船員と大差無かったカモ?
羨ましい体験談、有難うございます。
Jimmy
jimmyさん、コメント有難うございます。 (nakasheilanancy)
2017-07-11 17:20:57
ダーウィンの港に停泊していた中型船での遠洋漁業の船員は月に当時日本円で5万円程貰っている、と話していました。前年の私の給料はその半分でした。2万円と言っても、その国の経済状況で決まるので、一概に比較するのは正しい見方のは思いません。台湾人なら高額な稼ぎだと思います。
 最後までご愛読下されば幸いです。
From Yoshi

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