只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

そこに意識を向けると、向けたものがあります。

2017-03-13 10:09:22 | 日記

真の自分”に還るには、弛まぬ“只なる実践”の
継続ということです。

それは専門の知識が必要で、大学院で学習する
ようなことではありません。

また、仏教の教えを学び取ればわかるという
問題でもありません。

つまり「思考」ではわからない真実世界だからです。

ですから“只、今”を体得することです。

例えば、歩いて日本一周をするには「思考」では
出来ないということです。

何ヶ月間かかるかそれはわかりませんが、
日本一周する詳しい地図を持って
淡々と歩いて行くのです。

ですからこのブログは詳しい地図みたいなもので、
ここでは“真の自分”に還る道を指しています。

ですが、還る道を見たから還り着くものでは
まったくありませんね。

やはり歩くしかありませんから只、淡々と、
例えば日本一周を目指す足に任すしかないのです。

これを思考無しの“只なる実践”と言っています。

それで日本一周したから何が変るということではなく、
“只なる実践”での体得は“真心”になるということです。

私みたいに汚れの付く心でなく、汚れの無い
一心”と成り、“無心”で安らかに、
穏やかな人生を送られるのですね。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


どうしても最初は心の拡散を陶冶する事が中心ですから、
「今」に成り切り、成りきりするのです。
 つまり「今」その事のみに、一心不乱になることです。
 単純なことを、単純に、飽くことなく、怠慢心無く、
 ひたすら没頭することです。それが一番楽で早いのです。
 何としても真剣さが本当かどうかです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
心が騒いで落ち着かず、不安等になるから
“実践”を行うのです。

でも最初は、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」から
翻弄されて“実践”が途切れ途切れになるのです。

ですから、空から浮かんで来る念は何も関係ない
と見極めることです。

見極めが出来たら念をスルーすることです。
浮かんだ念を相手にしないことです。
浮かんだ念を無視することです。

この念は面白いからと言って、念と遊ばない
ことです。(笑)
これは重要なものだと認識しないことです。

このような“只なる実践”を、想念から
引っ張られず今、今、今と継続するのです。

念は念で現れて自然と消えていくものですね。
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