只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

野菜の苗は雨が降らないと、山畑では枯れてしまいます。

2017-06-02 08:44:40 | 日記

1秒先も1秒後もこの世には“無い”のですね。
もちろん、あの世なんてものはありません。

「在る」とするものはおわかりのとおり頭脳です。

空から浮かんでくるものは“何も無い念”です。

その“何も無い念”にすぐ飛び付くのが「思考自我」で、
頭の中で勝手にかく乱させるのです。

それが心配、迷い、不安、苦悩、恐れを引き起こし、
心身に異常を来たすのです。 

不思議ですが、真剣な“実践”の継続で、それが
観えてくるのです。

ですから“何も無い念”に飛びつかないよう、“”に
従い、自我に陥っていないか点検をしながら
淡々とやっていくのです。

また、こうなっていくと思いながら先を予測してやると
間違いが起こってくるのです。
なぜなら1秒先は“無い”からですね。

ですから“今”やることの諸条件を確かめ、キチンキチンとしながら
『やる事』を進めていくのです。

こうなければ、ああしなければという知性、思考を使わず、
そして自己を持ち出さず、今やることをやっていれば
いいということです。

とにかく、何にも入れずに“只、やる!”ことを
行うのが“只なる実践”の持続です。


 
只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

すると頭のてっ辺から足のつま先まで知性と神経が漲り、
 目的のみの自己となる。自然に姿勢から態度まで研ぎ澄まされてくる。
 行動の総てに純度の高い精神が伴い、決断の連続となって作用する。
 深くて謙虚な自信が備わるのは当たり前である。一心は自らの努力によって
 築かれる切れの良い世界なのだ。平素の努力なくしてあり得よう筈がない
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
嬉しくて有り難いお言葉です。

真の自分”に還り着くには、平素の努力なくして
あり得ようがないと仰っています。
 
弛まぬ真剣な“只なる実践”の持続は、頭のてっ辺から
足のつま先まで知性と神経が漲り、目的のみの自己となり、
自然に姿勢から態度まで研ぎ澄まされてくる。
行動の総てに純度の高い精神が伴い、決断の連続となって作用する。
深くて謙虚な自信が備わるのは当たり前である。
一心は自らの努力によって築かれる切れの良い世界なのだ。
痺れるようなお言葉です。

やるしかない!!”この気概を持って歩いていきます。

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