只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

いつもコツコツですね、急ぐと問題が待ってますね。

2016-11-05 12:10:10 | 日記
山畑の白菜です。虫等にやられてしまいました。笑
次回から虫等に教えてもらいましたので再チャレンジです。




【自然はいいですね~と感じるのは
“真の自分”だからです。】

雀は“チュンチュン”で、カラスは“カアーカアー”です。
本来には雀もカラスも無く、“チュンチュン”や
“カアーカアー”の只の音です。

ワンワンやニャ~ニャ~と来れば、
間髪入れず私(思考)は犬や猫にします。
事実はこれもワンワンやニャ~ニャ~の只の音ですね。

本当は自分も幼児の頃は“チュンチュン”や
“カアーカアー”、ワンワンやニャ~ニャ~の音とも
わからず只の音だったのです。

成長してその音が雀やカラス、犬や猫に
なったというわけです。
つまり脳が繰り返しの原理で発達したのですね。

ですからすべてがそのように創られて来て
固定化したのです。
更に、その固定化したものを脳が“事実”と
捉えるようになったのです。

別にそれはそれでいいのですが、
心配、不安、苦悩、恐れ等までも“事実”と
捉えるから問題となるのです。

私(思考)達はここまで成長したのですから、
本来に還ることも出来るのです。

“只なる実践”で“無いものは無い”と腑に落ちるまで
行じることが生きた目的です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


  『最も勝れた修行方法が只管弁道です。本当に「只」坐禅する。
  本当に「只」一呼吸する。真箇身心一如に目覚めれば、一切解決です。
   努力しかないのです。馬鹿に成ることは馬鹿になることです。
    見聞覚知を忘れることです。見聞覚知を忘れるとは、
  見聞覚知する自分が無くなることです。「只」聞き、「只」見る。
  「只」が要訣であり字眼です。禅の命と知って「只」に参ずるのです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
“只なる実践”のことを述べられていますね。

ですから“実践”は何も考えず“今”にいることです。
わからない、わかるとこを超えた“無”のところにいることです。

本来の身体はいつも“今”であり“無”のところにいますね。
心という精神は、本来は身体と一体であり心身一如です。

ここは何も問題は起こらないところで
“絶対安心”の境地です。

しかし「思考癖」が付いた場合が本来に居ず、
身体と精神が離れているということで、
心配、不安、苦悩、恐れ等が発生する要因です。

この「思考癖」を落とし“心の平安”に
還り着くよう努力するのが“只なる実践”です。
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