只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今からたくさんの商品を配達です、今月は相当な売上げです。笑

2017-03-10 09:20:58 | 日記

お釈迦様は、この世は只、心によって生まれてくると
言われています。

思考がなかったらこれがこれともわからず、在るとも
わからず何にもわからないのです。

ですからこの世界は何も無いのです。

あなたも私もこの綺麗な花も、何も無いのが真実です。

そうですから、思考心があるゆえにすべては現れてくる
のですね。

そして残念ながら心配、迷い、不安、苦悩、恐れと
いう「思考自我」も現れてくるのです。

それはこの身体が在るからです。

そして、生まれる前から在るからどうしようもないのですね。

ですが、その苦しみを解決された方が約2600年前の
お釈迦様です。

お釈迦様は、私達と知能を除いて何ら変ることない
平凡な人間です。

この知能の高さが苦しめたり、逆に苦しみを解決へ
導いたりとしたのですね。

長い修行において、必要ない時に思い考えることが
苦しみを創るのだと見極められたときは、
さぞかし嬉しかったでしょう。

それに、頭の中で勝手に思い考えるのは自分でない
ことにも驚かれたことでしょうね。

ですから、この身体から自分と決め付けている「思考自我」を
引き離すことに成功されたのです。

今この瞬間・無思考”を体得されたのですね。

そこは“一心”“無心”“真心”とも呼べる、
大安楽の“涅槃寂静”の世界です。




只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


『「隔たり」のない「今」です。この努力が、
 癖としての拡散や囚われる対立の心を取ってくれるのです。
 とにかく「今」「今」努力です。心静かに自分の一挙一動を
 見逃すことなく、注意深く行じ続けることです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
真実と一体が、「隔たり」のない“今この瞬間・無思考”と
仰っています。

「思考自我」のいない、“無思考”に居る努力が
“只なる実践”です。

それが、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」を
落としてくれるのですね。

とにかく“今” “今” “今” に、身体の動きに
合わせて、心静かに、真剣に、ここに居る努力です。

それは難しいことではなく、“”に居る努力と
言うことです。

勝手に浮遊する思考を見逃さないことですね。


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