只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日は自然薯の蔓の手入れです。

2016-10-18 10:01:09 | 日記
たまにはお寿司のごちそうもいいですね。




【あれはあれです、これはこれです。その通りで心は納得して動きませんね。
「へ」は何の「へ」か、心が探し始めます。】

将来はこの様に努力して、成功を収めて、
幸福な人生を送りたいと、ほとんどの方が
望んでいらっしゃるのではないかと思います。

それはそれでいいのですが、それらは幻想であると
“自覚”されていることが大切ですね。

事実には将来も過去もありません。
成功も失敗もありません。
幸福も不幸もありません。

ここでは将来や過去は文字であり腺です。
成功も失敗も、幸福も不幸も文字であり腺です。
ですからすべては“今この瞬間”しかありませんね。

それを考えてはいけませんよ~ (笑)
考えたら“今この瞬間”ではなく幻想ということになるのです。

とにかく“今”しかないのです。
ですから“今”に安住すれば“絶対安心”の境地になるのです。

繰り返し述べますが心配、不安、苦悩、恐れ等は
“今”に居ず幻想世界にたむろしているということです。

早く幻想世界から脱出して“”の真実に
還ることが人生という目的ですね。 



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


   『「無受」は目の仕事です。目の本来です。
  これが目の「道」「法」です。どこにも、何も間違ったり
   囚われたりしていないことが自覚されるのです。
 それを捉えてしまった時、受をした時、認識というものが始まった時です。
   そこから迷いが始まっていく時です。ですから祖師方が、「
      一念不生」を仏と言っているのです。
  そうすると認識以前の世界が禅の世界であることが分かるはずです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
『目』は只、前が見えるものですね。

また、見えたものを後で振り返るものではありません。
見たものを認識するものが思考というもので『目』ではありません。

耳の鼓膜も同様で、鼓膜が震えると音が出てくるもので
認識するものではありません。

ですから、おわかりのとおり何やかんやと言うのは
思考ですね。
思考自我は認識して、次第に苦悩を創作して心を
痛めつけるのです。

認識するまでは何の問題になりません。
見て『あっ、カラスだ!』ここで終われば
事実だからいいのですね。

残念ながらこの後約,001秒で即、幻想を創り出すから
どうしようもないのです。

ですからこの思考自我を消し去れば“真実世界”となります。
そのための弛まぬ“只なる実”です。
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