只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

“今”は来るも去るもない“今”です。

2017-03-21 09:08:28 | 日記

人間の本来は、例えば自然であり神であり仏であるのです。

人間の大半が、こんなことわかりようが無いと
いうふうに、「思考自我」が覆い被さっているのです。

この「思考自我」は成長するにしたがって強大な力と
なっていくのです。

つまり思考ではなくて除々に自分になっていくのです。
そして自分から離れられなくなり「思考自我」と
一体になったのです。

手や足は毎日見ていますが、思う考える知能は
見たことがありません。

また知能を動かすものも見たことがありません。

ですから見たことのないものを追求していくのが、
私(思考)ですから永遠に見えないということです。(笑)
そして苦しんでいくのです。

想えば不思議な世界で、考えなければ“只の世界”と
いうことですね。

今この瞬間・無思考”が真実で、
永遠に“真の自分”です。

それを感じ切るまで弛まぬ“只なる実践”の継続です。





只の道…淡々と歩く
心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


人が人として生まれると言うことは、人として整うまでの
 前人生があればこそです。何でもそうであるように、
 ちゃんとした原因があり基礎があって、初めてそれに伴った結果が現れるのです。
 人の質的内容は、前世つまり前因縁を抜きにして、
 今だけを見るのは根元的ではありません。例えば、人間になるべくして
 現れた人と、弱いと見たらとにかく殺しに掛かるヒョウのような、
 獰猛性を脱皮することなくそれらを携えて現れた者とでは、
 心の質と内容が全然違います
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
人が人として生まれると言うことは、
人間として生まれる遺伝子があるからこそです。

雑草は何もしないかぎり、毎年毎年というふうに
永遠に生えてきますね。

そして肝心の人間の質ですが、それは前世を抜きにして
語ることは出来ないと仰っています。

簡単に言えば、今、残虐性を持っている人は
この人生で捨て去ることをしなければ
永遠に想念が身体に付きまとうということになります。

それは永遠に苦しむと言うことですね。

ですから例えば掃除をするにも雑巾があるように、
頭の中で勝手に妄想する「思考癖」を捨て去るには、
今、今、今と“只なる実践”が必要ということです。
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