只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

いつも心掛けていることは“呼吸を離すな!”です。

2016-10-12 09:46:04 | 日記
【真実は過去も未来も現在も無い、
在るのは“今この瞬間”だけですね。】


遊び心をもって人生を過ごしましょう。
山から移植した南天の小木の由来を調べてみました。



『南天はメギ科ナンテン属の常緑低木で、日本や中国などで
よく見られる植物です。この南天、中国では古来、「南天燭」
「南天竹」などの名前で呼ばれており、日本名の「ナンテン」は
中国での名称を簡略化したもの。これが訛(なま)って
ナルテン、ナッテン、ナピテンとも呼ばれるようになりました。

ちなみに、南天燭の「燭、ともし」は、南天の実が
「燭〜ともし火」のように赤く、南天竹の「竹」は
株立ちが竹に似ているからこう呼ばれるようになったそうです。

赤い実をつける南天は食べ物の少ない冬には鳥の大好物なので、
この赤い実が鳥にとって「燭」に見えるという由来もあります。』



この「南天」は、我が山の生い茂った雑木草の
中の所々にあります。
またそばにはトゲでいっぱいの雑草があり
うかつには通れません。

しかし、人から見れば「南天」は同じ雑木草で
まったく関心はありませんね。笑
「万両」の小木もしかりです。
興味しんしんなのは私だけでしょうか? 笑

「南天」の細身の葉は緑色が多いですが、
もうすぐすると赤み帯びてきて、そよ風にあたると
煌びやかになり、なんとも言えない風情を感じます。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・只やる。只坐っていればいいのです。
「只」呼吸するだけです。…前回まで

  『いいですね。観念から離れ、囚われから離れ、感情から離れ、
    過去の一切の情報から離れ、全てを離して「只」坐る。
   これが祖師方が伝えた本当の坐禅であり本当の修行なのです。
     これを「只管打坐」と言うのです
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
観念から離れ、囚われから離れ、感情から離れ、
過去の一切の情報から離れているということは
只、今に在る”ということです。

“只”とは、何も無いということで、
すべてが只在るということもできます。

これらのことは知識を超えるところにありますから、
頭が良くても考えたりはしないことです。笑

つまり思考の届かないところ“只、今に在る”と
いうことですね。

そこは“只なる実践”で近づいてきます。
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