只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

一度きりの人生ですと私(思考)が言っています。笑

2017-04-20 08:47:17 | 日記

誰にでも願いというものがあります。

願い、つまり願望というものが簡単に叶うならば
苦労することはないですね。

願望とは必ず達成させるためだけにあると思うと
苦脳が付きまとってくるのです。

達成するときもあれば出来ない時もあるのですから、
願望に執着してはならないのです。

ですから、願望は1つの目標、課題として、あるいは方向性として
取り組むことだけですので、無ければ無いでいいのです。

この様に観てみると、すべてのことは私(自我)が創って
いるだけです。

繰り返し述べていますが心配、迷い、不安、苦悩、
恐れ等は私(自我)が創っているのです。

それは幻想で、本当は“何も無い”のです。

何も無い”ところに、願望等を持って来ると問題が
起きてくる場合があるのですね。

平安なところにまだ安心を求めると“何も無い”ですから、
仕方ないので不安という迷いを創り出すのです。

本来の安心な境地には“何も無い”のですから、
何も願ったり望んだりする必要は無いのです。

それがまったく理解できないから、私(自我)が現れてきて
不安や迷いを創るのです。

本来の“真の自分”は、意識無くそれを只、眺めている
だけです。

このことは約2600年前に、お釈迦様が命懸けで
発見されたのです。
それが仏道として今日まで伝わって来ているのです。

またそれぞれ、その道をどの様な道と捉えてもいいのです

仏の道、只なる道、真の道、空なる道、真実なる道と
捉え方はいろいろですが、つべこべ言わず“只、やる!”この一言に尽きるのです。

お釈迦様は言われました。
世の中にはあらゆる苦しみが満ち溢れている。
しかし、どんな苦しみにも全ての元には我々の我が
強いところに原因がある。人は誰でも欲が深く、自尊心を
傷つけられては怒り、真相を知らずに愚痴っている。
結局はこれら三毒も我をはって、自分に執着する
ところから起こるものであり、苦しみをなくすためには
何よりも自分にしがみつく心(自我)を徹底的に滅ぼさなくてはならない
。』

このように私(自我)は、見えないところの心にしがみついているのです。
従って私(自我)と遠く引き離すことが生きてきた目的です。

私(思考)の願望や不安我が消え去ったところが
今という“絶対安心”の境地ですね。
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