只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

早いもので今年も4月半ばですが、事実は“今”しかありませんね。

2017-04-18 07:50:27 | 日記

他人は自分の合わせ鏡みたいなものですね。

例えば、他人を見て「下手なことをしているな~」と
想えば、言葉にすれば、また感じれば、
それは自分のことです。

また「お前は頭が悪い」と言えば、想えばそれも
自分のことです。

すべての事は“他人鏡”ですから、写っているのは自分
しかいないのです。(笑)

人の事を批判するのも褒めるのも、バカにするのも
すべて自分の事です。

逆に、他人が自分のことを批判するのも褒めるのも、
バカにするのもすべて他人の事ですね。

ですから他人の事など何もわからないのが事実です。

そして“他人鏡”に何も写らなかったら、私(自我)では
ないのです。

自分も他人もいないということですね。

これをわかるには思考無しで“只、よ~く観る”と
わかってくるのです。

とにかく観念で覆い隠している以上、事実を見ることは
永遠に出来ません。

例えば、私は山田太郎で、男性で、歳は40で、
会社員で、子供が二人いて、妻の家族四人で
仲良く暮らしています。

別にこれでいいのですが、これも観念で思い込みとして気付いていれば
問題は起こりませんね。

しかしこれを事実で当たり前にすると問題が
起こって来るのです。

事実という真実は“今この瞬間・無思考”です。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
私(思考)の戯言は信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。


人は等しく両親のご縁で生まれてきます。
 従って人間としての人権は本来平等です。
 ところが、両親ばかりではなく、あらゆる因縁が異なれば、
 人の内容は元よりそれぞれです。前世が異なる故に、
 色々の能力特技も異なり、
 育つ環境で人格にも上中下の差が付いてしまうのです
。』


いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
この世の中には様々な人達がいらっしゃいます。
それは前世が異なる故に、あらゆる因縁が異なるが
故にと仰っています。

誕生するときはすべて無なる赤ちゃんです。

成長するに従ってすべては個の人間となるのです。

それはそうですが、個の人間には前世のあらゆる因縁も、
人生において付いて来るのです。

その人において、どういう因縁かは何もわからないのですが、
今に“目覚める”ことによって“無”とわかってくるのですね。

目の前の出来事はすべて事実ということで、
頭の中の思考はすべて幻想だということです。

それは、弛まぬ“只なる実践”の持続で明かになってきます。
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