私(思考)が自分を創作するから幻想となるのですね。
自分という固体など、何処を探しても“何も無い”のです。
これを腑に落とせば、気が楽になり“絶対安心”と成る
のです。
しかしまだ欠片が残っている以上、それらが時によって
騒ぎ始めるのですね。
ですから“只なる実践”は、それらの欠片がひとつ残らず
綺麗さっぱりするまで“実践”していくのです。
目には見えない者同士の戦いですから、この幻想世界では
何を言っているのか、これまたさっぱりわからない
のです。(笑)
話は変りますが、仕事でロボット芝刈機を取り扱って
いるのでよくわかるのです。
稼動範囲設置を、ロボット芝刈機のコンピューター
セッティング通りにしないと絶対に稼動しないのです。
それに比べ私(思考)達は、自己中心的に思うままに
勘違いして動いているのです。
自己中心的と“自由自在”は同じではなく、個と“全体”になるのです。
ですから「個」に執着すると、それは違いますようと
「苦悩」が現れるのですね。
あくまでも原点が本来と言う“今”であり“自由自在”で
あるからです。
ですから揺るぎ無い“今”という“真の自分”に、
すべてをお任せして淡々と生きて行くのです。