只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

急がない、慌てない、只やることです。

2017-02-24 08:10:05 | 日記
小雨の大宰府天満宮です。
観光客が多いですね。あちらこちら声がしますのが
ほとんど中国からの団体です。笑






達成感、充実感、優越感、安心感、恍惚感等の
感じは、その時その場で訪れ消え去っていきます。

この様に、この世は“縁と無常”で変化して
存在しているのです。

しかし“縁と無常”に逆らっているのが
「思考自我」ということです。

実体が“無い”ものに逆らうのですから、苦悩していく
ことは間違いないということです。

また「思考自我」も幻想ですから実体がありません。
実体が在るのは身体だけですね。

しかし、この身体も時が来ればありません。
この様にすべてが“無い”のです。

ですから“今この瞬間・無思考”が真実と言われています。

眼を閉じればすべてが無く、眼を開ければ
すべてがあるのです。

たったこれだけですが、それを邪間するのが
頭の中で勝手に妄想する「思考癖」ということです。

眼を閉じると記憶が余韻として出て来るのですね。
そして開けていても記憶が支配するのです。

とにかく実体の無い「思考自我」は、何でも欲しがり
消滅しょうとしません。

それは自分に成り切っていて、生きていると思って
いますから、「死」を恐れる原因があるのです。

繰り返し述べていますが、この世は「生死」は
“無い”のです。

もちろんあの世など、どこを探しても“無い”のです。

ですから、頭の中で勝手に妄想する「思考癖」を
落として、今、今、今と自然に流れていくことが、
絶対安心”の境地といえるでしょう。

この世は「思考自我」の世界であるか、「思考自我」を
支配して生きる世界かによってまったく
違うということです。

例えば車を運転するとします。
ご承知のとおり車は自分が運転しますので、
車が運転するわけではありません。(笑)

しかし私(思考)になった場合、私(思考)がこの世の
中を運転しているのです。

これでは、あちらこちらにぶつけて苦悩だらけに
陥りますね。

ですから、しっかりと「思考自我」を支配して
安全に運転させればいいのです。

もちろん運転しない時は車庫に直しておくのです。
残念ながら、その様にしないのが「思考自我」で
年から年中、やりっ放しなのです。

「思考自我」をなんぞやと理解しておけば
真の道を歩いていけます。

それには、弛まぬ“只なる実践”の継続です。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 記事のタイトルを入力してく... | トップ | 塵と積もれば山と成る、何で... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。